第11話10.領主の憂鬱 4

「見えてきました。あれがセヴェレの砦です。北の守りの最前線」

 冬の荒野を騎馬の一群が進んでいた。中央に若い領主、真横でファイザルが話しかける。今日は他に三騎の護衛が付いている。

 ファイザルは大げさな事を嫌がる領主を説得し、領主館には常時五名の兵士を警護として詰めさせることにしていた。

 今回はその内の三名を同行している。

「ああ……成程、これは大きい……」

「常時千人の兵士が配属されています。内、百人はここから更に三日ほど行ったところの最北の海の砦に一月交替で派遣されています。もっとも冬場は閉じ込められますが」

 セヴェレ砦は領主館からは馬で約一刻だが、北風の吹きすさぶ荒野の道のりだ。

 よく付いてきたとファイザルは、レーニエの意外な耐久力に感心する。途中、一度も休憩をとらなかったのだ。

 雪はこの数日は降らず、代りにやたらと冷え込む日が続いていた。今日は久しぶりに太陽が顔を出し、積もったまま固まった雪の表面を溶かしている。道が悪い。

「海の砦とは?」

「セヴェレ峠を越えた先。海を見下ろせる山の中腹の山城のことです。もっとも、山は雪に閉ざされ、海から吹き上がる風で一年中寒い。特に冬は湾が凍りついてしまうため、冬場そこからやってくる敵はまずないのですが」

 説明したのはくつわを並べて走るジャヌーだった。

「聞いただけで、凍えてしまいそうだな」

「その通り。ですが、過去にはここから侵入した敵もあると聞いております。冬の終わりのことだそうですが」

「キダム村長が……」

「はい。ただし、以前お聞きになったとおり、ここ四十年、北のこの地では、大きな戦は起きておりません。

 南の豊かな鉱山や穀倉地帯では、自由国境を破ってくるザカリエ国や、ザカリエが雇った傭兵軍団との小競り合いがひっきりなしですが、ここでは……」

「奪うものがないというくらい、貧しいということか」

「ええ、まぁ……さぁ、着きましたよ。ここがエルファラン国の北の守り、セヴェレの砦です、ご領主様」

 一校は門衛の敬礼する大門を駆け抜けた。村の方角に面した大門は高く堅固な石組みでできている。周囲には高い木柵。更に進むと広い練兵場や畑があった。そこを抜けると今度は堅固な厚い城壁があり、些か緊張しながらレーニエはそれをくぐった。 

 分厚い城壁の内部は武器庫に厩舎、一般の兵たちの為の設備となっている。流石に古い部分は取り壊して改築し、使いやすくしてあるとの説明だった。

 そして終にレーニエの目の前に、壮大な要塞が、背後の森を背景に姿を見せた。

 それは、四十年前の戦以降に構築された、後部に行くほど高くなる構造で、最奥の塔やそこに連なる城壁は、下から見上げる者を威圧するかのようだった。そう見えるように設計されたのだろう。

 この砦の大きさに比べたら、自分の住む領主館などは、こじんまりと可愛らしい城に見える。そう思ってレーニエは帽子の下で笑った。

 正面の広場の前で馬を下りる。建物の入口までは石が敷き詰められてあり、若い兵士たちが、槍を捧げてずらりと並んでいた。

「ようこそ、ノヴァゼムーリャ・セヴェレ砦へ。一応、都の儀仗兵ぎじょうへいのまねごとのつもりですので、手を振って応えてやってもらえますか?」

「あまり派手なことは……」

「ええ。ですが、彼らも普段はあまり気晴らしがないもので。都から来られた大貴族のご訪問は、彼らにとって一種のお祭りの様なものですから、まぁ、ここは一つ」

「大貴族……?」

 ファイザルの頼みで、レーニエは仕方なく手を振ってやった。

 飾りをつけた槍が斜めに差し出されたかと思うと、ガキンと音を立てて垂直に構えられる。その動きに乱れはなく、よく訓練された兵士たちのようだった。

 若い兵士の列の間を抜け、鉄のびょうを打った大きな扉をくぐると、今度は高級将校たちの礼を受ける。広間をどんどん奥へ進み、来賓があったときだけ使うという部屋に通された。すぐに熱い茶が出されたが、運んできたものも若い兵士で、当たり前なのだが、どこにも女性の影はなかった。

