導【みち】

堀 むつみ

第1話運命【であい】

山辺 靖

 勝手口の鍵を開けて家の中に入る。短い廊下その向こうにある襖を開けて畳の部屋、さらに襖を開けると正面には仏壇。皺くちゃの母親の遺影を見ながらリンを鳴らす。

 「ただいま。今日、会社終わってきた」

 この部屋には仏壇と箪笥が一つ何もない部屋にリンの余韻が残っているときに小さな声で遺影に話しかけた。

 母親が亡くなってちょうど2年3回忌が終わったところだ。

 2か月前、行きつけの医者から年齢相応のちょっと高価な血液検査を進められた。

結果を聞いたら数値がおかしいらしく大きな病院で診てもらう事になった。

 結果は最悪。

脳と肩に腫瘍があって、脳の腫瘍は手術では取り除くのは難しい所にあるとの事。さらに検査をして、統計上の話だが、寿命が後1年もてばいいらしい。

 幸い症状はまだ出ていない。最初は肩の痛みか目眩から。その症状が出ると意識障害になるのは早いらしい。

歳も55歳を超えたけど、少し早いな。

 出世に興味のないが、仕事もそれなりにこなし周りには信頼されていた、「もうすぐ死ぬ」なんて言える人間なんていない。同僚に迷惑かけるのも悲しませたくない。だから適当な理由をつけて仕事を辞めることにした。

これまで結婚しようとチャンスはあった。女性との駆け引きがめんどうくさくて、いつの間にか今迄の女性は離れていった。30歳を超えたら出会いも極端に減ってきた。40歳を超えたら一人が楽で開き直っていた。

死を前にして、一人で居たことを少し後悔している。

窓の外を見たら雪が降っていた。

終活の始まりだ。

遺言は唯一の身内、妹宛てに一通これだけで済んだ。生命保険・財産・土地・家・その他すべて譲る単純なものだった。妹にはさりげなく「僕に何かあったら仏壇の奥に書類とかあるから頼む」と言ってある。そこに遺言書も一緒に入れた。

妹は嫁に出て隣町に住んでいる。旦那のことはよく知らない。隣町の大きな工場に勤めているらしい。どうも我が家か僕を避けているようだ。僕が年上だからかもしれない。妹夫婦には子供はいないからよく旅行に行っている印象だ。めったに実家の我が家には戻って来ない。

周りの物は会社を辞めるまでの間少しずつ片付けてもう殆ど片付け終わっている。今まで捨てきれない物を殆ど捨てた。家の中が殺風景になった気がする。

死ぬまでに何をするか?仕事を辞めるまでこの2か月探したのが「映画のエキストラ」以前から映画が好きで機会があれば映画館に足を運んでいた。ただ涙もろいから泣ける映画は後でビデオかDVDが販売されてから一人で観る。もし少しでも映画の中に自分の姿が映れば自分が死んでも記録が残る。撮影の方法や機材なんかも興味があった。

情報取集したら、やはり大都市周辺が多い。映画の撮影以外にもテレビもあるようだ。

幸いまとまった貯金を自由にできる。半年くらい都会に住むのもいいだろう。

東京郊外、都心まで1時間ちょっとワンルームのアパートを見つけた。1年契約しかできないらしい。流石都会、痛い出費だけど電気水道代込みでこんなものだろう。

実際部屋に来てみると狭い。流し台もおもちゃみたい。バス・トイレもウサギ小屋。自炊できる必要最小限の道具と布団、車一台に乗る分を持ち込んだ。冷蔵庫と洗濯機は備え付けて合って、インターネットにも繋がるようでノートパソコンも家から持ってきた。

パソコンでメールチェック。早速エキストラの情報が入ってきた。いくつかある中選べるようだ。この中で時間的に行けそうないくつかを選ぶ日にちもバラバラ。明日の分に行けそうなのでメールした。

エキストラと言っても色々あるようだ。衣装がある人。ただ歩く人。裏方みたいな人。場合によっては時代背景に沿って髪を切られる時も。ボランティアだと思っていたら人によっては交通費が出たり、弁当が出たり自分が思っていたより待遇がいい時もあった。

一週間前に雪が降って都心でも雪が積もったがほとんど溶けてなくなった。

この日の撮影は山のほうでロケがあるようで都心から離れた駅に集合、山間の古い町だ。この町ではまだ雪が残っている。駅の周りは居酒屋のような飲み屋と小さなショッピングセンター。ロケはバスで15分ほど移動した学校。年寄りの私には出番は無く肉体労働だった。それでも言われたことをこなした。

撮影。きれいな女優さんが来た。何度かリハーサルした。リハーサルが一回終わるたびに監督と入念な打ち合わせ。流石プロ。本番になると緊張感が走る。何度かシーンを変えて同じ風景の中で撮影が進む。夕方に解散。次の日も同じ場所で撮影があるらしい。

朝、始発で現地に到着。雪の片づけ掃除から始まる。昨日と違う新人担当の方が申し訳なさそうにやってもらいたいことを説明された。別に『慣れているから大丈夫なのだけど』と思いながら。撮影も順調で昼くらいには解散した。

明日の予定は別の所だ。時間もあるので駅まで歩くことにした。やっぱり寒い、少し後悔したが、歩いているうちに寒さを感じなくなった。

コンビに寄った。暖かいペットボトルのお茶を買ってまた駅のほうに歩く。

駅の近くに公園があった。ベンチに座る、日の光が当たって気持ちがいい。

家で作ったおにぎりを1個口にした。なぜかあまり食が進まない。薬を出してお茶で流し込む。

ふと視線を感じる。ほぼ直角の隣のベンチに女の子がいた。中学生かな、髪の毛はボサボサ、服装はずいぶん汚れている、そばかす顔が印象的だ。荷物は中途半端な大きさのスポーツバッグ。こんな時間に。

