2章6話 シルバームーン(3)



「そろそろ真面目に考えましょう。恋歌。何かファンに伝えたいことはあるか?」

「う~ん……伝えたいこととは少し違うけど、ツイッターみたいに呟くことならあるよ」


「おおっ、いいじゃないか! それで内容は?」

「『幼馴染を押し倒した。なう』なんて……」


「ダメです」

「ごめんなさいね~、さっきはムードを壊してしまって。でも、家でやるならもう少し静かにした方がいいわよ~?」


「親が娘にいかがわしいアドバイスをしないでください!」


 そしてその話を思い出させないで。自分でも顔が熱くなってくるのがわかるから。恋歌も同様らしく俺と視線を合わせようとしない。その様子を理歌おばさんは生暖かい目で眺めている。


「じゃあ『最近眠いよ~、ベッドから出たくないよ~』っと」

「そして2行目に『夜遅くまで幼馴染に激しくされているせいだ』っと……」

「書きません。理歌おばさんは自重してください」


 そして恋歌も、赤面するくらいだったら本当に2行目に書くな。俺はバックスペースキーを長押しして2行目を一気に消した。理歌おばさんは不服そうだったけどスルー。恋歌はなぜか小さく頬を膨らませた。


「…………既成事実が作れると思ったのに」

「うん、そうやって外堀を埋めていくのはやめてもらおうか!」


 でもこれで5分の3が終わった。これでいかに十音先輩が会議を遅らせているかが証明できたな。さて次の項目は『どうしてやろうと思ったか?』だな。これはありのままを書けばいいから楽勝だな。

 ……そんなふうに思っていた時期が俺にもありました。


「タク君……真面目な話ししていいかな?」

「奇遇だな、俺もこれはどうするべきか真面目に話し合いたいと思っていたんだ」


 1人だけ状況を理解できていない理歌おばさん。理歌おばさんは置いておいて俺と恋歌は本当に真面目に悩んでいた。正直なところ、こればかりはどうしたらいいか全然わからない。


「……『わたしのことを振った幼馴染を見返すためにアイドルになった』って書く?」

「どうしたものか……、流石にそれもファンから反感を買うんじゃないか?」


「珍しく突っ込まないね」

「事実だしボケでもないから突っ込みようがないんだよ」


 軽快な言葉の応酬。それでも時間は過ぎて答えは見つからない。この会話で理歌おばさんもなぜ俺たちが困っているのかを理解できたようだ。


「仕方がない、ここだけ捏造しよう」

「私は昔からテレビが好きだったから『テレビの歌の番組を見てやろうと思った』――」


「――そう、恋歌は小学生の頃からテレビっ子だったから、家に引きこもっていて拓斗くん以外に友達がいなかったのよね~。引きこもって、友達とも遊ばず、勉強もせず。基本的にリビングでアニメを鑑賞するか、自室でパソコンをするかだものね~」

「昔のことはいいでしょ!」


「昔は恋歌、小学3年生なのにも関わらず、朝の4時ぐらいまでアニメマラソンに俺を付き合わせたからな……。8歳であれは一種の拷問だ」

「悪かったって反省しているから、許してよぉ!」


 懐かしき小3の夏休み。全52話のアニメを2日かけて、お泊りで視聴。1日大体10時間近くアニメに囚われていた計算だ。そのせいで夏休みの宿題のペースが遅れたことは語るまでもない。


「これで最後『やってみてどうだったか?』だ」

「ねぇねぇ、拓斗くんは何をやってみたの?」


「実の娘には聞けないことだから、俺に矛先を向けたのは評価します。けれどお願いだから黙ってください」

「えっと『思った以上に楽しかった! これからはもっとペースを上げてUPしていきたいです!』っと」


 恋歌が椅子の背もたれに体重を預ける。俺も一息ついた。これでプロフィールの製作は終了だな。今日一日で終わるとは、良い意味で予想外だ。これが終わった以上、明日からの活動を考えないとな。

 恋歌はクッキーを口の中に入れて、頬張りつつパソコンの電源を切った。なんとなくリスを彷彿した。


「じゃあ、今日のノルマは達成したし、これから何する?」


 恋歌が無邪気に、はしゃぐように、これから俺と何をするかを尋ねてきた。俺は時計を一瞥する。もう6時30分だった。5時に学校を出て、約40分で着いたから、50分もお邪魔していたのか。理歌おばさんは夕食の準備があるだろうし、俺の母さんも心配するから、今日はもう帰るか。


「悪いな恋歌、今日はもう帰るよ」

「……え? あ、うん。だったらわたし、途中まで見送るよ!」


 まったく、そんな寂しそうな顔するなよ。恋歌の途中まで見送る、という提案に俺は無言を貫いた。そしてそれを恋歌は肯定と受け取る。

 部屋を出て、階段を下りて、靴を履く。恋歌も一緒だ。理歌おばさんは玄関のところまで俺を見送ってくれた。


「気を付けて帰ってね~」

「はい、お邪魔しました」


 ドアを開けると少し冷える風が吹いた。4月でもまだ夜風は冷たい。けれども夜桜を眺めるには丁度いい気温だ。視線を上にずらすと桜の花びらが舞っている。その光景は今が春ということを実感させた。

 星乃家の敷地内から出ると、恋歌が俺の手を握ってきた。


「少し、寒いから……」

「そうか」


 聞いてもいないのに、恋歌は手を繋いだ建前を述べた。別に俺は恋歌とだったらいつでも手を握れる。理由なしに。でも、恋歌は建前がないと俺の手を握れない。こんな関係になったのはいつからだろう?