あまり近くで他人に見られるのを良しとしないレーニエに配慮し、この部屋の中にファイザルと、かなりレーニエと親しくなってきたファイザルの若い側近、ジャヌーの三人だけになった。

「寒かったでしょう? こんなところですが、まずはおくつろぎください」

 帽子を受け取ってジャヌーは大きなカップに入った茶を勧めた。出された茶は濃くて独特の香りがする。兵士たちの体を温める薬草が入っているのだという。

「それはそうと、フェルはなぜ付いてこなかったのですか? あの子らしくもない」

「ああ……行きたがったが、約束を破ったもので」

 熱い茶を啜り、レーニエはほんの少し堅い声で答えた。

「約束?」

「前に喧嘩をした時に、もう二度と近所の子供とは喧嘩はしないという事を約束させたのだが、実は昨日、又……」

「ああ、それは自分も聞きましたが、それははっきり言って村の悪ガキがいけないんで。相手はマチアスの息子で生意気な……ええと……あいつ名前は何て言ったかな?」

「どういう事だ?」

 なんでお前がそんなことを知ってるんだと、ファイザルはジャヌーに視線を向けた。

「え? それはつまり……ええと、え~と……」

 理由を説明しようにも、言葉がうまく見つけられずにジャヌーは口ごもった。

「フェルに向かって、私のことをからかったらしい。なんでも、真っ黒お化けだとか。流石に子供はうまいことを言う」

 悪口を言われた当の本人は別に何でもないようで、仮面の奥の瞳は淡々としている。

「真っ黒お化けですか……それで忠実なフェルディナンドが怒って喧嘩を吹っ掛けたと」

「そのようだ。だが約束は約束だ」

「ご領主様……結構厳しい……あ! そうだ! 思い出した、ニイルだ! あの悪ガキ……いえ、初めはフェルも相手にしなかったようなんですが。オリイさんに使いを頼まれていたし。しかし、それでニイルのガキは調子に乗って……フェルは一発しか殴ってないといいましたが、向こうは鼻血を出す騒ぎで。

レーニエ様に命じられ、本人とセバストさんが謝りに行かれたんです。私も同行しまして」

「父親のマチアスはなんと?」

 ファイザルは面白そうに尋ねた。

「ひたすら恐縮してまして……でかい声で自分の子どもをどやしつけるもんだから、また近所を巻き込む騒ぎに。あのガ……ニイルも体が大きくて口が悪くて、もともと大して友達はいないんですが、この間から自分の子分どもが最近、全部フェルについちまったもんで、頭に来てたらしいですな。特にフェルは女の子に人気があって……」

「へぇ、そんなことがあったのか」

 あの生意気な小僧もなかなかやるな、とファイザルはにやりとした。

「まぁ、俺は子供の喧嘩に大人が口を出さずとも、自然とおさまっていたとも思うんですが、ご領主様が後後の遺恨にならぬかと心配されて」

「フェルを責めてはいない。だけども、約束を破ったのは事実だから、フェルには家で留守番を言いつけた」

「可哀そうに……」

 意外と家の者には厳しい領主様に、二人の軍人は、館で憮然として待っている少年を思い浮かべ、同情を禁じ得なかった。

「それよりこの地のことを教えて欲しい。さっきの話では基地の奥にも街道は続いていると」

「はい、これを」

「おお……」

 ジャヌーが広げた地図を見て、その大きさと精密さにレーニエは瞠目めいもくした。

「街道は山脈を越えて北碧海ほくへきかいまで。ただしこの先は渓谷になっていて、下りになっています。そこを超えれば再び険しい山道に。まさに攻めるに難く、守るにふさわしい地形です。道が切り開かれているのは街道の周りだけで、冬のさなかに大森林の中に迷い込んだら。まず命はありません」

