第28話27.領主の恋 3

「レーニエ様、ドルトン殿が内密にお会いしたいとおっしゃられておられます」

 レーニエの着任の挨拶を兼ねた晩餐が終わり、すべての出席者の祝辞を受けてレーニエは初めて公式に領主としての役目を終えた。

 部屋に戻れたのはいつもより一刻も遅い時刻で、サリアが湯の支度をしてくれている間、慣れない晩餐会でいささか疲れたレーニエは、正装を着ていることも忘れて長椅子に体を投げ出している。セバストが伝言を持ってやってきたのはそんな時だった。

「え?」


 レーニエは、身を起して今日会った来客たちに思いをめぐらした。

 確か、ドルトンと言うのは都から来た商人の一人で、レーニエが考案したリルアの花の薬風呂や香水にいたく興味を示した人物だ。派手な身なりの同胞たちと異なり、見かけは平凡な風体だったが、リルアの商品価値に興味を示してくれたただ一人の商人だったので、その名はよく覚えていた。ドルトンは王立科学院にもつてがあるらしく、早速都に持ち帰って科学院に持ち込んでみましょうと言ってくれたのだった。

「それが……彼がおっしゃるには、あの御方からのご伝言があるとの事で……」

「あの御方……だと?」

 赤い瞳が見開かれた。

「……さようでごさいます」

 重々しくセバストが頷く。

「一体それはどういうことだ?」

 驚愕の後に訪れる混乱。セバストの落ち着いた物腰もいつになく緊張している。

「私にもそれは……ですが、お会いになられたらおのずと判明することでございましょう」

「しかし何故? 彼は商人ではなかったのか」

「はい。しかし、彼は確かにそう申しました。あの御方と」

「……」

「いかがなさいますか? もしご御不審に思われるなら、適当な口実をつくって、追い返すように取り計らいますが」

 緊張した面持ちのレーニエに、助け船を出すように、忠実な家令は提案してみた。しかし、レーニエはしばらく考え込んでいたが、やがて首をふる。

「いや……いや、会おう。セバスト、半刻後にここへお連れして。他の方々は?」

「村長の皆さまはキダム殿の屋敷に、今宵はお泊りになられるようで。他の方々は皆、それぞれのお部屋にご案内いたしました」

「……ファイザル殿は?」

「ファイザル指揮官様はいつものお部屋に。ジャヌー殿たちは、村長様達をお送りするために出ていかれて、まだ戻られてはおりません」

「そうか。フェルにはもう部屋に来ないようにと伝えて」

「かしこまりました。ではご案内いたします……よろしいのですね。念のために身体検査はさせて頂くつもりでおります」

「ああ……セバスト、済まないがお前は横に控えてくれるか」

 心細げに眼を伏せる主にセバストは力強く頷く。

「そのつもりでおります。ご安心なされませ」

「……では」


「夜分に失礼いたします」

 セバストに案内されて入ってきたドルトンは、恰幅の良い、地味ながらいかにも商人風の風采の男だった。

「このような時間にお部屋にまでお邪魔いたし、ご無礼誠に申し訳もありませぬ」

 ドルトンは先ほどまでの商人風の言葉づかいから、王宮に仕える宮中人のそれに変わっている。

「よい、用件を聞こう。だが、あなたは誰だ?」

 単刀直入にレーニエは尋ねた。

「恐れります。私は実は偽名を使っているわけではございません。本名もドルトンで、王室出入りの商人には間違いございませぬ。ただ、それも一つの顔と言う訳でございまして、この度はかの御方のお使いでもあります」

「母上の密使と言う訳か?」

 ドルトンはいかにもおそれれ入ったという風で、恭しく頭を下げた。

「はい、個人的な使者でございます。これを……」

 ドルトンは上着の合わせをめくって、普通では見えにくいところにある縫い取りを見せた。それは間違いなく王家の紋章なのだが、特殊な意匠が重ねて刺繍してある。それは王家の私的な使者と言う意味があった。レーニエは実際に使われるものを見たことがなかったが、都を出る前に聞いた話の中にその事も含まれていたのを思い出した。

「認めよう……それで?」

「あの御方から、これを託されて参りました」

 ドルトンは余計な事を云わず、上着の奥の隠しから小箱を取り出した。

「先ほどセバスト殿にもあらためて頂いた品でございます。どうぞお確かめくださいませ」

 ドルトンは腰を屈めて恭しくその小箱をレーニエに渡した。それは高価な香木を彫った木の箱で、木目が細かい黒い木肌は密やかな光沢を放っている。そこにも高い技術で王家の紋章が彫り込んであった。レーニエは黙って受取り、蓋を開ける。

「これは!」

 箱の中には指輪が入っていた。銀色の台に、非常に透明度の高い宝石がはめ込まれている。透明な石の中に金の粒が浮かぶそれは、非常に希少な物で、この大きさならば、莫大な価値があると思われた。

「これは……!」

「これをあなた様にと。直接お手から預かって参りました。いつかあなたをお守りすることもあるやもしれぬとおっしゃられて……お手紙は万一のことを考えられて、お書きになりませんでした。指輪だけならもし見つかっても、私の一存で、どうにでもできますから」

「……」

 レーニエは愕然とその宝石を見つめている。

「指輪の意味はご存知ですね」

「知っている……」

「あの方はおっしゃっておられました。余りにあなた様が密やかに出立されたので、何も持たせてやれなかったと。だから、冬中かかってこれを作らせたと」

「……」

「私の見ている前で指輪に口づけされ、箱に収められました」

「……母上は、ご息災であられるか?」

「はい」

 レーニエはしばらく指輪を見つめていたが、やがて箱をセバストに渡し、指輪を左手の中指にはめた。やや大きめのそれはすっぽりと奥まで届き、ひそやかな輝きを細い指に反射させる。

「確かに……承った。ドルトン殿、遠路ご苦労だった……厚く礼を申し上げる。出立の日には再びこちらに参られよ……いや、是非とも来ていただきたい」

「承知いたしました。では、今宵はこれにて。お休みなさいませ」

 ドルトンは深く礼をして下がっていった。

「ご立派でございました、レーニエ様」

「そう……かな? だが、驚いてしまった……母上が」

 レーニエはそっと宝玉に唇を寄せる。

「だが、これはまだ私には荷が重い……セバスト、済まないがしまっておいて」

「レーニエ様……畏まりました」

 レーニエは指ゆっくりと指輪を抜いて家令にゆだねた。

「疲れた……」

「本当にお顔の色が悪うございます。サリアを呼びますのでゆっくりお休みを」


 レーニエが高熱を発したのは、その明け方のことだった。

 



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