第16話 鶴瓶落
控え室の一角に、異様な光景が広がっている。
大きな球形の物体が二つ、転がっている。直径は二メートルほど、一つは髪の毛のような黒い毛に覆われたもので、もう一つは緑色の少し潰れたラグビーボールのような形だ。球形は良く見れば人の顔のようであり、しかし、何処を探してもその顔の下にあるべき体は、見当たらない。
「遂に本番か~」
毛むくじゃらのほうが、低い、のんびりとした声だ。
「ああ、頑張れよ~。お前は俺たちの希望の星なんだからよぉ~」
緑色のほうが、のんびりとそう返す。
毛むくじゃらの球形は釣瓶落だ。
巨大な顔だけの妖怪である。
顔は髪の毛と髭に覆われ、耳と、目、そして鼻の周辺だけがかろうじて素肌を見せている。
『釣瓶』とは井戸から水を汲むために縄を付けた桶のことを言う。
縄を手放すと、すとん、と下に落ちていく。
一般的に、夜の山道などを歩いていると突然木の上から落ちてきて、人間をおどかす、もしくは押しつぶすとされている妖怪である。
その落ちてくる様子がまるで『釣瓶』のようだ、ということで名付けられた妖怪だった。
緑色の球形は【痰痰坊】と呼ばれる妖怪である。釣瓶落と同様に顔だけの妖怪だが、こちらは木の上から落ちてくることはない。
彼は名前の通り『痰』を吐く妖怪なのだ。
その痰は人間の物と比べて何十倍も粘着力が強く、一度取り付いたら突きたての餅のように体の自由を奪うのである。
「お前は~蔑まれてきた俺たち『顔妖怪』の強さを~みんなに見せ付けてやれる男だ~」
「ああ~、そぉうだぁな~」
顔妖怪、そう呼ばれる妖怪は少なくはない。釣瓶落を筆頭に、セコンドの痰痰坊の他、障子の向こうで音を出し、人を脅かす【大かむろ】。見るものの魂を奪う、車輪に顔だけの妖怪【輪入道】。木ではなく鳥居の上から落ちてくるという【おとろし】。小三太、又重、悪五郎という三人の武士の怨霊が具現化した【舞首】など各地に伝承として残されている。
しかし、だ。彼らは手もなく、足もない。それは長い間他の妖怪たちから見下される要因となっていた。
皆は言う。あいつら『顔妖怪』はただ落ちたり、転がったり、脅かしたりすることしかできないでくの坊である、と。
「みんなに教えてやらなきゃならないんだ~」
顔妖怪たちは長年、その屈辱に耐えてきた。そして今回の妖怪王座決定戦で、その闇の歴史にピリオドを打とうと決起したのである。
顔妖怪達の代表決定戦はとてもシンプルなものだった。
それは、相撲だ。
お互いにぶつかり合い、先に土俵の下に落ちたものの負け。
その結果、代表に選ばれたのは釣瓶落であった。
「シンプルが一番いい~」
釣瓶落は、口癖であるその言葉を呟く。
「なまじ手や足があると~そいつを使いたくなる。術を使えりゃ~それに頼るかもしれない。俺達にゃそんなものはないが~立派な顔が一つある~。シンプルが一番いいんだ~」
痰痰坊が顔全体を揺する様にして頷く。
「それを証明してやろうぜ~」
親友でもある痰痰坊の言葉に、釣瓶落は嬉しそうに、その大きな顔を歪め笑顔を見せた。
「まかせとけ~!」
変わらず、のんびりした口調で応えるが、釣瓶落の心中は口調ほど穏やかではなかった。
彼は「顔妖怪」の中でもトップの実力を誇る。
しかし、それ故に「顔妖怪」の致命的な弱点も知り尽くしている。
手足が無く、胴体も無い。
それは戦いにおいて、やはり不利に働くことが多い。
俊敏なステップもできず、相手を掴むこともできない。
代表を決めた単純なぶつかり合いでいくら強くても、実際に試合となれば手足のある相手と戦うことになる。
『何でもあり』というルールにおいて、『できないことがある』というのは、やはり致命的な欠陥でもあるのだ。
釣瓶落は、自身が代表になってからというもの、その巨大な頭を振り絞って考えた。
そうして考えに、考え抜いた結果、一つの結論に辿り着いた。
(欠陥から、切なく生まれるのが『ぱーそなりてぃー』なんだな~)
釣瓶落の顔に決意の炎が浮かぶ。
「見せてやるぞ~、『持っていない者』の闘い方ってやつを~」
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