一瞬目が合う。視線が飛び回っている。不思議な子だなと思いながら、視線の先がおにぎりに行くのが多い、おなかかすいているのか。

「おにぎりあまっちゃんです。良かったらどうですか」

女の子は一瞬きょとんとして、おにぎりを受け取った。

小さな声で「ありがとう」と返事が返ってきた。

びっくりした、おにぎりを受け取った事よりも「ありがとう」の言葉に、最小限の礼儀はあるようだ。

しばらく女の子を見ている。おにぎりを無表情でほおばっている。

おにぎりをたいらげたら正面を見て少し目線を上に向けている。

そろそろ帰ろうと思いベンチから腰を上げる。女の子がこっちを見ていたので軽く右手を振ってその場を駅のほうに向かって歩き出した。日陰は寒い。

「たすけてー」

助けを求める声が後ろから聞こえた。

なんだ?声が聞こえた方を見てみると、さっきの女の子が公園の出口で倒れていた。



浜内 愛

『痛い』声は出ていない。

お父さんがまた正気を無くし、おかしくなって足を蹴られた。勢いと体を支える力が無くなってその場に倒れこむ。今度はおなかを蹴られ反射的にお父さんの方に背中を向けた。また背中を蹴ってくる。意識はあるけど自分の中で何かを切り替える。身動きはできないけど痛さは感じなくなる。瞼も閉じて周りの様子も分からなくなる。

何度蹴られたか分からない。こうなったらお父さんが疲れるまで終わらない。どれくらい時間がたったのか。やっと周りが静かになった。目をつぶっていたからゆっくり目を開けてみる。ぼんやり台所の方が見える。体を動かそうとする。手は動く、でも動かそうとすると左肩が痛い。右腕で体を起こして周りを見てみる。お父さんは向こうの部屋で、布団で寝ているみたい。

ゆっくり這って壁にもたれる。立てる自信がない。

何時からこうなったのかな。

どうしてこうなったのだろう。

小学校の時、お父さんが仕事を辞めてきた。理由は知らない。辞めたのか辞めさせられたのかも知らない。それまでの生活が一変したのは覚えている。

お金を稼ぐためにお母さんは働きに出た。私が中学に入った時だ。お母さんは私を高校に行かそうと必死だった。そのころにはお父さんはお酒に溺れて一日中家にいるようになった。お父さんの暴力も。お酒が無くなった時、気に入らないことがあるとお母さんに、お母さんが居なかったら私に。

喋らない私。中学では友達はいなかった。図書館の目立たない所でいつも本を読んでいた。勉強はそれなりにできたと思う。運動は全然ダメで自覚している。不器用で駄目な私。

中学では誰にも係わらなく一人で居るのが好きだった。

お母さんのことを考えて、私の実力より家から歩いて行ける一番近い公立高校に進学した。

何故だか分からないけど、喋らなくて一人で居ることが好きな私は夏休みが終わって2学期が始まった頃から虐められるようになった。最初は物が無くなった。次はお母さんが作ってくれたお弁当に虫を入れられた。校舎の裏に連れていかれ「気に入らない」と言う理由で正座させられ殴られた。

最後にはクラスの女子から服を脱がされ、ブラウスをぼろぼろにさた。午後から逃げるように家に帰った。

家に帰る途中。以前、中世ヨーロッパの本を読んだことがある。そこで「魔女狩り」の記述があったことを思い出した。

ひと月前、お母さんが居なくなった。

お母さんの勤め先に行ったら、勤め先の人に「若い男の人と一緒に何処かに駆け落ちした」と言われた。心当たりを探しても何も分からなかった。

何時もお母さんがお金を隠してある引き出しの奥に手紙とお金があった。

『愛ごめんね。お母さんもう限界。好きな人ができたの。ちょっとお金を置いていきます。大事に使ってね。元気でね』

短い手紙があった。

お父さんはお酒さえあれば、寝ているだけで大人しかった。

学校にはお母さんが居なくなってから行っていない。行く気にもならなかった。

お母さんが置いていったお金も殆ど無くなった。食べ物を買うことを考えるとお父さんにお酒を買ってあげることもできなくなった。

お父さんが怖い。

今は冬、外は寒いだろうな。

やっと体を動かして服を沢山着た。足が痛い。鞄にできるだけ必要なものを詰め込み、足を引きづって玄関でスニーカーを履く。ドアを開けて、戻れない、もう戻らない。

左足を引きずりながら歩く。行くあてなんて無い。ただ遠くに行きたかった。

寒い。

図書館の方に歩いて、図書館に入った。中は暖かかった。何冊か本を読んで知らない場所に向けて歩き始めた。どれだけ歩いたのか、時間の感覚もなくなってきた。ただ暖かいところを探した。夜になった。神社の鍵が掛かっていない小屋で寒さをしのいだ。風の音が怖かった。いつ扉が開いて人が入ってくるのか。夜が明ける前にそこを出た。ただまた歩いた。足が痛い。コンビニに入ったパン一個買ってフードコートで食べた。人に目を付けられるのが怖くなってまた歩き始めた。

