第77話76.障壁 5

「ご無礼、申し開きのしようもございませぬ。レーニエ王女殿下、我が名は、アラメイン・ジィド・サマンダール。ザカリエの王弟にございます」

 たった今まで誰の注目も浴びなかった兵士が、その場に居合わせた人々の視線を釘づけにしていた。一同は声もない。エルファラン国側の人々だけでなく、ザカリエ国側の面々までも。

 落ち着き払っているのはただ一人、シザーラ・ジキスムント、彼女だけであった。

「シザーラ……お前はかったな」

 宰相ジキスムントは、苦虫を噛み潰した様子で孫娘に向き直った。しかし驚きの色は速やかに影を潜め、その声も顔も元通り哲人の風である。孫娘にまんまとしてやられたという、やや面白がっているような気配すらあった。

「申し訳ありません、おじい様。私も無茶だとは申し上げたのですが、アラメイン殿下にたっての願いだと、土下座寸前までされて頼み込まれましては」

 シザーラはしとやかに人々に腰を下げたが、とくに悪びれた様子もなくしゃあしゃあと言い放った。戦勝国の面々を前に素晴らしい度胸である。

「――すまない爺、そう言う訳なのだ。このような国際舞台に王の族が出なくていい訳はないだろう?

 しかも戦勝国のエルファランの大使として王家の方、それもうら若い姫君が参られているというのに……もっとも私とて、今の今までレーニエ様がどのような素性の方かは存じ上げませんでしたが」

 シザーラの様子を見ていたアラメインも、そう言うとゆっくりと進み出る。セルバローも仕方なく剣を収めて道を開けたので、彼は部屋の中央に立った。そこで再び片膝をつき、深々と恭順の礼をとる。

 ファイザルも油断はしていなかったものの、とりあえず剣を下げ、半歩身を引いた。

「このような形でおめもじいたしましたことを、レーニエ殿下に深くお詫び申し上げます」

「よい……顔を上げられよ。アラメイン王弟殿下」

 ゆっくりとアラメインは顔を上げ、腕をあげると士官用の兜を取り去る。金糸とみまごう程の明るい金髪がさらりと背中に流れた。それまで兜の中にたくし込まれていたらしい。若々しいその顔は、近くに立つファイザルが秘かに驚いたほど美麗に整っていた。

「失礼はお互い様であった。改めてご挨拶申し上げる。私はレーニエ・アミ・ディ・エルフィオール。母はアンゼリカ・ユール、父は亡きブレスラウ公爵レストラウドと言う」

 そう言うと、レーニエは立ち上がって一歩前に進む。ファイザルはそんな彼女を庇うように斜め前方に立ち塞がった。美しい金髪の頭部が再びあっと下げられる。

「ははっ! 真にやんごとないお血筋の姫君の美しきご尊顔を拝し奉り、恥ずかしながらこのアラメイン、汗顔の至りでございまする」

「そのような儀礼はよいから早く顔をあげて」

 歯が浮くような称賛に辟易へきえきしたようなレーニエの声に、アラメインはやっと顔を上げた。

 ザカリエには珍しい白い肌、緑の瞳。細面の秀麗な顔は少しやつれて頬がへこみ、顎が尖っているが、その美しさは損なわれていない。

 居合わせた人々は、向かい合う若い二人の比類ない美しさに言葉をなくして見蕩れた。

「アラメイン殿、何故、このような事をされたのか伺ってもよいか」

 レーニエは落ち着いて突如現れた闖入者ちんにゅうしゃに向かって問うた。

「はい、ここに至っては全て包み隠さずお話いたします。我が国はここ十年あまり、王政と言うのも形ばかりで、実権はこの間の大戦で斃れたドーミエ将軍が握っておりました」

「……そう聞き及ぶ」

 レーニエは静かに答える。

「我が兄である国王ギベリンは、誠実なお人柄とはいえ気が弱く、ドーミエは兄を傀儡に仕立て上げておりました。

 私は何回かドーミエをいさめようといたしましたが、その度、私を支えてくれる側近たちが死んだり、あるいはこのヴァン・ジキスムントのように失脚させられ、私は翼をもがれた鳥のようになっていたのです。

