2章2話 ムード・オブ・パステルピンク(2)



 俺は一度アイドルビジョンからログアウトした。そしてパソコンを恋歌に譲る。


「まず、恋歌は自分のアカウントでログインする。そうしたら、マイページに飛んで設定の『ブログを作る』をクリックしてくれ」


 マウスを俺から受け取って恋歌はパソコンを操作する。で、俺が指示したとおりに『ブログを作る』をクリックした。そうするとブログの編集画面が表示される。そしてブログの記事編集と記されている下の編集スペースにカーソルを置いた。


「ここに記事を書くんだよね? だったら――」


 意外とスムーズな恋歌のタイピングに俺は舌を巻いた。結構慣れているな。小学校の頃は『あいうえお』しか打てなかったのに。こんな些細なことで俺は恋歌と離れていた3年を痛感する。暇があったら東京にいた時のことを訊いてみよう。なぜか、訊かずにはいられない。


「星乃さん、どんな記事を書くのかしらね?」


 十音先輩と俺は席を立って恋歌の後ろから画面を覗いた。


「なになに。えぇ、っと……『昨日大好きな幼馴染とキスしちゃったぁ! これで少しは意識してくれるかな~? タク君とのキス幸せだったなぁ』」

「『今度は朝起こしに行ったり、ご飯を作ってあげよう! そうすれば外堀が埋まっていくもんね!』……、外堀から埋めるなんて意外と計算しているのね」

「そこに反応しますか! これはまずいでしょう。アイドルのブログに恋愛記事なんて」


 額に手を立てて悩む。恋歌の場合、これを天然でやっているからな。どうしたものか……。


「恋歌、恋愛関係の記事はなしにしよう。そんなことしたらアクセス数がトップになっても、ランキングがビリになってしまう」

「うぅ~、仕方ないな~」


 不満げながらも恋歌は納得してくれた。そしてきちんと記事の下書きも消す。


「でもさ? グループ名、及びタイトルも決まらない、記事も書けない、次は何するの?」


 記事に関しては諦めるのが早いな。俺は立ったまま熟考する。グループ名は2人が考え付かない以上、俺が家で考えてくるとする。記事は帰り道にでも恋歌に指針を伝えて、マイナスにならないような無難なモノを書くように教える。だったら――あ、そうだ。俺は一番にしなきゃいけないことを忘れていた。


「プロフィールをブログの方にも載せよう。むしろ、恋歌のアイドルビジョンのマイページよりも詳細に」


「どういうことかしら? 詳しくお願いするわ」

「アイドルビジョンのマイページの自己紹介欄は、字数制限があって少ししか書けないんですよ。だからそっちには要点だけ記載して、ブログのリンクを貼ればいいんです」


「それでどうなるの?」

「まだ話してなかったが、ブログにはホシノ関連の写真や動画のリンクも貼ろうと思う。いちいち検索しなくても、ブログから全ての関連サイトに飛べるようにしたら、少しはアクセス数が増えるだろ?」


 恋歌と十音先輩が納得する。本当にどうして今までこの発想が出てこなかったか不思議なくらいだ。まぁ、昨日までは正式な部活動ではなく、高校生のお遊びだったし、致し方なくもあるんだが……。


「なるほどね。じゃあもちろん星乃さんのスリーサイズもプロフィールに記載するのでしょう?」

「「え?」」


 2人でまったく同じ反応をする。ス、スリーサイズね……。確かにアイドルの中にはスリーサイズを公開する人もいるから、十音先輩の提案は理解できる。でも、それが自分の幼馴染のモノとなると、正直、筆舌に尽くしがたい……。だって、仲の良い女の子のスリーサイズを知るなんて、男子高校生には刺激がかなり強過ぎる。昨日も恋歌に弁解したが、性欲と恋愛は別物なのだ。

 恋歌を一瞥すると首まで真っ赤に染めていた。


「だってそっちの方がアクセス数増えて、興味を持ってブログから動画を閲覧する人が増えるんじゃない?」


 沈黙が部室を支配した。十音先輩に対して俺と恋歌は黙ったままだ。男だったら、すれ違っただけの人でも一瞬で魅了する美少女のスリーサイズを知りたいと思うが、その美少女とはこれからも仲良くやっていく予定なのだ。ここで恋歌との関係を壊したくない。

 十音先輩の提案を断ろうとすると、恋歌が俺の学ランの裾を握った。


「~~~~っっ、わ、わかりました」

「当然ね」


「でもその代わり、スリーサイズの測定はタク君にやらせて!」

「いいわ、許可してあげる」


「おかしくない!? 頼むからまずは俺の意思を確認してくれよ!」


 俺の訴えは虚しくスルーされた。……え? 本当に俺が恋歌のサイズを測るの? それっておなかやおしり、最終的には胸に触るんだぞ? 俺は心臓の音が耳に聞こえる錯覚に陥った。それは錯覚じゃないかもしれない。でも、それを確かめる術はない。


 いやいや……っ、アイドル、モデル、女優、女性声優、彼女らのスリーサイズを自分で測れます。間違えて胸やおしりに触れても許されます。では、本当に測りますか? なんて質問があったとしても、人間は別に猿じゃない! 理性と自制心があって然るべきだ!

