32. Safety Zone



「おうい、我が妹。いもうとー?」


「…………ほえ?」


 柚葉市立第二中学校、2年3組の教室。午後の10分休み、綺羅きら独想どくそうの世界から帰還する。


 目の前では、ぱっつん切りの黒髪を「くるりんぱ」にし、左目に黒い星のペイントをした少女が、手を綺羅の顔にかざして振っていた。


「あ、ひゅら。どうしたの?」

「『どうしたの』、はこちらのセリフだぞ。朦朧もうろうとして……ハッ! よもや貴様も、我と同じように瞑想めいそうによって魔力を高めて……!?」

「だいじょうぶ、それはぜったいないから。それで、なに?」


 きょとん、と首をかしげる綺羅に。吹羅は苦笑にがわらいで返す。


「おまえは、我と話すときは全くのだな……。なんだか複雑な気分だ。……いや、そんなことはいい。

 実は、国語の教科書を忘れてしまってな。眷属けんぞくとして、我に捧げるがよいっ!」


 そう言うと吹羅はふんぞり返って、右手を綺羅に差し出した。

 およそ何かを借りる者の態度とは思えぬその仕草だったが……綺羅は気にせず、うなずいた。


「うん、いいよ。ひゅらはともだちいないから、きらにかりるしかないもんね!」

「ごはあぁ!? き、きさま潜在Sか!? そうなのか!?」


 吹羅がけつしそうな勢いでみ、机に突っ伏す。その大げさな仕草さえ、綺羅は意に介さず、机にかけたリュックサックから教科書を取り出した。


「はい、どうぞ。きらもつぎはこくごだから、ちゃんとかえしてね。またらくがきしないでね」

「貴様、人見知りキャラは嘘なのではないか……? ……まあいい、確かに受け取った。それとあれは落書きではない、悪魔召喚のための魔法陣だからな」


 いつもどおりの捨てゼリフを残して、吹羅は教室を出ていった。

 その背中を見送りつつ。


(……うそじゃ、ないもん。ほんとにきんちょうするんだもん)


 綺羅は、ほおふくらませる。


 切に、吹羅をうらやましくおもう。何せどんな立場の人間に対してもあの態度。左眼のペイントなどは明らかに校則違反だが、いくら注意されてもやめようとせず、結局教師が折れて叱らなくなってしまった。


 とっさの場面の対応には弱いし、基本的にメンタルが紙耐久の吹羅だが、そういう点は『強い』。自分の主張はほぼ絶対に曲げない。口で負けても行動で押し通す。吹羅のそういった『強さ』に、綺羅は切実にあこがれていた。


(あーあ。きらも、あんなふうになれたらなぁ)


 昔から、他人や目上の人を前にすると、緊張して言葉がつっかえてしまう。自分の意見を言うなんてもってのほかだ。それで人を不快にさせることもあるが、性分なのでどうしようもない。


 あんなふうに、『強く』ふるまえたなら。あのヒトとも、もっと楽しく話せるかもしれないのに。あのヒトの代わりに、なれるかもしれないのに――


(…………!)


 恐ろしいことを考えてしまったことに気付き、綺羅はすぐにそれを脳内から掻き消した。所詮、自分の恋は叶わない。それはあのヒトも同じ。自分もあのヒトも、あのヒトと結ばれることは許されない身分なのだから。


 そんなことを考えていると、クラスメートの女子たちが綺羅のほうに寄ってきた。


「きらちゃん、だいじょうぶ?」

「えっ? な、なんのこと……?」


 戸惑う綺羅に、女子生徒のひとりが前髪ぱっつんのボブカットを揺らし、教室の出入り口の方をにらんだ。


「あの中二病、いっつもきらちゃんに頼ってくるよねぇ……」

「ほんと同情するわぁ……きらちゃんはこんなにかわいいのに、あんなのが双子のお姉さんなんて」

「う、うん、だいじょうぶ、だよ……あはは」


 彼女らの心ない言葉に、綺羅は、笑顔を


 否定することなんてできない。否定したら、どうなるかわからない。自分も同じように、攻撃されるかもしれない。


 傷つかないように、傷つかないように。この「すっぱさ」に耐えたら、だいすきなあのヒトが、あのヒトたちがまっているから。


(……ごめんね、ひゅら)


 綺羅は自分を守り続ける。それが、大切なヒトたちのひとりを裏切ることだとわかっていても。


 極論、自分とあのヒトさえ幸せでいられれば、それでいいのだから。





 黄昏たそがれどき


 春も3分の2にさしかかったこの時期、そう呼べる時間はだんだんと伸びつつあるけれど。とかく、その片鱗が見え始め、そら山吹やまぶきに色づきはじめた頃。


 柚葉市立第二中学校、その正門前。閑静かんせいな住宅街の片隅に置かれた、ゴミ収集ボックス。そこに、背の高い細身の男が、腕を組んでもたれかかっていた。


「大河さん、そして蘭子さんまでもしくじった……怪原理里、確かに侮れない敵のようだ。だが、それは隊長に任せておけばいい……。この卜部うらべ籠愛ろうあいは、己の戦うべき相手と戦うまで」


 少し青みがかった、長い黒髪をなびかせて。新たな英雄が、闘いにおもむく。




 このとき、まだ誰も知る者はいない。"英雄"と怪原家の戦いによる、人間社会を巻き込んだ大事件が、この柚葉市で起ころうとしているなどとは。

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