2章4話 シルバームーン(1)



「お母さん、ただいま~。タク君連れてきたよ~」

「こんにちは、お邪魔します」


 俺は今、恋歌の家、星乃家に訪れていた。星乃家は門前町高校から徒歩で約40分のところにある。一軒家で結構大きく、小奇麗で清潔な感じの家だ。ちなみに2階建て。

 玄関の近くのドアから1人のエプロン姿の女性が俺を出迎えた。


「いらっしゃい拓斗たくとくん、久しぶりね~」

「お久しぶりです、理歌りかおばさん」


 この人は星乃理歌さん。苗字から分かるとおり恋歌のお母さんだ。高校生の母親なのに、外見はまるで清楚系、お嬢様系の女子大学生のよう。髪は恋歌と同じ栗色で、1本に結った房を左肩にかけていた。おっとり、のほほんとしていて、恋歌が天然なのも遺伝のせい、と納得できるぐらいどこか抜けている。一番印象に残っている出来事は、理歌おばさんが栓をしないでお風呂を沸かしたことだ。3日連続で。


「よかったわね~、恋歌、大好きな拓斗くんと再会できて。そうっ、聞いてよ~、拓斗くん。恋歌ったら仙台に戻ってきた初日から、『タク君と会えるかな~』とか、『会えたら運命だよね~』とか、妄想を膨らましていたのよ?」

「そ、そんなことしてないし! わたしがタク君で妄想するわけないじゃん! ほら、タク君はわたしの部屋に行こう?」


 そうか、恋歌は俺で妄想していたのか。あとで弄繰いじくり回してやろう。

 俺は理歌おばさんに会釈して階段を上る。昔と同じまんまだったら一番近くの部屋が恋歌の部屋だ。で、先を上っていた恋歌が、予想通り階段に一番近い部屋を開けた。

 恋歌の部屋は良い匂いがした。女の子の香りというのだろうか、胸が切なくなるような甘い香りだ。その香りで俺は恋歌の部屋に入ったことを実感する。部屋には机にベッド、本棚に鏡、そして2つ目の机の上にデスクトップパソコンがあった。昔と少し配置が変わっているな……。


「どこでも適当に座って良いよ」


 恋歌がベッドに腰掛けたので、俺は危険を察知してベッドから一番遠い机の椅子に座った。すると恋歌は立ち上がり、俺の方に近付き、俺の脚と脚の間に腰を下ろす。


「恋歌、ベッドに座った意味はあったのか?」

「ベッドに座ったらタク君が襲ってくれるかなぁ、なんて保守的な誘惑」


「じゃあ、俺の脚と脚の間に座った意味は?」

「タク君に抱きしめられる準備と、その状況を作る攻撃的な誘惑」


「誘惑に保守的も攻撃的もない! お前の誘惑は全て、俺の理性を壊すという意味で破壊的だ!」


 どうせ移動しても恋歌は追っかけてくるのだ。体力を節約するために俺は机の椅子を動かないことにした。当然恋歌も動かない。それどころか恋歌は俺に寄りかかって、体を預けてきた。


「そういや、恋歌は俺でどんな妄想をしたんだ?」

「だ、だからしてないって! ただちょっぴり、『タク君に会ったら可愛いなんて褒められるかなぁ?』とか『3年越しに告白されるかなぁ?』とかって想像していただけだよ……」


「それを世間では妄想っていうんだ」

「うぅ~~、タク君の意地悪……。妄想でも良いじゃん、それだけタク君が好きなんだよ?」


 後ろからでも恋歌が照れているのがわかった。つられて俺も照れてしまう。ここに理歌おばさんがいたら『バカップルねぇ~』なんて的外れなことを抜かすに違いない……。


「理歌おばさんに挨拶したし、早々にすることがなくなったな」

「だったら、お互いの中学の時の話でもする?」


 特に話題が思い付かないので、恋歌の提案に頷いた。


「タク君ってさ、初恋まだなんだよね? 中学生の頃は告白された? 返事はどうした?」

「1年の夏休みに1回、クリスマス直前に1回されたよ。いや……、どっちも断ったけど……」


「真面目だよねぇ~、中学生の男の子だったら、誰でもいいから付き合いたい! ってならない?」

「そんな感じの友達もいたけど、俺はならなかったな。2回とも1週間ぐらい悩んで、それでも好きになれなかったから断った」


 確かに俺に告白してくれた2人の女子は、それなりに可愛かった。けれども可愛いから付き合うとか、外見が良いから付き合うって、間違っている気がするんだよな……。結果、俺は自分の中でそのように結論付けて謝った。真剣に悩んだんだけど、好きなれなくても美人だから付き合うのは、相手にも失礼な気がしたから、って。


