血の繋がった他人

ポテろんぐ

 取調室の横 喫煙所

 ぼーっと眺めていた煙が喋ったように、俺の口から思わず声が出ていた。


「神様はサイコロをふらねぇ」


 近くにいた後輩の目に気付いて、咄嗟に「ってか」と付け加えた。後輩は「よく知ってますね」とでも言いたげな苦笑いを俺に向けた。


「アインシュタイン、でしたっけ? それ」

「いんや……相澤の言葉だよ」


 ガキの頃の七五三の写真を見られたみたいで、学がねぇ男が学のあることを口走ると妙に照れ臭いものだ。


「アインシュタインって、実はすごいロマンチストだったんですって」 


 一昨日、移動する車内で相澤は突然語り出した。

 前夜にドキュメンタリーでも見たらしく、事件現場に向かうには似合わねぇ事をえらく熱弁していたのが面白くて、横で演説の揚げ足ばかりとっていた。

 それが二日経った今でもヤニみたいに頭にこびり付いている。


 ある若い物理学者がこの世界の始まりに関する世紀の発見を発表した時、アインシュタインは烈火のごとく怒り、晩年の生涯をかけてこの理論を否定し続けたのだという。


「ただ、自分の地位が脅かされるって怖かっただけじゃねぇのか」


 俺は鼻で笑って、権威主義のワガママにしか聞こえない話を聞き流していたが、相澤は真剣な顔で続けてきた。


「違いますよ。アインシュタインは守りたかったんですよ」

「何を?」

「この世界の面白み、とかですかね」


 何言ってんだ、こいつ? と口から吐いた煙から笛の音が出そうになった。


「その理論っていうのは、この宇宙はいつか終わるっていうのを証明する理論だったんですよ。彼は信じたかったんです。この宇宙は永遠で、この世界を作ったのは神様だって」

「権力にしがみつく奴は、だいたい感情論に逃げるんだよ」


 こっちは聞いてるのもアホくさくなったのに、相澤の顔は真顔のままであった。


「でもその理論、アインシュタイン はとっくの昔に発見していたんですよ。神様の存在を否定する方程式だから、彼は封印していたんです」


 それからは相澤の暇つぶしを俺は大人しく聞くことにした。


「アインシュタインは信じたかったんだと思うんです。この世界には絶対的なものが存在するってことを」

「絶対的って何だ?」

「ですから……愛とか、神様とか、そう言うものですよ」


 そんで相澤が言うには、アインシュタインは「光」と言うこの世界で絶対的な存在を発見したのだそうだ。

 この世界には光よりも速いものは存在しない。

 神よりも偉大なものは存在しない。

 愛よりも尊いものも存在しない。のだそうだ。


 喫煙室のドアが開き、中を漂っていた煙がビックリしたように揺れ、俺は我に返った。


「山城さん、そろそろお願いします」

「あいよ」


 相澤が呼びにきて、俺はタバコを灰皿に押し付け、立ち上がった。油が切れたように腰がポキポキと情けない音を響かせやがった。


 俺が佐倉千里の遺体を見たのは、パトカーの中で相澤が熱弁を振るった直後、彼女が住んでいるマンションでだ。

 体を黒ひげが飛び出してくるオモチャのように滅多刺しにされ、穴だらけの遺体。プロの犯行か、と気持ちが一瞬引き締まったのを覚えている。


 だが、犯人は今日の朝に自首をしてきて、俺たちの経験則を腰砕けにさせた。

 殺したのは新田百恵、佐倉千里との関係は姉妹であるが……『血の繋がった他人』だ。


「最近、多いっすね。血の繋がった他人同士のいざこざ」


 一昨日、神だの愛だの熱弁をふるっていた男にしては偉く他人事のように言ったので、思わず笑ってしまった。


 血の繋がった他人という新しい家族の形が生まれて以来、家族間のいざこざ、殺人の件数は爆発的に増えた。


 光より速いものは、まだ見つかっていない。神がいるかどうかも、まだ証明されていない。

 だけどアインシュタイン様には悪いが、愛が絶対的なものでない事は、すでに証明されてしまっている。


 俺は愛煙家だが、タバコの幸せなんざ微塵も祈っちゃいない。






 

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