001 老婆

早朝の6時。

いつも通りに目覚まし時計が時刻を知らせる。今日はそう早く起きる必要はまったく無かったけれども、習慣になっている体はアラームを止めた後も二度寝できず、そのままベッドを後にする事にした。

季節は秋の終わり。コートを着るか悩んだが、結局荷物になると判断し長袖長ズボンで部屋をでる事にした。


廊下に出るといつもの場所で老婆が編み物を編んでいる。

僕が住んでいる物件は全部屋で12世帯ある。その全ては単身用の部屋のみ。ここ数年は空き室も増えたが、管理会社はあまり募集に力を入れていないようだ。

倒れてしまった入居募集中ののぼりを廊下の端に寄せながら老婆に挨拶をした。

「おはよう、中村さん」

「あら、おはよう榊くん」

「今日も編み物ですか?」

「そうよ、もう少しで完成なの」

中村さんは話ながらも編み物から目を離さない。ここ数日お風呂も入っていないのだろう。手入れをされていない白髪が手元まで垂れ、まるで自身の白髪を編んでいるようにも見えた。

時間は7時を過ぎてたが辺りはまだ暗く。センサー式の共用灯もまだ消灯してはいない。

「榊くん?」

中村さんは横顔のまま不思議そうに問いかけた。

「何か?」

「今日はいつもより遅いわ、出勤の時間は大丈夫なの?」

「あぁ、今日は大丈夫ですよ」

中村さんの前を通り過ぎ、エレベータのボタンを押した。

1階にあるエレベータの表示が2階に点灯した。

「中村さん、その編み物。僕には進んでいるように見えないんですが」

「完成は近いんでしょうか?」

2階にあるエレベータの表示が3階に点灯した。

「そう、もう少しで完成よ」

「そうですか」

3階にあるエレベータの表示が4階に点灯した。

エレベータの扉が開き中に、乗り込んだ。

「榊くん?」

今日はじめて中村さんが顔をあげ、僕の顔を覗き込むようにうかがっている。

以前より眼窩の窪みが深くなっている気がした。

ただ、白髪の合間に見える視線はするどく、白く清らかだ。

「何か?」

エレベータの扉が閉まった。

中村さんは何かいいかけた言葉をやめ、小さく呟いた。

いってらっしゃい。扉が閉まる最中僕にはそう聞こえた。

エレベータは1階に着き扉が開いた。

「行ってきます」

僕はそう応えた。

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