なるべく人のいるところを避けて、目立たないように歩いた。

何日歩いたのかも分からなくなった。雪が降っている。雪が降った夜は風の音が無くなった。吸い込まれるような静けさも怖かった。

橋の下には隠れるところがある。近くから段ボール箱を探して覆うと風を防げる。でもやっぱり風の音は怖い。

最後のお金を使った。もう食べることもできない。どうしよう。夜になった。人気のいない倉庫に入って寒さを避けた。

もう何日食べてなくて歩いているのか分からない。

公園があった。水飲み場で顔を洗って水を飲んだ。水が冷たい。

ベンチに座った。お腹がすいて、足の痛みも忘れていたけどじっとすると足が痛い。足元を見てみると、足を引きずって靴も穴が開いたみたい。

もう私駄目なのかな、このままここで死ぬのかな。『お母さん』

ここ暖かいな。木漏れ日が私を包んでくれた。

隣のベンチに人がいる。かかわりたくない。ベンチの人がおにぎりを食べだした、お米なんて何時から食べてないのか。食べ物を口にしなくて何日たったのかな。

隣の人がこっちを見た。怖くなってその場を立ち去ろうとしたけど体が動かない。目を逸らした。

隣の人が話しかけてきた。怖い。

「おにぎりあまっちゃんです。良かったらどうですか」

怖かったけど、隣の人からおにぎりを受け取った。

「ありがとう」お礼を言った。嬉しい。

ゆっくりおにぎりを食べた。もう少し生き延びられると思った。

隣の人がベンチから立って公園の外へ歩き出した。

『帰るところなんてない』

『どこへ行けばいいの』

何故だかわからないけど必死に後を追う。

足の感覚がない。

急ごうとして足が上がらなくて転んだ。

どんどん隣の人の背中が小さくなる。

動けない。

『行かないで』

『お願い』

「たすけてー」やっと声が出た。



山辺 靖

倒れた女の子の所に走る。

状況が良く分からない。足を痛めているようだ。肩を貸して立たせ、もう一度公園に戻って女の子をベンチに座らせた。

足を見てみる。左足が腫れている。骨に異常があるのか心配だ。医者に診てもらった方がいい。

女の子に家はどこなのか、連絡先を聞いてみるが、首を横に振るだけで何も教えてもらえなかった。困った。

服装を観察してみる。

汚れてはいる。遠目では分からなかったけど、何日も着替えていないようだ。風呂にも入っていない。

これは家出かな

思い切って聞いてみる

「家には帰りたくないのかな」

返事がない。女の子は考えているようだが、家出のようだ。

困った。警察に行くのは簡単だけど、足の腫れは、もしかして暴力を振るわれてできたような傷だった。

女の子の表情が殆ど無いのも気にかかるが、何かに必死になっている。事情があるのか。

名前を聞いてみる

「浜内愛」小さな声で答えた。

頭の中でどうしようか考えてみる。警察に行って保護してもらうのが普通だろう。でも可哀そうになって、足が治るまで様子を見てみよう。

私のアパートに連れていけるか。もし捜索願が出ていれば誘拐犯だな。

良いか、判決が出たくらいには寿命が尽きているだろう。

女の子に

「僕の名前は山辺靖。おじさんって呼んで。君、「愛」と呼んでいいかな」

「今、電車で何回か乗り換えた所の狭いアパートに一人で住んでいるんだ。そこに足が治るまで居るか」愛に聞いてみた。

表情を変えずに首を縦に振った。

愛の足の具合はひどいのか、歩くのがやっとのようだ。階段では肩を貸してあげたりして、通常1時間半の所要時間が2時間半かかった。

アパートに着いたら。夕方4時を回っていた。とりあえず日課でアパートに帰ったらお湯を沸かして、ご飯を炊く。何時もより多くご飯を炊く。

愛は部屋の奥にぺたんと座り目線を踊らしている。着替えはあるかと聞いたが、無いようだ。クローゼットから僕のスエットをとタオルを渡して風呂場に連れていきシャワーの使い方を教えて、出たら着ていた物を洗濯機に入れていくように言った。

「僕は30分くらい買い物に行ってくる。今晩はカレーでも作るから。」

愛は小さな声で「ありがとう」と返事した。

僕は食材を買ってアパートに帰ってきた。

愛はシャワーを浴びてスエットを着て部屋の奥で髪の毛をタオルで拭いている。我が家にはドライヤーが無かった。

洗濯機は回っている。自分で干せるか聞いてみた。できるようだ。

カレーを作っている間にもう干し終わっていた。

カレーを食べている間彼女は無表情だったけど、心なしか安心したように思えた。

食べながら

「明日は仕事があるけど、明後日休みだから必要なもの買いに行くか」聞いてみる。

「これ以上迷惑かけられない。お金使わないで」

驚いた。しっかりお金の価値を認識している。お金を持っているか聞いてみると。小さな財布から十円玉と一円玉が数枚出てきた。殆ど無一文に等しい。

あまり話を聞くのも酷だと思えてきた。

足の怪我はどうなのか聞いてみる。骨に異常がないか心配だ。答えは首を縦に振っていたが、

「明後日医者へ行ってみよう」と言った。

首を横に振る。

「行かないとおじさん怒るからな」

愛はやっと首を縦に振った。

カレーを食べ終えて。愛に手伝ってもらいながら片づけを終えた。パソコンでメールを確認して明日の予定を再確認。

布団は敷布団・掛布団一組と毛布が3枚。窓際に布団をひいて毛布でもう一つ寝床を作った。愛は毛布に入ろうとしたが、私が明日早いから玄関側に寝ると強引に言い張った。ただし、枕だけは貰うことに。私は枕の高さが変わると寝られない人間なのです。

携帯で明日の起きる時間をセットして、電気を消そうと立ち上がり愛の方を見てみる。立てたテーブルの方を見ている。目は合わそうとしない。よく見ると一寸だけあるそばかすがよく似合って幼く見える。電気を消した。

暗い中、愛は目をつむっていたけど目じりを涙がつたっているように見えた。

僕も疲れているのか直ぐに眠りに入った。

目覚ましが鳴った。すぐ消して毛布をたたんで、風呂場で着替えた。愛を見てみると寝息を立ててまだ寝ていた。よっぽど疲れていたのだろうな。

簡単なメモを書いた。そもそも字が読めるか心配だったが。

「食事はカレーの残りを食べて。

知らない人が来てもカギは開けないように。

出ていくときにもカギは忘れないで。」

メモとスペアキーを置いて、外に出てカギを掛けて駅に向かった。

その日の撮影の終わりは3時頃になった。

愛が居るか居ないか。居ない方が気は楽だ。ただ心配だ。お金も無いし、足の怪我も。

帰り道、愛のことばかり考えていた。

アパート部屋の前一息ついて鍵を開ける。愛が部屋の奥から出てきた。愛は自分の服を着ている。ホッとした表情だ。

靴を脱いで中に入ろうとすると、玄関が掃除されて靴も整理されている。

「これ君が掃除してくれたの?」

愛に聞いてみると首を縦に振った。

「助かった。まだここに来てまともに掃除したことがなかったんだ。」

愛の靴があった。右の靴底に穴が開いている。左の靴も引きずっていた方がすり減って変な形をしている。これは使えないな。

部屋に入ると部屋も整理してあった。そういや今までは、何もかも手が届くところにあったな。逆に落ち着かない所もある。

ご飯を炊いて昨日の残りのカレーを二人で食べる。思ったよりカレーが減っていない。愛はあまり食べてないのか聞いてみた。

「昼ご飯を食べた」

昼一食だけで体が受け付けなくなっているのか。でも晩御飯のカレーはきれいに完食した。

愛と話をしてみる。

生年月日を聞いてみた。

驚いた。中学生くらいに見えたけど、16歳高校1年生だそうだ。

後、保険証持っているか聞いてみると。首を横に振った。明日、病院は実費になるかな。病院行く前に銀行行かないと現金が無い。

昨日と同じように愛と一緒に食事の後片付けをして、自分はシャワー浴びる。愛は僕が帰えってくる前にシャワーを浴びたらしい。

シャワーを浴びて出てくると布団と毛布がひいてあった。今日は毛布の方に愛は座って、枕も布団の方に置いてある。

遠慮しているのか。

「日替わりで変わろう」提案してみた。

愛は首を振って毛布の方を叩いた。

変なところで頑固だな。

今日の撮影も雑用だった。担当さんまだ新米さんで大変そう。上の人から沢山怒られていたな。怒られる理由がまだ解らないのだろう。仕方がない何をすれば解らないのだから、今度から少しフォローしてみよう。

