第14話13.領主の憂鬱 7
「せいっ!」
「たあぁ!」
兵士たちが幾組も土の上で激しく組み合っている。いくら屋内とはいえ、この寒いのに、上半身裸の者もいて、練武場は熱気に包まれていた。
「あんなに打ち合って、け……怪我とかしないのか?」
土を踏み固めた床から少し高い所にしつらえられた席で、レーニエはすっかり驚きながらファイザルを振り返った。
「怪我? そりゃしますよ、普通に。訓練ですから」
「そうなのか……うわ!」
派手に投げられた兵士が真下の地面に激しく打ちつけられる。土ぼこりがレーニエのいるところになで巻き上げられてきた。投げられた兵士は腕の大きな擦過傷から血が垂れ流れながしていた。
「い、痛そうだ……早く手当を」
「ああ、あの位は日常茶飯事です。誰も気にしません」
腰を浮かせかけたレーニエにファイザルは首を振って見せた。投げた兵士の方はレーニエに一礼して拳を上げている。見てくださったか、と言う事なのだろう。傷を負った兵士も別に気にする事なく、再び構えの姿勢を見せている。
「こんなものを見るのはお嫌ですか?」
「いや……少し驚いたけれど、これが国を守ると言う事の基礎なのだろうから……大切な事だ、と思う」
レーニエは言葉を選びながら慎重に答えた。
「ご明察」
「他にどんなことを?」
「そうですね、今は素手ですが、武器を使って打ちあったり、騎馬で交えたり……騎馬そのものの技術を磨いたりと、何通りもの訓練があります。時に競争で勝ったら褒美が出ることもあるんですよ。ペグ取り競争とか……地面に打った穴の開いた杭を馬に乗りながら槍で抜いてその数を競うんです」
ジャヌーが身振りを交えて説明する。
「変わったところでは夜間の戦闘訓練とか、耐寒山岳縦走とかも」
「そんなことも……!」
「ええ、この北の砦は若い兵士を鍛える役割も担っているのです」
ファイザルは低く言った。
「そうして一人前になって……戦場へ?」
レーニエもこの国の南の国境で起きていることは知っている。
「その可能性は高いですね」
「私とさほど年の変わらぬ者もいるのに……」
「確かに新兵は。ですが、様々に鍛えているうちにちゃんとした兵士の顔になってくるんですよ」
「……」
レーニエは黙って眼下で行われている、汗と砂にまみれた青年たちに視線を戻した。その目はもう逸らされず、生真面目な横顔をファイザル達に見せて拳を握りしめていた。
「驚きました……」
「ん?」
領主を無事に屋敷まで送り届けた後、ファイザルとジャヌーは、ほとんど濃い藍色に包まれた荒野に馬を進めていた。
正面には巨大な山脈がそびえているが、背後を振り返ると、よく晴れたその日の最後の名残の陽が赤く地平線に残っている。
昼間は比較的暖かかった気温は一気に下がる。雪は降ってはいないが、日中溶け出した雪があちこちで凍りついているため、用心しないと剣呑だった。馬をあまり急がせられない。
「指揮官殿はご存じだったのですか?」
「何を」
「領主様があのようなお姿をしておられるということを」
「知らんよ。今日偶然に知った」
「すばらしくお美しい方ですよね? 俺あんな人を初めてみました。あ~、夢に見そうだ~。俺そっちの趣味はないはずなのに~」
「そっちの趣味だって? 何の?」
「だっていくらおきれいだって、レーニエ様は男なんでしょ? 夢に見ちゃまずいです」
「……夢ねぇ」
これは真実を告げるべきか否か迷うところであったが、この男にとっては自分が告げるより本人が自然な形で知る方がいいかもしれないと、ファイザルはとりあえず黙っていることにする。ジャヌーはいい若者だが、要するに単純で馬鹿で、最初の先入観から抜け出せていないだけなのだ。
「まぁ……どちらにしても俺にはもったいないお方なんですけど、俺には自分の事は何も言われはしなかった。乗馬のお供をするようになってから、結構親しくさせていただいたと自惚れていたのかなぁ」
「親しくなって結構じゃないか」
「ええ、こういっちゃ不遜な言い方かもですが、俺あの方の事、無口だけど、素直で可愛らしいお方と思ってたんで……あんなに冴え冴えとした美貌を見せつけられると、なんだか一気に話しかけづらくなってしまうっていうか、まともに目が合わせられないっていうか……」
「なるほどな。そんな風に見られ続けて、あの方は誤解を積み重ねてこられていたのか……」
「は?」
「いや、なんでもない。お前は今まで通り振る舞え。あの方にはそれが何よりなんだ」
「はぁ……」
ジャヌーは大きなため息をついた。
今日のところはこれ以上、レーニエに負荷をかけたくなかったので言わなかったが、ファイザルは近いうちに彼女としっかり話をし、この地の人々に彼女の真実を伝えていかねばならないと思う。これは自分などにはなかなか難しい仕事だが、レーニエの将来のためには自分がやらなければならない。
ため息をつきたいのは俺の方なんだが。
小刻みに震えていた細い肩や、大きく見開かれて彼を見上げた紅玉の瞳が思いだされて、今更ながらに汗をかく心持だ。
ファイザルが執務室に戻れたのはその夜遅くなってからだった。
どっかりとデスクに腰を落とす。新たに机の上に積まれた書類にうんざりしながらも、明日までに目を通さなくてはならないものを取り上げた。
「……?」
半時ほど経ってふと眼を上げたファイザルは、何気なく正面の壁に目をやり、急に何かに気がついたように勢いよく立ち上がった。椅子がひっくり返り、大きな音を立てた。
「何かございましたか!」
次の間に控えていた当直の兵が慌てて駆け寄って来るのを、ファイザルは手を振って退ける。
「いい、なんでもない。おまえは下がっていろ」
「は」
よく訓練された兵士はそれ以上の質問を一切せず、不審げな顔をしつつも敬礼して執務室を出てゆく。それを見定めてファイザルは大股で壁際に歩み寄った。
そこには王族や名高い過去の将軍、政治家などの肖像画が掛けてある。
普段誰も気にしないそれらは、ほとんど埃を払われることもなく、あまり日が射さない壁に掛けられたまま忘れ去られている。その一つにファイザルは釘付けになった。
「なるほど……なるほどな。そう言う訳だったか……」
しばらくして彼は、ため息とともに肩を落としゆっくりと席に戻った。しかし、戻ってからもその視線は肖像画の一つをじっと見つめていた。
「……」
いつの間にか関節が白くなるまで拳を握りしめている。解くとじんわりと血の気が戻ってくる。自分の大きく傷だらけの無骨な手に昼間見た、白すぎる指先が重なった。
明日にでも埃よけを理由に、あの壁に布を被せなくてはならんな……
彼は紙の隅にそのように走り書きをする。
時刻は既に
あの方は安らかに眠れているだろうか……
昼間見た寝顔を思い出してファイザルは秘かに微笑んだ。
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