 この数年は戦に国家予算の多くが費やされ、民は重税に喘ぎ、私は何度も戦争を終わらせよと言い募りましたが、終いにはこのシザーラまでもが幽閉させられそうになって……私もそれだけは回避しようと何とか務めはしましたが、ついに」

「病を得られたとか?」

 さらりとレーニエは受けるが、傍らのジキスムントの眉がぴくりと上がった。それには気づかず、アラメインは続けた。

「ははぁ……ご存じであられましたか。我が王宮の情報はだだ漏れのようですな……その通りでございます。

 お恥ずかしい話ですが、この半年余りの敗戦に次ぐ敗戦の報を受け、私は気が休まることなく、この三月程ずっと伏せっていたのです。ドーミエの最後の暴走すら止められず……兄弟そろって情けない話です」

「病ならば仕方がない事であろう」

「はい、ここまで申しましたからには、すべて包み隠さず打ち明けますが、彼を信じて戦った我が軍には申し訳もないが、私はドーミエを討たれたファイザル少将殿に実のところ感謝を感じております。」

 皆の視線が一斉にファイザルに集まる。彼はすでに剣を収めていたが無言で軽く会釈をし、無表情に隣国の王子を見つめた。

 その態度は隣国の王家に対して些か無礼とも言えたが、アラメインは気にする風もなく話を続ける。その美麗な風貌にも関わらず、ザカリエの第二王子は闊達かったつな性格らしい。

「今度の休戦使節の大使も私が行くと頑張ったのですが、病み上がりで凡庸な私が行くより、蟄居ちっきょさせられていたとはいえ長年政治実績のある爺、ヴァン・ジキスムントが行く方が良いと皆に説得されました。

 ジキスムント自身にも。しかし、どうしてもこの重要な場面に参加したくてシザーラに無理を言ったのです。シザーラはすでにジキスムントから後継の指名を受けておりました。

 外見の似たような武官を使節に入れて、協定の直前に私と入れ替わるように手配してくれたのも彼女で……先程からレーニエ殿下の国を思うお言葉を聞きながら、情けない自分に恥入っておりました」

「左様か。して、お身体はもうよろしいのか」

「は。痛み入りまする。まだ体力には自信がありませぬが、この旅の間はちゃんと馬にも乗れましたし……今回のご無礼に対しては謹んで御処分を受ける所存でございます」

「お許しくださいませ。レーニエ殿下、おじい様。全て私がいたしました事。処罰ならこの私に」

 シザーラが進み出てアラメインの横に膝まづいた。

「ならん、お前は私の頼みを聞いてくれただけなのだ。情けない話だが、政治も、外交も私はお前にこれからも教えを請わねばならない。お前は罪を受けることはない」

「アラメイン殿下! 私が……」

「これ! シザーラ! そこまでにしておくのだ。ここは公の場所である。アラメイン殿下もいい加減になされよ。レーニエ殿下の御前でありますぞ!」

 老宰相は進み出て厳しく二人を諌める。

「レーニエ王女殿下、エルファランの方々、我が孫と主君の致した無礼の数々、申し訳もございませぬ。

 この二人は幼い頃一緒に育った事があるので、どうも場をわきまえずに物を言い合う癖があるようで……お恥ずかしい限りだが」

 困りきったザカリエ宰相が片手で顔を覆った。

「この老人に免じて許して頂きたく……後できつく言い聞かせましょうに」

「まぁまぁジキスムント卿、ここは極めて重要な舞台ではありますが、幸い王宮内でも戦争法廷でもない。どちらかと言うと、そんなに格式ばった場所ではないようなので……まぁ、よろしいかと」

