第1部 第2章(6)帰るまでが遠足だ

 悟郎が立ち上がる。立っている者は悟郎の他に一人だけだった。その男は悟郎と対峙したものの戦端を開かなかった、澄んだ目が印象的だった男だ。

 

 悟郎はある程度近づいたところで槍を構える。男も肩に担いでいた槍を構える。槍の長さはどちらも同程度で、間合による優劣は対して存在しない。お互いの槍と槍とが触れ合わんばかりの距離まで詰め、互いに牽制をしあう。

 男が槍を突いてきた。悟郎はその槍をはたき落とし、間合を詰め、男の頭をめがけ槍を振り下ろす。殴打に突きを加えて攻め立てる。しかし、決定的な打撃を与えることはできず、男は悟郎から距離をとった。


 今度は悟郎が仕掛けた。槍を払い、一気に詰め寄る。顔を目がけ突き入れる。男は膝を抜きつつ上体を反らす。

 悟郎の槍先は男の顔面から反れ、自身の頭部と兜との間に挟まる。出血はあったが、顔面を刺し貫かれることに比べたら大したことはない。

 悟郎はすぐさま槍を引こうとしたが、相手の動きが速く、柄を掴まれた。悟郎は握りを緩め、男との距離を縮める。

 悟郎は右拳の裏で対戦者の顔面を狙う、と見せかけて腰に差した相手の短刀を奪いに行く。短刀の柄に手をかけ、体をひねりながら抜く。さらに、相手の顔面を刺し貫こうとする。

 

 男は右手に持った悟郎の槍を手放し、悟郎の顔を殴る。悟郎の意識は危うく飛びそうになる。さらに男から左拳も飛んできたが、右腕で防いだ。

 悟郎は男から距離をとる。男も悟郎が後退している間に、自分の槍を拾う。

 悟郎は男の短刀を投げ捨て、再び両手で槍を構える。殴られたせいで悟郎の鼻から血が流れる。鼻が詰まり、口での呼吸を余儀なくされる。

 悟郎は武者震いがした。心の底から、体の芯から湧き上がってくるのは歓喜だ。覚えず、笑みがこぼれる。

 槍の間合よりもさらに3メートル程度空けて悟郎は相手と対峙する。しかも二人の間には障害物のように死体が転がっている。向こうが距離を詰めようとしてもその分下がる。観覧席から野次が飛ぶが、悟郎は気にした素振りを見せない。


 距離を空けて対峙している間に悟郎の鼻血は止まった。鼻から血を絞り出す。多少息苦しさは残っているが、隙だらけの口呼吸を続けるよりもましだ。

 悟郎から時間の感覚がなくなっていた。長いことこうして戦っている気もするし、1時間も経っていないような気もする。ただ、消耗が激しいということだけが分かっている。対峙しているだけでも着実に気力も体力も消耗していく一方だ。殴られたダメージもあるのか、もやがかかったように頭の中がすっきりとしない。


「さてと」

 悟郎は決着をつけようと心に決めた。転がる死体を迂回して、彼我の距離を詰め、槍の間合とする。そしてさらにじりじりと間合を詰めていく。

 相手は槍の穂先を下げた防御の姿勢をとる。その分、間合が短くなる。悟郎はなおも間合を詰める。ゆっくりと少しずつ詰めていく。

 相手が構えを変えようとする。悟郎は一気に間合を詰め、槍を突き出す。相手の槍は悟郎の左ふとももを切り裂く。一方、悟郎の槍は相手の胴を突き刺した。重傷とはならなかったものの、男は突きの衝撃で体が泳ぐ。しかし、悟郎の槍は衝撃に耐えきれず、柄が折れた。槍を手放し、短刀を抜き、悟郎は相手の首筋を狙う。

 面頬の垂が邪魔をして、首筋に刃が届かない。垂に手をかけ、むしり取ろうとしたところ、殴られた。また、鼻の血管が切れた。悟郎は相手の顔面に頭突きをした。何度も何度も繰り返した。相手が倒れ込む、悟郎は面頬の垂を握る。相手の重みで垂がちぎれる。すかさず、悟郎は馬乗りになって、短刀で相手の喉を切り裂いた。

 

 避けたものの、返り血を結構浴びた。目にも入り、染みて痛い。

 悟郎は立ち上がり、場内を見回す。立っている者は悟郎の他にいなかったが、全員の死亡を確認しない限り、安心はできない。短刀を握っているので、手を合わせられないので、片手で冥福を祈る。


「帰るまでが遠足だ」

 そんな場違いな言葉を悟郎は思い出した。ここからさらに気を引き締めてかからないと、折角ここまでたどり着いたのに足下をすくわれる。服の袖で短刀についた血を拭い、鞘に戻す。今度は太刀を抜いた。

 悟郎は太刀を手に、使えそうな槍を探した。手ごろなものが転がっているのを見つける。拾おうと腰を屈めたらふらついた。

 そこを突かれた。

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