第107話106.刹那 2

 エルファラン国の首都であり、この大陸最大級の大都市である都、ファラミアを見物する。

 ザカリエ大使シザーラの出した提案は確かに突拍子もなく——しかし、大層魅力的なものだった。


「それは非常に興味深い。行きたい! だけど、一体どうやって?!」

「レーニエ様、声が大きい!」

 居間の中にこそ入ってきてはいないが、扉の向こうにはサリアをはじめ、数名の侍女が控えているのだ。因みに、この瑠璃宮の上層階には男性の立ち入りは基本的に認められていない。

 婚約者たるファイザルでさえその訪問には許可が必要だし、フェルディナンドが部屋を貰ってレーニエの世話をしているのは、女王特別の許可をもらった例外中の例外である。

「すっ、済まない! だけどそれは」

 慌てて両手で口を押さえ、レーニエはシザーラの隣に席を移った。離れていては自然と声高になると判断したからである。

「ああ勿論、レーニエ様がご無理とかおっしゃられるのでしたら私一人で参りますけれど」

「なんだって? あなた一人で街に出るって? そんな、そんなこといけない!……と思う。多分……」

「勿論なりません。シザーラ様」

 口を出すフェルディナンドの声は厳しい。

「言うまでもなく、レーニエ様、レーニエ様もですよ。前代未聞、言語道断です! あってはならぬことです」

 少年の灰青の瞳はこれまでになく鋭くなっている。彼は既に従順な侍従というだけではなく、士官学校で学ぶ将来の士官候補生なのだ。

「そこまで言わなくても……」

 今までとは異なる顔をのぞかせた自分の元小姓にレーニエの言葉は弱々しかった。

 嘗てレーニエを崇拝して見上げていた少年は、既に背も肩幅も主を追いこし、単身敵地に乗り込んで任務を果たして帰った一人前の男の顔になっている。

「そうですわよ、フェルディナンド。充分気をつけて計画を練り、それなりの護衛も同行すればそれほど危険な行為ではありません。現在のこの国のありようを考えたら」

「一体全体閣下にはどのような計画をお持ちなのです?」

 考え込んで言葉の出なくなった主の代わりにフェルディナンドが厳しく詰問した。

「まぁ閣下などと……嫌味な子ねぇ。でもそうですわね。先ず、護衛ともども市民の姿に身をやつし、ファラミアの主な大通りや広場などを回って、人々の表情や、暮らし向きなどを窺い、それからお店なども覗いてみたいですわねぇ。後、出来たら食事なんかも」

 すらすらと紡がれるシザーラの計画を聞いているうちにレーニエの瞳が益々大きくなったが、それを見ないようにしてフェルディナンドが彼女を遮った。

「なんですって!? お馬車の中から、こっそり見物するならまだしも、街中に入り込むですって? ありえません。お二人とも今までファラミアの都に出たことがないのです。お許しなど出ませんでしょう」

「あら、私はこう見えても慣れております。隠遁生活をいいことに、私は幾度も我が国の首都、ザールの下町に出かけましたわ。宰相の家に生まれたからには民草の暮らしぶりや、街の治安など肌で感じて学ぶことは無意味なことではございません」

「それは確かにそうかもしれませんが、こう申しては失礼ながら、ザールとファラミアでは都市の規模が違います」

「フェル、無礼を申すでない。それにしてもシザーラ殿は以前からそのような事を試されておいでだったか……お一人で?」

 レーニエは躊躇いがちに忠実な少年をたしなめたが、その瞳は強い興味の光を帯びて赤毛の娘を見つめている。

「まぁ、護衛は付けてありました。腕の立つ信用できる者を二人ほど」

「ふんふん」

「町はおもしろうございましたわ。勿論フェルディナンドの言うとおり、ザカリエは都といえども、エルファランの様に洗練されてはおりませぬし、地方の街に行くともっとひなびておりますけれども、それはそれで勉強にはなりますの。なにより宮廷の窮屈さから解放されますし……市井しせいのいろんなものを見られて、それは楽しゅうございましたわ。まだ少し自由が許された頃には、帰ってからその様子をアラメイン殿下にお話し申し上げたものでした。あの方もそれは喜んで聞いてくださって……」

「……」

 落ちそうなほど見開かれた赤い瞳の煌めきを見て、シザーラはにっこりした。フェルディナンドの剣呑な眼差しにも動じていない。

「レーニエ様はどう思われて?」

「正直大層興味はある。こんな私とて、北の領地ノヴァでは、自由に屋敷の外に出て馬を駆っていたから。もっとも、初めはなかなか受け入れてもらえなかったし、私も王宮の外に出た事がなかったので、交流にはなかなかに戸惑うものがあったが」