「そっか……やっぱり、タク君って昔と変わってないんだね。ちょっぴり安心した。そうじゃなきゃわたしの初恋に意味がないもんっ」

「恋歌の方はどうだった? 告白されたか?」

「うん、3年間で20人に告白された。当然、全部断ったけど!」


 20人かぁ。マンガやアニメみたいに1ヶ月に全校生徒の何分の1が告白する。なんて、現実的に考えてありえない。だからこそ、20人という数字にはリアリティを感じた。性別ごとの告白人数の相場なんて知らないが、かなり多いよな?


「一応訊くけど、なんで全員断ったんだ? 1人くらい良いヤツがいたんじゃないか?」

「わたしはタク君一筋だもんっ♡」


 恋歌は身をよじらせて、俺の脚の上で半回転した。結果、俺と恋歌は正面から抱き合うような姿勢を取ることになる。そして恋歌はやはりというか何というか、俺を抱きしめた。


「恋歌、少し重――」


 キ――ッ、と、恋歌が俺のことを睨んだ。確かに女子に対する発言じゃなかったな。


「――くはないけど、恥ずかしいから下りてください」

「や~~だよっ。わたしはもっとタク君の温もりを感じてたいのだ~~」

「どんな語尾やねん!」


 さらに抱きしめる力を強める恋歌。流石に女の子を力ずくで扱うわけにもいかず、俺は現状を維持した。恋歌は子猫のように俺の胸に顔をうずめて、俺を満喫している。そして呼吸が辛くなると顔を離して、今度は頬を擦り付ける。神様なんて第三者がいたら、俺たちは確実に爆発しているな。


「恋歌~、暇なんだが、何すること探そうぜ」

「この体勢でできることか~。何かあるかな?」


「もう一度この体勢に戻るって約束するから、マンガ取ってきていい?」

「むぅ、仕方がないなぁ」


 ひとまず恋歌は俺の脚から立ち上がった。脚の痺れを無視して俺も立ち上がる。そして本棚から、毎週月曜日に発売する雑誌に掲載されているマンガの単行本を1冊取り出した。それを持ったまま、俺はその場で立ち尽くす。恋歌も俺がどこかに座るのを待って立っていた。


「座らないのか?」 と俺。

「タク君が先に座らないと、抱き着けないでしょ?」 と恋歌。


 お互いに距離を計る。恋歌はいつでも俺に抱き着けるように、距離を少しずつ、少しずつ、しかし着実に詰めてくる。翻り、俺は近付いてくる恋歌から後退して距離を開けた。緊迫した状況のあまり、鼓動が時計の秒針の速さを超す。


 先に動いたのは恋歌だ――ッッ! 俺に向かって直進してくる。俺はすぐに状況を分析して、行動を起こした。先ほどまで座っていた椅子に飛び移り、勢いをそのまま再度跳躍ゥッッ! 着地点はベッド! ベッドに着地すると恋歌が遠距離攻撃を仕掛けてきた。いつの間にか落としていたマンガを俺に投げる――ッッ! 俺はそれを右にかわす。――が! かわすことによって重心がわずかに右にずれた。それを恋歌は見逃さない! 恋歌もベッドに飛び乗った。俺は恋歌に重心を支える軸、右足を払われてバランスを崩す。次の瞬間――ッッ、恋歌は俺をベッドに押し倒したッッッ!!!


 たった7畳の部屋で行われた謎の攻防の結論を語るなら、俺は恋歌に押し倒された。しかもベッドの上で。……ん? 状況が悪化してない?


「恋歌……、これはまずいって……」


 不意に恋歌の生唾を呑むなまめかしい音が耳に届く。吐息がかかってくすぐったい。これだけでも恋歌の意思は充分に理解できた。が、決定打があった。恋歌の瞳だ。恋歌の瞳は、熱っぽく潤んでいて、夢見がちなまつげは震えていて、俺しか映っていない。


「…………タク君」


 恋歌が可愛らしい唇を近付けてくる。


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