 が……、恋歌に考え直すように視線で訴えると、恋歌の方は熱を帯びた、俺とはニュアンスが違う視線で何かを訴えてくる。



「私は保健室からメジャーを持ってくるわ」


 それだけ残すと十音先輩は部室から出て行ってしまった。あの人なりに恋歌に気を遣ったのか。それは定かではない。


「はぁ……、これは誘惑のつもりか?」

「わかっているなら訊かないでよ。女の子がここまで勇気を出したんだよ?」


 不意に恋歌は立ち上がり、ブレザーを脱ぎ始めた。薄いピンクのブラが、肌色の胸が、そして年相応の谷間があらわになる。さらにスカートも脱ぐ。ブラと同じ色のパンツに視線が集中する。細い太ももと小ぶりなおしりが瞳に映る。久しぶりに俺は恋歌の服で隠れている部分を目視した。芸術作品よりも俺の目を奪う胸、大自然よりも俺の意識を集中させる肌。他のどの女性よりも俺をあおる存在。恋歌は俺が知らない間に魅力的になっていた。


「~~~~っっ、ちょっ、れ、恋歌!」


 俺は回れ右をして部室から脱出しようと試みる。が、恋歌が背後から抱き着いてきた。発育良好で可愛らしい胸が、俺の背中にあたる。肉体的快感よりも、恋歌の胸が当たっている、背後に下着姿の恋歌がいる、そんな『状況』に血液の流れは早くなった。俺に抱き着いているのは幼馴染でもあり、憧れのアイドル。その事実が思考を溶かす。


「大声を出したら誰か来ちゃうよ?」


 思わず注意しようとしたが、言葉を飲み込んだ。


「十音先輩がメジャーを持ってくるまで、服は脱がなくてもいいだろ……」

「そしたら清澄先輩に邪魔されちゃうでしょ?」


 恋歌からしてみれば、この2人きりの状況を利用しない手がないのは分かる。それでも男子高校生には刺激が強過ぎた。


「タク君はわたしに伝えなきゃいけないことがあるんじゃない?」

「? 伝えなきゃいけないこと?」


 恋歌が俺を抱きしめる力を強める。求めるように、ねだるように、離れたくないように、強く、強く、抱きしめる。女の子の華奢な体を感じる。恋歌の体温が俺に伝わってきた。熱くて、なのに優しい。そんな体温。


「再会した幼馴染に、好きな男の子を見返すためにアイドルになった幼馴染に、タク君は言葉にしなきゃいけないことがある。絶対に」


 子供のようにワガママな、態度、要求。

 大人のように自分勝手な、相手から想われたい気持ち。

 勇気を振り絞った恋歌に対する、俺がかけるべき言葉は、もう決まっていた。


「可愛くなったな、見間違えたよ」


 それに反応して恋歌はやっと俺の背中から離れた。俺は気持ちを制御して振り返り恋歌を直視した。確かに可愛い、可憐だった。


「むぅ~、なんか投げやりだなぁ~。しかも遅いし。バカタク君の鈍感」

「悪かったな、鈍感で」


「でも、わたしの体を見た時の反応は合格点」

「なんだよ、その余裕。昨日はエロ画像を発見したらリンゴみたいに顔赤くしたくせに、自分の体をさらすのはいいのか?」


「だ、だって、昨日の画像は本番じゃん! それに他の人にはこんなことしないよ。タク君だから特別! そもそも小学3年生までは時々とはいえ、一緒にお風呂に入っていたでしょ? だから今さらだよ」

「今さらって……年、考えろ。俺だって男だから、この状況は気まずいんだよ」


「ふぅ~ん、私にそんな感情を抱いてるんだ。えっちっ」


 妙に親しみがこもっていた罵倒だった。そんな笑顔で罵られても可愛いだけで対応に困る。落ち着いてきて恋歌の下着姿にも動揺しなくなったが、もし誰かがドアを開けたらまずいことになる。だから恋歌にブレザーを着るように説得を試みようとするが、先に恋歌のほうから会話を切り出してきた。


「ねぇ、この状況ってドキドキしない?」

「当たり前だ。この状況で十音先輩が帰ってきたら言い訳できないぞ」

「違くて。男子高校生とネットアイドルが誰もいないところで密会して、アイドルの方は下着姿なんだよ? タク君はドキドキしない?」


 しているさ。目の前に綺麗になった幼馴染が下着姿でいる。すぐにでも俺の方から抱きしめたいよ。でも、それは恋から来る行動ではない。ここで恋歌を襲っても、恋歌は受け入れてくれるが、きっと俺自身が近いうちに後悔する。


「誘惑しても無駄だぞ。十音先輩が帰ってくるまでに服を着てくれ」

「残念、タイムアップよ」


 背後から禍々しい気配を感じる。冷たく、鋭い彼女独特の怒りに満ちている時の声音だ。恋歌からなら俺の背後にいる彼女の表情がわかるはず。俺は恐る恐る振り返った。


「神聖な部室で何をしているのかしら?」


 そこにはやはり十音先輩がいた。満面の笑顔が超怖い。


「いつから……いたんですか?」

「知りたいの?」

「……遠慮しておきます」


 十音先輩の眼力に負けて土下座を強要される。確かにこれは土下座を強要されても仕方がない状況だ。間違いなく俺と恋歌が悪い。それなのになぜ、恋歌にはお咎めがないのですか? 彼女が一番の原因なのに。こういう時は間違いなく男が不利だ。なんたる失態であることか。


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