第8話 Jelly 柔らかくて透明な(8)


「おい、そのジョーシュとやらが死んでしまったことはわかったが、この死体が彼かどうかとは別だろう!?」


 蚊帳の外に追いやられたレイラが声を上げた。

 返事の代わりに、焼死体の胸の辺りをまさぐった。炭化して癒着した組織が崩れ、俺はその奥から溶けた金属の塊を掘り出した。


 わずかに原型が残っており、元は丸と十字を組み合わせた形だったことがうかがえる。近隣のどの宗教のアイコンとも違う。


「それは私が兄に渡したお守りです。他の誰にもあげたことはありません」


「では、やはり彼がジョーシュということか……」


 レイラは人差し指と中指を組んで、改めて死者に祈る仕草(この世界に特有の文化だ)を見せた。


 俺は焼死体の背中、もっと正確に言えば腎臓の部分を見た。

 完全に炭化したそこには、本来ナイフで刺された傷跡が残っているはずだったが、ボロボロの黒い塊からは何もうかがえない。


 記憶の断片を受け取った俺が見てもはっきりしないほどに焼け焦げているのだ。


 怒り狂ったドラゴンの前に死体を放り出すのは、この世界では完璧な証拠隠滅だ。ファンタジーならではの犯罪と言えるだろう。


 死体の傷跡を調べる俺を、ニアは頼もしそうに見ていた。過剰な期待だと思うが、俺が彼女の痛みを半分請け負ったのも事実だ。


「確認します。本当に俺に依頼をしますか」


「ええ」


「迷宮検査官もまるきり無能というわけではない。それでも俺にしますか? はっきり言ってそこそこの料金はもらいますよ」


「ええ。その価値があると信じます」


 俺は、探偵なんてこの世に存在しなくてもいい仕事だと思っている。事件が起きた後からでないと動けないせいで死体ばかり拝む羽目になるし、つまらない真相を明らかにしたところで誰かが生き返るわけでもない。

 超能力があれば殺意を抱いた時点で犯人を未然に止められるかもしれないが、実行に移す前の人間を裁く権利は誰にもない。探偵でいることが俺の臨界点なのだ。


 それでも、俺を信じるという人間がいる。信じる、信じる。みんな簡単に言う。

 他人の心に侵食されてしまうことを恐れながらも、俺は他人の心に触れ続けなければならない業を背負っている。


 信じるということは、相手に対して無条件に心を明け渡すということだ。口だけならいくらでも言えるが、それを本当に実行できる人間は少ない。この女は、ニアは最後までそれができるのだろうか?


「あなたが望んだような結果は得られないかもしれませんよ。探偵の仕事は暴くことだけです。それが何であれ」


「ええ、知っています。あなたに依頼したところで兄がこれ以上どうこうなるとも思ってません。ただ、私は兄の最後に感じた色を消さなければならないし、そのためには何が起きたのかを知る必要があると感じています」


「それは野次馬根性なのでは?」


「そうかもしれませんね。でも、それはあなたが知る必要のないことなのでは? 私が信じて対価を払うのはあなたの能力にのみですから」


 俺は頭を緩く振った。自分自身のためだけにセンチメンタルな気持ちになるのは、一日に数分でいい。もう充分だった。

 探偵と依頼人の関係はとにかくドライなのがいい。ニアはその点においてかなり好感触だった。


『困っている人間を助けるのは良いことじゃ。やはり汝はわらわを握った勇者の中でも善行ポイントが高いぞ』


 機嫌よさげにアリザラが鎖を鳴らした。


 俺は決して世界をより良くしようなどと思って行動しているわけではないが、相棒が俺のことを勘違いするのを止める理由もない。こいつはこのノリの直後に平気で人を斬り殺したりするのだから。

 この世界は鉄器の時代を迎え、いよいよ人の命が軽く扱われているが、それより残酷な青銅や石器の時代でアリザラの倫理観は止まっている。つまり、人の生き死には誤差の範囲でしかないということだ。


 俺が高度数百メートルの綱渡りじみた付き合いの中で学んだことは、アリザラの中の独自基準であるこの善行ポイントとやらがマイナスになると、主に値しないと判断されて殺されるということだ。


 幸い、アリザラは数千年を生きているとは思えないほど短期的な視野しか持っていないため、俺はまだ刺されていない。チョロくて助かる。

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