「守りは鉄壁か」

「はい。そして山越えの道を進むと、このあたりに先ほど言った海の砦が。これでわが軍の北の守りは全てになります。少なくとも現状では」

「海の砦の任務は一月交替ですが、冬はやはり厳しく、いくら比較的安全とはいえ、つらい任務ですよ。それに引き替え……」

「うん?」

「お館の宿直とのい警備は、先を争って志願者が出る程の人気で……」

「ジャヌー」

 余計なことは言うなと錆びた声が遮った。

「は? あ、ははぁっ! 申しわけございませっ!」

 慌ててジャヌーが腰を折る。

「……?」

「さぁ、レーニエ様、基地内をご案内いたしましょう。ジャヌー、お前はもう下がってよい」

 不思議そうな顔をしているレーニエの目の前で、ファイザルは地図を巻いた。

「ここは?」

 最後の階段を昇り、塔の天辺に来たと思ったら、そこは明るい広い場所になっていた。山が真正面に見える。既に基地の半分は見終わって、レーニエが希望して一番高い所に二人は上ってきていた。

「基地の真後ろです」

 彼等は広い城壁の上に出ていた。

 壁際に雪が積み上げられている。渓谷から噴き上がる風が恐ろしいくらいに強く、ところどころにある見張り台の上に立っている兵士たちも、やや体を丸めて谷底を見下ろしていた。

「あまり端に近づかれませぬように。慣れていないと目がくらみますよ」

 無言で凹凸のある石壁に歩き出していたレーニエを見咎め、ファイザルは警告した。

 城壁の高さは二十リベル《メートル》くらいだろうか。恐る恐る下を覗き込んでみた。ファイザルがすぐ後ろに立ってくれている。ここからは見えないが、下には管理された街道が基地を貫いて北へ延びており、森とセヴェレ川に沿って海へと続いているはずだった。

 セヴェレの流れは山脈の東を源流とし山裾を縫うように流れ、この地点で大きく蛇行し、北碧海の西へと注いでいる。ここから見ると青いリボンのように見えるが、荒野を流れる穏やかなリームの流れとは違って恐ろしく冷たく、早い流れだった。

 そして、目の前には雪を戴いたセヴェレ山脈が、視界の端から端まで峨峨ががたる山並みを晒していた。山裾は暗い色をした森が飾っている。

 まさに天然の要塞だ。

 ささやかながら人の営みも許してくれる荒野からさして遠くもないところに、このような人を寄せ付けない場所があるなど中々想像できない。

「すごい……」

 大陸中央平野にある都から出たことのないレーニエは、この壮大な光景に、すっかり魅入られたように飽かず眺めていた。マントの中にたくし込んだはずの銀髪が、あまりの風の強さに幾筋かはみ出して流れ、凧の尾のようになびいている。

 今日はことのほか風が強い。レーニエの体重では突風が来れば、よもやということもありうると判断したファイザルは、さりげなく体を寄せて風よけになる。しかし、レーニエはそんなことなどお構いなしに、無邪気に城壁の窪みに体を乗り出そうと頑張っていた。危なっかしくて仕方がない。

「これ以上はおやめください。もう戻りましょう」

「え? ああ……あと少し。川を見たくて……」

「それなら俺が支えていますから、いいですか? 少しだけですよ。帽子が飛ばされないように」

 仕方なくそう言うと、彼は片腕でレーニエの腰を支える。

「……」

 森と城壁に挟まれた谷は意外にも明るくて広い。そしてその一番底に青いインクを流したようなセヴェレの流れがあり、基地から抜け出た道と交差して北へ向かっていた。

 レーニエは用心していきなり真下を見ないように斜め下を眺めた。

「兵士のほかに北からやってくる人たちはいないのか?」

「ああ、夏場になれば、北の島国より旅人や商人達がやってくることもありますが、数は少ないです。やはり何日も掛けて山越えをするよりは、もっと南に下る方が効率がいいのでしょう。そして、いまだに北の島々には時折海賊が出没します。目下のところ一番警戒すべきはそれらの賊です」

