第17話 朱の盆
馬鹿なことはやめろ。
この大会への参加を決めたとき、仲間は皆、口を揃えてそう言った。バンドとして人気が最高潮の今、そして今後の成功も約束されたようなものである今、何故このような大会に出るのか?仲間たちは最後の最後まで朱の盆の説得を止めなかった。
しかし、彼の意思は固かった。
彼とて仲間のことを軽んじているわけではない。それどころか『怪奇団』のメンバーは最高の仲間だと信じている。だからこそ、彼らには理解してほしかったとの想いもあった。
歌妖界随一の人気ロックバンドの座を得た彼は、常に葛藤していた。理想の自分と現実の自分とのあまりのギャップに、悩み、憤り、そして途方に暮れた。
強くなりたい。
誰よりも、強くなりたい。
幼い頃からそう想い続けてきた彼にとって、現状はあまりにも理想とはかけ離れたものだった。
確かに、世間一般的に見て、彼は成功者かもしれない。誰もが羨むような地位を獲得し、多くのファンから愛されている。バンドのメンバーにも恵まれ、一生の仲間とも感じている。
だがしかし。
いや、だからこそ彼はそんな自分が許せなかった。
ステージに上がり、スポットライトと歓声を浴びる自分を、いつも客席から見ている自分がいる。そいつは、薄ら笑いを浮かべながら、彼にだけ届く声で、言うのだ。
成功者?笑わせるな。
お前は、誰がなんと言おうと、敗北者だ、と。
朱の盆は控え室のベンチに座り、軽く目を閉じている。集中力を高めているのである。全身が心臓になったように脈打つ血液の流れを、しみじみと、楽しむように感じ取る。この高揚感はライブ前のそれに似ていた。
大きく、一つ深呼吸をして、朱の盆は目を開き、立ち上がった。
軽い跳躍の後、彼は全身の動きを確かめるように体を動かしていった。
左腕。拳を軽く握り、素早いジャブを二発。
右腕。腰からの回転を十分に伝えながら、勢い良く、最短距離を走らせる。
右足。床を蹴って、踏み込む。
左足。踏み込んだ体を急停止させる。しかし、上半身にかかった推進力は殺さぬように。
そうして、体重を乗せた右ストレートを放つ。
しゅぴっ、と小気味良い衣擦れの音が耳に届いた。
動く、という確信を得るには、それで十分だった。
そこで彼はふと、仲間の言葉を思い出した。
『そんなに言うなら、好きなようにしろよ』
仲間たちの視線は、冷たくはなかったが、彼に罪悪感を抱かせるには十分な哀しみを含んでいた。
ごめん、とあの時彼は小さく言った。しかし、その後に続く言葉はついに口にすることはできなかった。
彼は心中で今一度それを確認するかのように、呟く。
(我侭だとは思うが、俺が今、一番上がりたいステージはここなんだ)
かちゃり、と控え室の扉が開かれた。
入ってきたのは猫娘と絡新婦だった。
小豆研ぎの姿は、無い。小豆研ぎは両腕の負傷のため控え室とは別の医務室に運ばれたのだ。
片方しか控え室に戻ってこないという事実に、控え室の温度が、しん、と一段階下がった気がした。
「第二試合が終わりました!続きまして第三試合を行います!名前を呼ばれた選手は私の後についてきてください!」
猫娘の歯切れの良い声が響くと、控え室には張り詰めた空気が立ち込めた。
「まずは、朱の盆選手!」
呼び声に反応し、朱の盆が猫娘に歩み寄る。
「おい」
入り口付近の壁にもたれるように座っていた天邪鬼が、声をかけた。
「何だ?」
大方、また皮肉でも言われるのだろうと朱の盆はうんざりした様子で投げやりに答える。しかし、天邪鬼が言った一言は想像とは間逆の言葉だった。
「お前、俺とやるまで負けるんじゃねーぞ」
朱の盆はその意外な言葉に「あ、ああ」と短く答え、控え室を出た。
「そしてもう一人は……釣瓶落選手!」
「は~い」
釣瓶落はどすん、どすん、と派手な音を立てながら控え室の出口へ向かった。
ビッグフェイスの二妖怪が今、対峙する。
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