パソコンを開けてメールチェックしてネットで情報収集。愛がこちらを見てくる。珍しい表情だ。パソコンを愛の方に向けて使わしてみる。初心者以上にパソコンは使えるようだ。

そうだ。愛は携帯を持っていなかった。自分の携帯を渡してみる。やっぱりあまり使い方が分からないようだ。僕も今のSNSは苦手でアプリは入っているが、使用はしていないのに等しい。そう言えば撮影所の担当さんも、便利だから進められた記録がある。

明日は7時に目覚ましをかけて電気を消した。薄明りの中で愛を見てみる。目をつむっている。心なしか昨日よりはいい表情だ。

朝、目覚ましが鳴った時には愛はすでに起きていた。もう着替えて外出できる準備はできているようだ。銀行が開く9時前に部屋を出れば良いのに。昨日炊いたご飯をインスタントの味噌汁とふりかけで食べ、余りをおにぎりにした。具は無い、塩で味漬けただけのもの。カレーは沢山作って今日までの分はある。帰りは野菜物を買ってこよう。

銀行が開く時間に間に合うように愛と部屋を出る。靴は私の外用のサンダルを履かした。

銀行でお金を下ろして、近くの整形外科に行く。やっぱり保険証が無いから実費になるようだ。一応叔父でうちに遊びに来ているときに足を怪我した事にした。

暫くして名前を呼ばれて診察室へ。やっぱりレントゲンを撮るみたいだ。その間、僕は待合室へ。診察が一通り終わって結果を聞きにまた診察室へは僕一人だけ呼ばれた。最初に足の怪我の説明を受けた。骨には異常はないとの事、シップを張って時間がたてば治るみたいだ。

医者から最後に「虐待の可能性がある」と話があった。背中の痣と左肩に打撲の跡が有るらしい。

医者は警察に報告しないといけないみたいだ。ここまできたら誤魔化そう。

「父親から暴力を振るわれ。愛の母親から一時的に預かっていて、こちらも大変なのです」同情をひくような言い方をした。

清算する時少し負けてもらった。作戦成功だ。それでも一万円は超えていた。

愛は後ろで無表情にこちらを見ていた。

病院から出たらちょうど昼時。おにぎりでも食べようとショッピングセンターの隣の広場でおにぎりを私が2個、愛が1個食べた。ペットボトルにお茶を入れてきた。のどを潤す。ついでに僕は薬を飲む。

病院で足の骨には異常なく、安静にして時間がたてば腫れも引いて治ると愛に伝えた。

ショッピングセンターに入る。愛に靴を買うから選ぶように言う。愛は少し悲しそうな顔して首を横に振る。

「ええんや」関西弁でやんわりと。

一番安いサイズの合う靴を選んできた。980円だった。

お金を払った後、愛は袋に入った靴を大事そうに抱いて持っている。

「大事にする」愛は小さな声で言った。

素直な言葉に笑みがこぼれた。

帰りに食品売り場で野菜とカツフライを買った。

帰り道。部屋にずっといるのは退屈だろうと図書館や広場の場所を教える。図書館の中に入ってみる。休館日は木曜日で土日もやっているらしい。ここはアパートの部屋にいるより安全かも。良い所を見つけた。

そうだ。愛は掃除洗濯については普通にできるようだが、料理はどうか聞いてみた。

首を横に振る。

アパートに帰ってきた。

買ってきたものを冷蔵庫に入れていると、愛は足の包帯が痛々しく見えるのに靴を家の中で履いて靴紐の調整している。表情は無いけど嬉しそうだ。足の状況も骨に異常が無くて良かった。だけど、肩と背中に怪我があったのか。いったい何があったのだろう気になる。

一週間が過ぎた。

お互い、あまり喋らない。

愛は図書館で料理の本を見ているようで、今度の休みに買い物に連れて行ってくれと言ってきた。

足の腫れはほとんど目立たなくなってきた。狭い部屋の中を歩き回っている。来た頃より体力もついてきたように思えるし、顔色もいい。

その日、晩御飯の後、愛に「明日休みだから今晩はゆっくりしようか。それと明日は買い物行こう」ここに来てから僕と合わせて早く寝るから。図書館で借りてきた本をゆっくり読みたいと思って言ってみた。

愛は何もせずに何か考えている。僕は先に寝る準備に取り掛かる。愛も途中から自分の分の毛布をひく。

お互いが寝る準備を整えたら、愛は風呂場の方に行った。

布団に入って横になる。

愛が上の服を脱いでスポーツブラだけで毛布の上に座ると、僕に妻が居るか聞いてきた。

僕は体を起こして

「居ない」と答えた。

愛は顔を赤らめて僕に抱き着いてきた。

愛の体は細く抱き着いてくる力も弱かった。

困った。このまま感情が高ぶると僕が死んだ時に愛がまた嫌な思いをする。

大きく深呼吸をして冷静になった。

両手で愛を僕の体から離した。

「僕は胸が大きい人が好きなんだ」悪いと思いながら言った。

愛は空いた両手を胸に当て赤らめた顔が膨れたと思ったら、右手のビンタが僕の顔にヒットした。

『いたー』

愛は、立ったと思ったら風呂場に行った。



浜内 愛

転んだ私の所に隣の人が来てくれた。足の怪我を見ている。

「大丈夫か?」答える事ができない。

隣の人は私を立たせて、肩を借りながらまたゆっくり公園のベンチに戻った。

名前を聞かれて名前は答えた。相手も名前を名のったけど「おじさん」と呼んでくれと言いった。

おじさんの住んでいる所に足が治るまで行くことになった。どうしよう。

体が重たい。

おじさんはバックを持ってくれた。階段では肩を貸してくれて歩くスピードも私に合わせてくれた。

「ありがとう」を何度言ったか分からない。

駅に着いておじさんが私の分の切符も買ってくれた。『ごめんなさい』言葉に出なかった。電車では私を椅子に座らせてくれて、目の前に立ってくれた。このおじさんは私なんかを何で助けてくれるのだろう。不思議に怖さを感じなくなってきている。行くあてもない、付いて行くしかないと思った。