「あ!」

 不意にすぐ近くの兵士が声を上げた。

 何ということはない。鼻水を拭こうと取り出した布きれを風に飛ばしてしまったのだ。

 白い布があっという間に吹き上げられ、そしてやがてゆっくりと落ちて行った。思わず眼で追ってしまうくらいに、それはゆっくりと……

 ああ…落ちてゆく、落ちて……昔聞いた、あれは***様――

 不意にファイザルの支えていた体がぐったりと重くなった。

「な……レーニエ様!」

 慌てて助け起こすと、普段から血の気の薄い顔は更に真っ青で、唇が白っぽくなっていた。

 風に飛ばされた布が落ちてゆく様を見て、城壁の高さを急に実感してしまったらしい。ショックを起こしたとファイザルは判断した。

「しっかりなさいませ!」

「指揮官! どうされましたか?」

 布を飛ばした兵士が慌てて駆けよって来る。

「いい、来るな!」

 兵士を片手で制し、ファイザルはレーニエを抱え上げた。そのまま大股で塔の階段を下りて行く。おそらくすぐに回復するだろうが、レーニエは精神的にかなり参ったのか、ぐったりと抱かれるままになっている。色を無くした唇が微かに開いていた。

 指揮官室は塔から降りて比較的近くにある。

 四部屋からなる構造で、執務室の横には普段ファイザルが起居している私室があり、簡素なものだが一応生活必需品は全て揃っている。

 ファイザルはまっすぐに寝台に向かい、レーニエを横たえた。

 蒼白だった顔色は、やや色を戻してはいたが、相変わらず意識が混沌としているようだった。ショックを受けた脳が休息を求めて眠りに入ってしまったのかも知れないと、ファイザルはしばらく様子を見ることにした。

 体を縛るものを取り去ってやろうとブーツ、マントを脱がせる。

 幅広のベルトと大きめの上着、そしてやたらとボタンのついた胴着を取り去ろうとしたところで、かすかに上下する胸にその手が触れた。

 いささか小さめの、しかしまごうこと無き、そのやわらかなふくらみは――

「レーニエ様……?」

 躊躇いがなかったわけではない。しかし、彼は確信に近いものに突き動かされて、レーニエのシャツのタイを解き、ゆっくりと左右にくつろげた。

 ああ、やはり……

 あなたは女であられたか……

 真っ白な喉の下はか細い鎖骨が浮き出、そして明らかに少年の物とは異なる滑らかな隆起へと続いていた。

 華奢な体つき、柔らかな唇。この方は少女ではないのか――?

 今までそう思ったことも幾度かあったが、まさか正面切って聞くわけにもいかなかったし、例えセバスト達に聞いたとしても、口を割らないに決まっている。本人は自分のことは全く語ろうとしないので、疑惑を持ちながらも黙っていた。

 しかし、十八歳の娘としても、いささか華奢に過ぎるだろうその体は、発育が悪いと本人が打ち明けた通り、ふくよかな娘らしい部分がほとんどなかった。背だけは割合にあったが、いかんせん細すぎる。

 そして、少女であることを隠し、この辺境の地の領主に就いた彼女は、一体どういう素性の人物なのだろうか?

 ファイザルはつと手を伸ばし、柔らかな頬に触れた。レーニエは長い睫毛の影を落として眠っている。

 彼の指はこめかみを辿り、頭の後ろで仮面の紐の結び目を確かめると、静かにそれを解いた。起こさないようにゆっくりとそれを引き抜く。

「な……!」

 ファイザルはひゅ、と息を引いた。

 彼が見たのは、生きている人間とは思えないほど美しい少女だった。




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