 ドルトンは苦笑を浮かべながら同情するように敵国の宰相を見た。

「レーニエ様にはいかが思われましたか?」

「――なかなか楽しい思いをしたと思う」

 正直にレーニエは答えた。

 それを聞いてドルリー将軍が吹き出し、フローレスに|窘(たしな)められて慌てて渋面を取り繕っている。ドルトンも笑った。

「ははは! 左様でございますな。では午後から場所を移して式典を執り行い、講和が成ったことを市民に知らしめまする。

 そして宣言文書の末尾には、レーニエ殿下、アラメイン殿下のご署名を頂く事に致します。お二方、よろしいか?」

「それでよい」

「構いませぬ!」

 二人の貴人は同時に応える。ドルトンは重々しく頷いて居並ぶ人々を振り返った。

「皆さまもご異議ございませぬな?」

「ございませぬ!」

 一同が唱和した。


 かくして、陽は中天を過ぎ―――

 ウルフィオーレ市庁舎前の小さな広場で両国使節団、ウルフィオーレ市民達が見守る中、ひときわ高くしつらえられた壇上で条約署名の式典が執り行われた。

 春の盛りの清々しい日であった。

「ここに戦の終結を宣言する! 和平はなった!」 

 ドルトンが王族二人の署名を果たした大きな書状を高々と掲げると、見守っていた人々の間から拍手と歓声が沸き起こった。

「講和宣言万歳!」

「これで自由国境が安定するぞ!」

「エルファラン万歳!」

 そしてレーニエとアラメインが二人で並び立つ姿を見て口々に褒めそやす。

 レーニエもアラメインも、式典にふさわしい衣装に改めて並び立っていた。若く美しい彼等が自国の正装を纏い、微笑み合って寄り添う姿はまさに一幅の絵のようだ。

 母上の宮廷で正式な披露目もしていない私が、王女として民の前に立っている……。今まで人目を忍んでばかりいたと言うのに、こんな大勢の人々の前に立っているなんて、なんだか少し怖い……。

 レーニエは笑顔で民衆に手を振りながらも、膝に力を込めて、ふらつくないようにするのが精いっぱいだった。正装がゆったりした長衣で良かったと思う。

 背後の人たちの中にファイザルがいるのは知っていた。しかし今は振り返る訳にもいかない。隣のアラメインと頷きあうのが精々である。間近で見ると、わかるが彼も非常な緊張の中にいる事が見て取れた。

 似た者同士だな、我らは……。

 王子と王女の繊細な心のうちなど知らず、集まった観衆は拍手喝采である。

「お似合いだ! お二方!」

「ほんとうに……子ども達見てごらん? 金の王子様と銀の王女さまだねぇ……何てお美しい」

「あのような姫君がいらしたんだ」

「もしもこのお二人が結ばれれば……長の平和がきっと」

「おめでとう! おめでとう!」


「……おい、おっかないからその顔やめろ」

 セルバローが横に立つ男の横腹を肘でつついた。

「貴様なにを言っている?」

 突かれた男は戦友を振り向きもしない。

「何って、目だよ! 目! お前、あのお人形の一対を睨み殺すつもりなのか?」

「目?」

 言われて初めて気が付いたように、ファイザルは片手で自分の眉間に触れた。いったい自分はどんな顔をしてあの二人を見ていたのだろうか?

「なんてぇ顔だ。王族に恨みでもあんのか?」

 しらばっくれてセルバローは戦友に尋ねた。

「さぁな」

 見かけによらず、非常に鋭敏な感覚を持つセルバローを視界から消し、ファイザルは再び前に向き直る。

「美男美女で素晴らしいお似合いの組み合わせじゃないか。この二人がくっつきゃこの先、戦もそうそう起こらないんじゃないか? ありがたいこった。

 なんでお前がそんな物騒な顔をするんだか、さっぱりわからんね、俺は」

 意地の悪いことを敢えて口にする。ファイザルの顔は見えないが、頬の筋肉がぴりりと引き攣るのがわかった。

「うるさいぞ。式典の最中だ。貴様も士官らしく振る舞え!」

 唸るようにファイザルは言い捨て、それきり口をきかなくなった。壇の前の二人は何も気づかず、人々の歓呼に応えてにこやかに寄り添い、手を振っている。二人とも緊張しているようだが、それが却って二人の距離を縮めているようにも感じる。時折視線を絡めて微笑みを交わしあっているのだ。

 まるでお互いの為に生まれたような美しい一対を見上げたまま、彼は無意識に拳を握りしめた。




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