電車を乗り換え目的地の駅に着いたみたい。

アパートが近くなってきたのかおじさんにおんぶされた。背中が温かくて大きい。

『おじさんありがとう』

アパートの部屋に着いた。部屋に上げてもらった。部屋の中が気になった。少し怖かった。

おじさんはてきぱきと動いている。シャワーの使い方と洗濯機の使い方を教えてもらった。それと着替えを用意してくれた。近くに買い物に行ってくるらしい。外に出て行った。

お米の炊く音がしている。一人になったら落ち着いてきた。体を動かす。

少し熱い目のシャワーを浴びる。

シャンプーがあった。髪を洗う。

足が痛い。でも気持ちいい。

おじさんから借りた服を着たけどやっぱり大きい。着ていた服を洗濯機に入れて洗剤をかけて回した。

どうしよう親切なおじさんにこれ以上迷惑かけられない。でも、もう帰るところなんてない。

おじさん助けてくれてありがとう。きっといつか恩返しするから。

おじさんが返ってきた。カレーを作るらしい。野菜やお肉の臭いがしてきた。お母さんが料理している時を思い出した。洗濯機が止まった。部屋にある洗濯ロープにハンガーで洗濯物を干していく。

小さなテーブルにカレーをおじさんが用意してくれた。私には少し量が多かった。でも美味しい。

おじさんに「必要な物は無いか」聞かれた。

これ以上お金使うと返せない。おじさんに迷惑かけたくなかった。

「これ以上迷惑かけられない。お金使わないで」答えた。

足の怪我も聞かれた。おじさんは心配しているみたい。病院に行くように言ってきた。

お金を使ってもらわないように断ったけど行くことになった。

おじさんは明日朝が早いみたいで、玄関に近い方に寝た。布団に移った。久しぶりに布団に寝られる。

部屋が暗くなった。布団に入った。

ありがとうおじさん。

朝、起きたらおじさんは居なかった。

メモがあった。

顔を洗って、干した洗濯物を触ってみると、暖房のおかげで乾いている。私のバックの中にまだ洗いたいものがある。昨日のタオルも洗濯機の中に入れた。

次は部屋の掃除を始める。私にできることはこれだけかな。布団と毛布を干そう。

窓を開ける。日が当たってくるけど風が冷たい。部屋の空気が変わる。こんな日が来るとは思わなかった。昨日までは必死だった。追い詰められて歩くことしかできなかった。

普通に深呼吸ができる。気持ちがいい。

おじさんの顔が浮かんだ。

早く部屋を掃除しないと、洗濯も。足は痛いけど体が軽い。

掃除が終わったら、ご飯を少しだけ食べた。気が付いたら服はおじさんから借りたままだ。シャワーを浴びて自分の服に着替えた。

暫くするとおじさんが帰ってきた。顔が見たくて玄関に行った。

おじさんが「これ君が掃除してくれたの。助かった。まだここに来てまともに掃除したことがなかったんだ。」

良かった。おじさんの役に立った。

テーブルでご飯を食べる。

おじさんが話しかけてきた。

誕生日と学年。明日病院行くから、保険証の事も聞かれたけど持っていない。どうしよう。

ご飯を食べ終え、おじさんと二人で洗い物をして、おじさんはシャワーに行った。出てくるまでに。昨日のように布団と毛布を準備した。今日の朝は眠っていて、おじさんが起きて部屋を出て行くのが分からなかった。今度からそんなことが無いように玄関に近いほうに寝る。

おじさんがパソコンで調べ物をしている。学校で習ったからインターネットや簡単なプログラムが少しできる。何をしているのだろう。おじさんはパソコンを貸してくれて、中に入っているプログラムやアプリを調べてみた。必要なものは最低限そろっている。

スマホも貸してくれたけど、使い方が全く分からなかった。

おじさんが電気を消して布団に入る。

こんな今日が来るとは思わなかった。明日はもっといい日でありますように。おやすみなさい。

朝、目が覚めた。外はまだ暗い。でも部屋の中は十分見える。おじさんはまだ寝ている。ゆっくり起きて、おじさんを起こさないようにお風呂場で着替えた。部屋に戻るとちょうど目覚ましが鳴っておじさんが起きた。

あまり食べられなかったけど朝ご飯を簡単に済ませた。

おじさんと一緒におにぎりを作った。おじさんのおにぎりは真ん丸。私は三角。おじさん海苔買うのを忘れたようでそのままラップに包んで袋に入れた。おじさんは水筒にお茶を入れて、袋と水筒をいつもおじさんが肩から掛けている鞄に入れた。

部屋を出るときにスリッパを出されて履いた。もう私の靴はダメみたい。どうしよう。

やっぱり歩くと足が痛い。ゆっくりしか歩けないけど、おじさんは歩くスピード合わせてくれた。銀行によったけどおじさんはすぐに出てきた。

病院に着いた。人が沢山いるところは見られているかと思って落ち着かない。名前が呼ばれてお医者さんから足を見られてレントゲンを撮るみたい。おじさんは待合室に行った。心細い。レントゲン室へ案内されて、小さな板を置いてその上に足をのせて2回「パシャ」と音がした。診察室に戻ったら先生に肩から腕にかけて服の上から触診。背中見るからと後ろを向いて看護婦さんに上着少し上げられた。何だろう?

