しらゆり

「爺ちゃんの若い頃はな――」


 そんな言葉からいつも始まるシゲ爺の昔話は、空の上の景色しか知らない僕達を、いつだって楽しませてくれた。


 水が絶え間なく流れるという”川”を泳ぐ魚達。


 頬が落ちそうなほど甘い果物、緑豊かな木が一面に生えた”森”。


 どこまで歩いても終わりの無い地面。


 数え切れない程沢山の子供達が一度に通う学校。


 艦長室の広さほどもある家が、どこまでも立ち並ぶ住宅街。


 そのどれもが、僕達には想像すら付かないものばかりで、僕とミカは、寝るのも忘れてシゲ爺の話に夢中になっていた。


「本当にいい世界だった」


 過去形で下の世界のことを話した後のシゲ爺は、最後に例の遠い所を見つめるような目をするのだ。


「今日は下の世界の結末を話そうと思う。本当に愚かな話だ」


 それは僕とティアが十歳になった年のこと。シゲ爺が真剣な面持ちでそう言って、下の世界の話の続きを話してくれたことがある。


 言い渋るような口ぶりで語られたのは、気候変動で大地の半分が海の下に沈み始め、終わり行く惑星ほしの上で起きた、領土を巡る世界大戦の話。


 成人していたシゲ爺は国に徴兵されて戦地に行ったということ。

 そこで早々に敵の撃った弾に当たり大怪我をしたせいで、内地に帰還(国外から帰ってくることだそうだ)して、整備士になったということ。


 やがて自滅的な思想を持ったどこかの国の指導者が、自らの手で治すことの出来ない疫病を作り上げた。それが世界中に蔓延し、激減する人口を前に争いすら無意味であると悟った人々は、穢れてしまった大地を捨てるという決断をしたのだという。


 それまで下の世界にどこか夢を見て生きていた僕達には、あまりにもショックな内容だったことは言うまでもない。


「じゃあ僕達みたいに、何十億人もの人が今も空の上に住んでるの?」


「いんや……」


 シゲ爺はうつむきがちに頭を振り、少し目を瞑る。

 ティアは、まだショッキングな内容を飲み込めていないようで、目の縁に涙を溜めたまま僕とシゲ爺の顔を交互に見ていた。


 やがてシゲ爺は黙って右手のひとさし指を上へと向けた。指差す方向を見ても、そこには赤茶けた錆の生えた部屋の天井しか見えない。


「皆は、もっと上に行っちまった。ワシらは雲の上に取り残された漂流者ハグレなのさ」


 そう言って力なく笑うシゲ爺の顔は、今にも泣き出しそうに見えた。そして僕は、自分の生まれた世界の正体を知った。


 ――第十七宇宙移民艦しらゆり。


 全長三キロメートル、全幅六キロメートルの菓子箱のような宇宙移民艦。

 いつまでも宇宙へと辿りつけない移民達ぼくらを乗せ、六十年間終わりの無い旅を続ける、哀れな鉄の鳥。

 これが、空の上で生きる僕達の世界だった。

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