 レーニエはその頃の事を思い、懐かしそうに眼を細めた。

「それに橋渡しをしてくれたのがヨシュアで……ヨシュアと、そう、村の子供たちで。

 以前私がつけていて、どうしても外せなかった仮面も終に取る事が出来て……そうして次第に打ち解け、素朴な人々に囲まれて私は生まれて初めて深呼吸ができた心地持ちがしたものだった。それまで都と言うか、王宮にはあまりよい思い出がなくて……過去にはね。きっと今からは違ってくるのだと思うが……そう。母上のおっしゃる通り、私はあまりにも自分の生まれた場所を知らない」

「レーニエ様」

「うん。だから私は知りたい。自分の生まれたこの地の事を。知って、自分に何ができるかほんの少しでも考えたい」

「……ち」

 これはまずい、とフェルディナンドは思った。大人しいようでいて、好奇心の強いレーニエの気質を長く仕えてきたこの少年は知り尽くしている。主の真面目な気持ちは理解できるが、どうも宜しくない方向に話が進んでいる。

 さて困った。どうしたら思い留まって頂けるだろう……俺はこの方には究極のところ逆らえないし、姉さんに相談してみようか……だけど、姉さんなら反対にレーニエ様を煽ってしまいそうだしなぁ。だけどまぁ、こんな事陛下がお許しにならないと思う。

 フェルディナンドの思惑とは別に、レーニエの中では夢が膨らみつつあるようだ。

「……行きたい、行こう。でもどうやってお許しを貰おうか? 私は恥ずかしながらそういう段取りも、都の地理も何も知らない」

「ええ、それは勿論。私にしてもこの街は初めてで土地カンもないですし」

 娘たちは額を突き合わせて計画を練り始める。

「ヨシュアに言ったら許してくれるだろうか? 彼に付いてきてもらえたら一番安心なんだけど」

「それはでも難しいですわねぇ。レーニエ様のおっしゃる通り、ファイザル様に護衛になって頂くのが一番安心なんでしょうけど。将軍を護衛に使うなんてそれこそ前代未聞ですし、あの方はレーニエ様のことに限って割合お堅い気がしますし。例えファイザル様にその気持ちがあったとして、今現在のあの方を取り巻く環境がそれを許さないでしょうねぇ。お仕事に忙殺されているようですし……ええ、まず無理でございましょう」

 無理どころか、酷く叱られちゃうよ。最後の防波堤は(嫌だけど)やっぱりあの人か……。

「だが、彼に黙って行っては後できっと、とんでもなく叱られる……と思う。フェルとサリアは連れて行くにしても」

 あ〜、さすがにそのくらいは予想がおできになるんだ……って! 俺はともかく、姉さんも連れて行くの? いやいやいや、行っちゃあいけないんだって! うっかり俺までその気になるところだったし。

「そうですわね。フェルディナンド達はある程度この街のことを知っているはずですし。でも、ファイザル様なら完璧な手配はお出来になると思います。お許しさえ出れば」

「うん。きっと」

「レーニエ様、残念ですが、あの人が許可を出さない事ぐらいは俺にだってわかります。ええ、ありえません」

「そうかなぁ」

「そうです」

 フェルディナンドが無慈悲に肯定した。

「まぁまぁ、フェルディナンド。いくらファイザル様が厳しくても、もしかしたら少しだけなら話くらいは聞いてもらえるかも知れませんわよ。彼の護衛は無理でも何か方法を考えてくれるかもしれないし。レーニエ様がご嘆願すればきっとお気持ちが和らぎますわ」

 フェルディナンドが取り分けたまま、忘れ去られていたお菓子を考え深げにかじりながらシザーラが呟いた。つられてレーニエもカップに手を伸ばす。

 冷めきったお茶も気にならない様子だ。どうやらダメでも元々と腹を括りかけているらしい。

「うん。シザーラ殿のおっしゃる事ももっともだ。黙って出かけるよりいいと思う!(後が怖いし)」

「な! 黙って出かけるなど、恐ろしい事をおっしゃらないでください! きっと酷く叱られます! 聞いてみるだけ無駄ですし!」

「はい! じゃあ聞いてみましょう! これで決まりましたわね。善は急げと申しますわ、無駄かどうか、早速軍務棟に参りましょ」

 フェルディナンドの言葉尻を捉えて意気揚々とシザーラが言った。このあたりはさすがに政治家である。

「ちょっ! 何がどう決まったというのですか?」

 流石に慌てて少年が一歩前に出る。

「それはいい、先ずは足を運んで聞いてみないと。忙しいヨシュアを呼びつけるのもどうかと思うし、手間が省けるというものだ。やっぱりシザーラ殿は頭が切れる」

 レーニエは優雅に立ち上がり、シザーラの手を取った。

「まぁ、照れますわ。まるで恋人のよう」

 二人の娘はそのまま部屋を突っ切ってゆく。

「お二人とも人の話、聞いておられます? ……って、ちょっと? お待ちください! 勝手にいかないで、レーニエ様! せめて帽子を! わあぁっ〜姉さん! ちょっと来て!」


 朝方の雨は未だしとしとと降り続いているが、心なしか空は少し明るくなったようだった。




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