今度はおじさんが診察室の中に入っていった。暫くしておじさんが出てきた。すぐに受付に呼ばれた。お金を払うみたいで1万円札を出していた。

『ごめんなさい』

近くの広場で朝作ったおにぎりを食べた。

靴屋さんに入った。

「自分の靴を選んで」と言われた。でもこれ以上いらない。おじさんから説得された。淡いピンク色のラインの入った靴を見つけた。可愛いし値段も。見つけた一瞬で一目惚れ。

嬉しかった。

帰り道に図書館に寄った。いっぱい本があった。広いし近くには公園があって。おじさんは「昼間時間があったらここに来ていいよ」と言ってくれた。

アパートに帰ってきた。部屋に入ったら嬉しくて靴を履いた。サイズもちょうど。

おじさんは、朝早く部屋を出ていく。帰りはバラバラでいつ帰ってくるか分からない。

図書館には図書館が休みの日以外は毎日通った。いっぱい読みたい本があって読み切れない。

足のシップはまだ張っているけど、腫れも引いて、もう痛くなくなった。

おじさんとの約束では「足が治るまで」だった。どうしよう。ここには居られなくなる。

おじさんとは離れたくない。一緒に居たい。

おじさんに奥さんはいるのかな。

正直に聞こう。

私、おじさんに恩返しするのに抱いてもらう事しか思い浮かばない。

自分が汚れてしまうような気がした。

おじさんが仕事から帰ってきた「明日は休みだから今日の夜はのんびりしようと」言ってくれた。私の気持ちをぶつけるのは、今日しかない。覚悟を決めた。

恥ずかしかったけど、奥さんが居ないことを聞いて、おじさんにハグをした。言葉が出なかったけど『おじさん一緒に居させて』

おじさんが私の体を少し遠ざけた。

「僕は胸が大きい人が好きなんだ」

何なの?私胸大きくない。おじさん私のことが嫌いなの。恥ずかしくなった。おじさんのバカ。体が勝手に動いておじさんを殴っていた。慌ててお風呂場に行った。

我に返って、おじさんを殴ってしまったことを後悔した。

もう何が何だか分からない。いろんな思いがこみ上げてくる。

『あやまろう』

服を着てお風呂場から出て。おじさんの目の前に座った。



山辺 靖

愛が風呂場から服を着て出てきて僕の前に座った。

僕から喋った「ごめんな。おじさんは人恋しくて、愛にやさしくし過ぎたかも知れない。愛、自身が自分を見失ってしまうのも仕方がないと思う。きっと一時的な気の迷いだよ。ごめん。」

今度は愛が首を振ってあやまってきた。

愛からもう足の怪我も治ってきたから約束通りに部屋を出ていくと言ってきた。

忘れていた最初に会った時に公園で「足が治るまで」って言った記憶がある。

愛に「ここを出て、行く当てはあるのかと」聞いてみた。やっぱり首を横に振った。

「いいよ、暫くここに居て」

珍しく「うん」と言葉に出して首を縦に振った。

ただずっとと言う訳にはいかない。僕の寿命もあるし。それに場合によって僕は犯罪者だ。

気になることもある。医者から虐待の可能性を言われ。今までどんな生活をしてきたのか。思い切って愛に聞いてみることにした。

「僕と一緒にいるのに。どおしても愛の家族の事。何故一人でいるのか教えてもらわないとこまるから正直に教えて」

愛は話し始めた。

家族は、親父さんとお袋さん、愛の3人家族。祖父母は健在らしいが、何処にいるかも分からないみたいだ。完全に縁が切れているようだ。何か事情があるのか?

3年前くらいから親父さんが酒を飲んで家で暴れるようになって家庭が崩壊したようだ。

愛の怪我はそのせいか。

お袋さんも家を出て行方不明。頼る人もいなくて逃げ出したくなる気持ちも分かる。

愛は淡々と身の上話を続けているが、僕の尺度では考えられないような話で、涙もろい僕は涙が止まらない。

家を出た後、何日さ迷ったのか、何処を歩いたのかも分からないらしい。必死だったのだな。さらに号泣した。

やがて愛は喋るのを止めた。部屋は静かになって、遠くから車の走る音がかすかに聞こえてきた。

やっと冷静になって考える事が出来るようになってきた。

考えてみれば悪いことすれば食べ物も手に入っただろうし、楽できたと思う。でも、愛は人に迷惑をかけなかった。

それに、これだけひどい目にあって絶望して自殺したくもなるだろう。生きることを選択し続けた。愛と言う16歳のか細い女の子に凄さと心の清らかさを感じた。

「愛、明日おじさんも行くから愛の家に行ってみようか。大丈夫、親父さんが何かしてきても守ってやるから」

暫くして、愛は首を縦に振った。

住所を聞いたら驚いた。都心を超えた向こう側の県だ。インターネットで路線と所要時間を調べる。やはり遠い。

明日は8時にここを出ることにする。

「もう寝ようか」と愛に言って明かりを消して布団に入った。

寝る時に僕の左手と愛の右手が当たった。少し震えている。軽く愛の右手を握ってあげた。愛は体の向きを変え両手で僕の左手を握ってきた。

翌朝、最近僕より早く起きていた愛がまだ寝息を立てていた。僕が体を動かしたら気が付いて起こしてしまった。

やはり親父さんと会うのは怖いのか。いつも無表情な愛が不安そうだ。

今日親父さんと会うことで愛もどうなるか分からない。不安で当然だ。

8時に部屋を出る。電車を乗り継ぎ最寄りの駅に着いた。昼前だった。愛に「今日は外食しよう」と行ってラーメン屋に入る。初めて気が付いた愛はラーメンを食べるのが下手だ。髪の毛が気になってうまく口に持っていけない。笑ってしまった。何とか完食して、バスまで時間があったから駅前のコンビニで髪を止めるゴムみたいなのを買ってあげた。

愛の家は高度経済成長期に出来た公営団地の一角らしい。外見は最近外装を直したらしく奇麗に見える。10棟ほどある中の真ん中で部屋は3階、階段を上がる。僕がブザーを鳴らす。いくら鳴らしても返事がない。愛は水道メーターか何かが入った扉を開けてスペアキーを出してきた。

中に入ってみると、きちっと整理されている。暫く人が住んだ生活感が無い。

嫌な予感がする。

愛に「隣の人は」と聞いてみると外国人らしい。

愛は右に行って2つ目の棟1階のブザーを鳴らした。標識の横に「自治会長」の文字が。

初老の女性が出てきた。愛を見て「浜内さんの娘さん」驚いた表情を見せた。

「主人はもう少したったら戻ってくるから集会所、今誰もいないからそこで待っていて」

愛に集会所に連れて行ってもらった。

僕は落ち着かないから外で待っていた。

さっきの初老の女性と二人の年配の男性が一緒に来た。集会所の中に入り、折り畳みのテーブルを挟んでパイプ椅子に全員が座る。

愛は無表情だ。

年配の男性から僕の身分を聞かれた。

正直に一週間前に足を怪我した愛を見つけて家で保護して、事情を聴いてここに連れてきたと。

年配の男性は髭がある人が横山さんで自治会長をしている。もう一人は小山内さんで自治会長の補佐をしているらしい。

自治会長さんが喋りだした。

ひと月前、愛の親父さんが、近くの用水路で、遺体で発見されたらしい。上流に転落した跡が有り事件性は無かったらしかった。

愛が行方不明になっているのが問題になったみたいだ。近所では愛の姿がその前から見当たらなくなって、母親と一緒にいるかも知れないが、家出ではないかという事になり、捜索願を警察に出したとの事だった。

