第19話 ミスター落下
曲が終わり、会場は拍手と歓声に包まれた。観客は総立ちだ。
『なんという歌唱力!聴く者をねじ伏せるような圧倒的な声量と独特の嗄れ声!今日、この会場にいる妖怪はなんと運が良いのでしょう!』
歌い終えた朱の盆はメンバーに視線を送った。謝罪と感謝を込めた、実に複雑な視線ではあったが、メンバーは、真っ直ぐに朱の盆を見つめてくれている。一つ目小僧はそのたった一つのつぶらな瞳で、あかなめは眠たそうな二つの眼で、百々目鬼は全身にある無数の目で。
『素晴らしいライブでした!しかし!このライブでさえ、今夜のメインではないのです!さぁ、それでは対戦相手をご紹介いたしま――』
『待ってくれ!』
朱の盆がマイクを通して叫んだ。
『夜行さん!悪いがここは俺に紹介させてもらおう。皆、いいよなァ?』
興奮冷めやらぬ観客たちは大声援をもって朱の盆の提案を了承した。
『ありがとう!さぁ、皆!俺の対戦相手を紹介するぜ!一目見て腰抜かすなよ!ミスター落下、釣瓶落ぃぃぃぃぃいいい!』
朱の盆が花道に手を翳す。煙の中に、岩のようなシルエットが浮かび上がる。釣瓶落だ。釣瓶落はその巨大な体をずん、ずん、と揺らしながらリングに近づく。
『強敵だ!誰がなんと言おうと、俺はそう思っている!正直に告白しよう、彼とだけは当たりたくないとすら考えたこともある!何故?彼が強いからさ!こいつは間違いない。しかし俺は同時に嬉しくもある!こんなに強い妖怪と、今夜戦えるんだからな!』
朱の盆のマイクパフォーマンスに導かれるように、釣瓶落がロープの前に到達した。
「やりにくいな~、褒められるのは慣れてないんだよ~」
間延びした声でそう言うと、釣瓶落は全身のばねを使い、高く飛び上がった。
数瞬の後、リング中央に小さな染みが落ちる。その染みは質量となって、轟音と共に落下して来た。衝撃で、ふわり、と朱の盆の体が浮いた。
『……震えるぜ!じゃあ皆!これからの俺と釣瓶落の戦い、一秒も目ぇ離すんじゃねぇぞ!』
そう言って朱の盆はぬらりひょんにマイクを投げ返し、深々とお辞儀をした。
「盛り上げてくれて~ありがとうね~」
釣瓶落は、朱の盆の背中にそう声をかけた。朱の盆は照れくさそうに笑いながら、釣瓶落に向き直る。
「いや、思ってたことを言ったまでだ。正直、あんたとはやりたくなかった」
「褒めても~手は抜かないよ~」
「ああ、望むところだ!」
油すましがリングに上がり、両者の間でルールの説明を始めた。一言で終わるルールであるが、これもまた、試合を盛り上げるために必要な儀式なのである。
「ルールは一つ、ルール無しだ。存分に戦いなさい」
油すましの言葉にほぼ同時に頷いた二匹は、それぞれのコーナーに戻っていった。
朱の盆のコーナーには、バンドのメンバーが待っていた。
「皆、一体どうして……」
そんな朱の盆の問いに、メンバーたちはそれぞれの想いを持って答えた。
「馬鹿野郎、こんな面白そうなライブに参加しねーわけにはいかねーだろ?」
百々目鬼はいつもの調子で軽口をたたき、
「そうだよ、俺たちゃ仲間なんだからさ、応援に来るのは当たり前じゃん」
メンバー最年少の一つ目小僧がくりくりと目を動かす。
「当然と言っては何だが……勝つんだろうな?」
あかなめは眠たそうな目に反して厳しいことをさらりと言った。朱の盆はにやり、と笑って親指で自分の胸を指す。
「俺を誰だと思っている?」
自分のコーナーに戻った釣瓶落は、セコンドの痰痰坊と言葉を交わす。
「いや~まいったね~」
「だなぁ~、あんなのは不公平だよ~」
「でもさ~、あの朱の盆って奴は~なかなかどうして良い奴みたいだ~」
「何でそう思うんだ~」
「だってあいつの歌、シンプルでいいじゃないか~」
「そうだな~俺もそう思うよ~」
「いつだって、シンプルが一番さ~」
「そうだな~。でも手は抜くなよ~お前には皆期待してるんだぞ~」
「ああ~、手は抜かないよ~。全力で潰してやる~」
「まぁ、お前には秘策もあるしな~」
「よっしゃ~、そんじゃ~行ってくるわ~」
「がんばれよ~」
その直後、リング中央で、油すましが大きく腕を交差させた。
「はじめぇい!」
どぉん、と太鼓の音が鳴り響く。第三試合が始まった。
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