 恋歌は家を出てからずっと黙っている。話したいことをまとめているのかもしれない。しかし歩いているからには時間が迫ってしまう。俺たちが別れる時間が迫ってしまう。俺は恋歌と話したかったから、時間が来る前に口を開いた。


「恋歌、俺に昼飯を作ってくれようとしたんだよな?」

「うん、そうだよ。それがどうかしたかな?」


「いや、寝坊をして失敗なんて恋歌らしいなって」

「いつもはちゃんと起きてるよ~だ! わたしをドジっ娘みたいに言わないで」


 すると恋歌は自分の右足と左足を絡ませて転びそうになった。俺が繋いでいる手で助けてやらなかったら、間違いなく転んでいたな。恋歌は早速ドジりそうになり、俺を見て言い訳したそうな眼差しで訴えてくる。


「本当に弁当を作ってきてくれるのか? 朝、大変じゃないか?」

「大変じゃないよ? それに恋愛感情を抜きにしても、わたしは幼馴染として仲のいい男の子とまた一緒に居たいから、昔みたいに仲良くしたいから、弁当を作るんだよ」


 恋愛感情以外で恋歌が俺と一緒にいたい理由。昔からの友情か、擬似的な家族愛か、近過ぎる隣人愛か。全部ひっくるめて、恋歌は俺と過ごしてきた。もちろん俺も。だからこそか。俺は恋歌が近過ぎるから恋愛に発展しないのではないか、と考えた。


「昔っから俺の弁当を作るのは恋歌だったもんな。……あれ?」

「どうしたの?」


 ふと疑問が生まれる。恋歌が遠足とか給食がない日とかに俺の分の弁当を作り始めたのは、確か小3あたりだった。そして恋歌の場合、それはアピールのはず。だったら、恋歌は小2の頃から俺のことが好きだったのか?

 弁当云々の前に、ずっと気になっていたのだ。恋歌はいつから俺のことが好きだったのか? そう、告白されたその日からずっと。


「恋歌は――いつから俺のことが好きだったんだ? 弁当を作ってアタックしてきたのは小6よりも前の小3だよな? ってことは、その時から?」


 ちょっぴり恋歌の歩調が緩んだ。俺は恋歌の歩く速さにあわせて、足を動かした。これで帰るのが少し遅くなった。そのことがたまらなく嬉しい。そしてさらに、恋歌が体を寄せてきた。涼しい夜風に反して、触れている肌が温かい。


「――そんなの覚えてないよ」


 意外だった。俺のことを俺以上に知っているような恋歌が、自分の恋の始まりを知らないなんて。でも、意外でも、その事実をすんなりと受け止めている自分が、心の真ん中にいた。

 そして恋歌は花の蕾のように小さな唇を開いて、想いを紡ぎ始める。


「東京にいたときの友達が話していたんだよ、恋に落ちる理由を。優しくされたから惚れた、カッコよかったから好きになった、とか、いろいろ」


 恋歌の思いを、俺は黙って聞き続ける。


「その時、わたしは『気付いたら好きになってた』――そう答えた」


 握られている手に俺は力を入れた。優しく、壊れないように。

 それに対して恋歌も俺の手を握り返した。


「タク君はね、何年もわたしと一緒にいて、ゆっくり穏やかにわたしを恋に落としたんだよ。1に99を足して100じゃなくて、1足す1を何回も繰り返して、わたしは気付かないうちにタク君を好きになった」


 99が目に映っても、1は小さくて、なかなか目に映らない。でも確かに1は存在する。その積み重ねがこの場所の、この時の星乃恋歌だ。1に気が付かないから、恋に落ちた瞬間にも気付かない。しかし足跡を振り返ると、間違いなく想っている時間は経過しているのだ。


 お互いの足が止まる。ふと左手側を見れば、懐かしい俺と恋歌が通っていた小学校が月と街灯に照らされている。そしてそこから少し歩くと、横断歩道が小学校の近くの車道に引かれていた。

 恋歌が手を放した。3年経っても当時のやり取りを繰り返す。


「また明日な」

「うん、また明日。本当にお弁当作ってくるから、覚悟しておいてよ?」


 俺は恋歌に背を向けて横断歩道を横切った。そして反対側の歩道に着く。振り返ると、今いる逆側の歩道に恋歌がいた。昔から別れる時は、車道の向こうの恋歌が遠く感じられていた。

 立ち止まっても寂しいだけなので、俺は家への道を歩き始める。


 そんな俺たち2人を、銀色のような月だけが眺めていた。


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