愛の親父さんは火葬され遺骨は近くの警察署にあるらしい。

自治会長に愛が住んでいた部屋は使えるか聞いてみた。電気ガス水道ともまだ止めてないから使っても大丈夫らしい。

愛は無表情だ。話し合った方がいい。

集会所の外に出た。目の前に広場があった。二人で広場に、ちょうどいい高さの花壇の縁にあるブロックに腰かけた。

ここに来てからの愛の様子がおかしい。まるで感情が無い。心がどこかに行ってしまったようだ。

「僕も親父さんが愛にしたことは許すことはできない。でも恨んだって何も始まらないし、愛にとってはたった一人の父親だ。送ってあげよ」

愛に表情が変わった。何かにおびえるような表情になり、体が震え始めた。

「おい大丈夫か」

愛は立って自分の部屋のある方へ歩き出した。追いかけるが、何が起きているのか分からない。

二人で部屋に入る。

奥の部屋で愛は座っている。静かだ。

僕は待つことにした。愛が正面に見えるところに腰を落ち着ける。

最近、日は長くなってきたがまだ日の沈むのは早い。愛はゆっくり立って西日に当たる窓際からこっちに来た。

「おじさんごめんなさい。色々あって怖くって。もう大丈夫」

良かった。ホッとした。

今日はここに泊まることにした。

それと撮影所の担当者に不幸があって暫く休む電話をした。

酷かもしれないけど、これからどうするか愛と話をした。

やはりここには居られないようだ。良い思い出無いからな。

近くのスーパーで弁当と食料を買ってきた。

明日は町会長さんともう一回話しをして。警察に行って、考えるだけで忙しそうだ

夜、この部屋は寒い。暖房器具はストーブ一つ。ストーブに火を入れた。食事を済ませた。

布団に入って愛は「また左手貸して」と言ってきた。また微かに震えていた。

朝、起きたら愛は起きていた。ストーブを点けてくれたようで、パンを焼く準備をしていた。食事を済ませて外へ出たら自治会長さんたちは、登校している小学生たちの誘導員をしていた。9時に集会所で話すことになった。

愛と一緒に時間通りに集会所に行ったら自治会長さんと小山内さんは、昨日の場所に座っていた。

単刀直入にここを出ることになったと説明した。残った家財道具の処分ができないか相談した。驚いたことに専門業者がいるらしく安く処分してくらしい。この団地でも高齢者の単独世帯が多く孤独死が有りそのような業者を頼んでいるらしい。遺骨も何年か預かってくれるお寺を紹介してもらった。

「孤独死」嫌な響きだ。明日は我が身かもしれない。

次は警察だ。手続きが大変だったが遺骨を受け取った。後は捜索願の取り下げだけどこちらも事情調書二人とも別々で聞かれた。

問題は愛の親権で、簡単には他人が持てない。当然だ。住所変更も含め民事事項になるみたいで市役所で相談してくれとの事だった。

今度は市役所で親父さんの死亡届と愛の転出届。親権については両親が居ない場合児童相談所に行かないといけないらしく。「ははは、さっぱり分からない」

一日が終わった。親権については分からない。少なくとも愛と居て犯罪にはならない状態にはなったと思う。

遺骨を持って団地に帰ってきたら、自治会長さんが来てくれた。状況を説明した。自治会長も明日には処分業者が見積もりに来てくれるのと遺骨を納めるお寺にも連絡してもらった。

愛の周りの人はいい人ばかりで助かった。

日が沈みかけたころに部屋に戻ってきた。

愛に「警察に何を聞かれた」聞いてみた。

どうやらありのままに答えたらしい。

僕も愛と出会ったことを時系列で話しただけだった。

食事を済ませ。もう一度先のことを話しする。僕が住んでいる今のアパートも近く引き払って田舎に帰ること、愛自身の今後のこと。

明日は荷物の片付けだ。

今日もまた愛は「左手貸してほしい」と言ってきた。よっぽどこの部屋で怖い思いをしたのだな。

愛にお袋さんってどんな人か聞いてみた。「料理が美味しくて、働き者でやさしくて、おじさんと一緒」少し照れた。

朝、衣装ケースに愛の必要な物を詰め込む。着替え夏物冬物。勉強の道具。使えそうな物。ドライヤーもあった。食器も少し持って行く事にする。これは結構な量だ。アパートの部屋に入りきるかな。

お寺に遺骨を預けてきた。

明日、レンタカーを借りて荷物を運ぶ事にする。これで引っ越しの準備は完了だ。

夜になると、愛も慣れない仕事で珍しく疲れたようだ。頑張ったみたいだ。

翌日の朝から3階の部屋から荷物を下ろしていると自治会長さんたちが手伝いに来てくれた。すぐに荷物の移動は終わった。レンタカーを取りに行っている間に愛に「皆さんにお茶を出して休憩してもらって」と伝えた。

レンタカーに荷物を積み終わった。

自治会長さんたちに話があった。向こうも僕に話がったらしく集会所に入った。

自治会長さんから話し始めた。

「あんた浜内さんとこ娘さん助けてくださったんだね。すごく感謝しとった。」少し照れた。

「実は、何年も前から浜内の旦那がアル中で、家で暴力振るっていたのは知っていた。可哀そうだと思っていたけど助けられんかった。うちらも仲間が出て減ったり、亡くなったりと大変だった。今でもこの団地に一人で動けん人、何人もいるから。関りを避けとった。可哀そうなことをした。なんとか浜内さん娘さん頼みます」

これから先、自分は死ぬとは言えずに

「わかりました全力を尽くします」と答えた。古い物は忘れられていく。この人たちも苦労している。都会も田舎も変わらない。僕も、お袋が倒れた時近所の人に助けてもらった記憶がある。

今度は僕が話を始めた。

「愛のお袋さん。愛の話では悪い人ではないようです。いつかきっとここに帰って来ると思います。僕の連絡先を置いておくのでお願いします」

自治会長さんたちは頼もしい返事をしてくれた。嘘は無いだろう。

出発の時には、皆さん見送ってくれた。自治会長の奥さんは涙を流していた。

『ありがとうございました』心の中で感謝した。愛も皆さんへ手を振っていた。



浜内 愛

お風呂で服を着て、もう一回おじさんの前に座った。

おじさんがあやまってきた。何故だか分からなかったけど。

「もう足の怪我治ってきたからここを出てく。おじさんには何もお礼ができなくて、どこにも行きたくなくてこんなことしちゃった。ごめんなさい」

おじさんは「暫くここにいていい」と言ってくれた。良かった。ほんとに嬉しい。

おじさんからなぜ一人で居るのか、お父さんやお母さんは何をしているのか、家族のことを話してほしいと言ってきた。

お父さんお母さんの話と学校の話をした。おじさんは涙を流してタオルで拭っている。

明日、私の家に行く事になった。もしかしたらお母さん帰ってきているかな。お金なくなってお父さんおかしくなってないかな。また殴られないかな『怖い』

寝るときおじさんが手を握ってくれた。『ありがとう』おじさんが居れば大丈夫。

朝おじさんと一緒に目が覚めた。

駅に着いて昼前だったからご飯を食べにラーメン屋さんに入った。ラーメンなんて久しぶり。髪が伸びてうまく食べられない。おじさんが髪留め買ってくれた。

団地に向かうバスに乗った。何時も見た景色。通った小学校を通り過ぎる。団地が見えてきた。バス停に停まって、私とおじさん二人だけが下りる。家まで歩く。景色が白と黒だけになってくる。不安でいっぱい。

家に着いておじさんがドアを開けようとして鍵が掛かっている。鍵が置いてある場所を見てみると鍵があった。部屋に入ると奇麗に片付いていた。お母さんが返ってきている。でもお父さんはどこに行ったの?もしかしたら二人で私を探しに行っているの?

おじさんが心当たりを聞いてきた。横山さんしか知らない。おじさんと一緒に行ってみる。

どうしよう私が居なくなって大変なことになっているの。

横山さんの奥さんから「集会所で待っていて」と言われおじさんと一緒に待っている。

横山さんたちが来た。

お父さんが亡くなったと聞かされた。

どうして?私が居なくなったから?ごめんなさいお父さん。お父さん殴らないで。

おじさんの「お父さん送ってあげよ」の言葉でやっと落ち着きを取り戻したけど、お父さんが亡くなったのが私のせいかもしれないと思うと急に体が震えてきた。心の中ではお父さんが居なくなって少しだけ何かが楽になった私がいる。自分自身に嫌悪感が湧いてきた。

家に帰ってきたお父さんの部屋に入った。お父さんが蹴った箪笥の穴が目に入った。

怖かったな。おじさんの言う通りに、たった一人のお父さんなのだから送ってあげようと考えたら落ち着いてきた。

おじさんに「大丈夫」と伝えた。

おじさんからこのままここに居るかどうするか聞かれた。

怖くってここに一人ではいられない。おじさんと離れたくない。離れられない。一緒に居たいからやっぱり家には居られない。

電気を消して寝ようとしたら、お父さんから殴られたことを思い出す。やっぱり怖い。

おじさんの手を握った。

ずっとおじさんに付いて行こうと決めた。

翌朝早く目が覚めた。ストーブを点けて部屋を暖める。

朝ごはんを食べてからおじさんと横山さんたちと話をした。私はおじさんの横で話を聞くだけだった。

警察署でお父さんの遺骨を受け取った。そのあと、私一人で婦警さんに連れられて小さな部屋で、お父さんの事やお母さんの事おじさんの事を聞かれた。

婦警さんはすごく心配してくれて「何かあったらいつでも相談に来て」と言ってくれて連絡先の書いてあるカードをもらった。

1時間くらいで話は終わっておじさんの顔をやっと見られた。

すぐ近くの市役所に行った。おじさんがいろんな手続きをしてくれた。お父さんお母さんがいないから、まだ手続きが中途半端になったみたい。おじさんと居られればいい。

家に帰ってくると横山さんと会って、またおじさんと話をしている。引っ越しの打ち合わせをしているみたい。

晩御飯を食べ終わってからおじさんがこれからのことを話し出した。

おじさんの仕事は映画のエキストラや雑用の仕事で切りが良いところで辞める予定みたい。

今住んでいるアパートもあと数か月もせずに引っ越しておじさんは実家に帰るらしい。

行く当てのない私は「おじさんについていく」と言った。

実家に帰ったら学校なんかどうするか聞かれたけど直ぐには答えられなかった。おじさんは「時間はあるからゆっくり考えよう」と言ってくれた。

おじさんは「実家に帰るまでにやらないといけないこともあるな」と呟いていた。

今日も寝るときおじさんの横で手を握らせてもらった。不安が無くなって安らぐ。

おじさんがお母さんの事を聞いてきた。

「料理が美味しくて、働き者でやさしくて、おじさんと一緒」と答えた。

お母さん元気でいてくれているかな。

翌日は、引っ越しの荷物つくり。私、不器用だから時間がかかってなかなか進まないけどおじさんはてきぱき荷物を箱に詰めている。凄いな。

お昼過ぎにおじさんとお父さんの遺骨をお寺に預けに行った。30分くらいで終わった。

おじさんから、「この場所一人でも来られるようにしっかり、お寺の名前と場所を覚えておくんだぞ」と言われた。

次の日は、引っ越しで横山さんたちも手伝ってくれた。

荷物を車が入るところまで下ろしたらおじさんは車を取りに行った。皆さんにポットからお茶を出す。

横山さんが話しかけてきた。

「そういやあんたが生まれたころは良かった。団地のみんなで喜んだ。あんたの父親も母親も仲が良くて幸せそうだった。何時からだろうなこんなふうになったのは。ほんとすまん」横山さんが誤ってきた。

「あんたが一緒にいる男は親戚か何かか」

首を横に振って

「私を救ってくれた人」

「そうか」一呼吸おいて横山さんが答えた。

おじさんが車で帰ってきた。荷物を車いっぱいに詰め込んで出発。

横山さん皆さんで送ってくれた。手を振ってこたえた。

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