5.崩落

 川沿い亭に戻った俺は、悪い知らせを聞くことになった。

 昨日のような霖雨ながあめが、先週も先々週もあったそうだ。

 度重なるその雨量に川が耐えられなかったらしい。

 いや、耐えられなかったのは――橋だ。

 川の増水により、街の南側にかかる橋が崩落したことを支配人チーフから聞かされた。


「……まいったなあ」

 食堂のカウンターに腰を下ろし、俺は呟いた。

 橋は魔術都市アルフィドへと繋がる唯一の道だった。ある程度水が引いてから、もう一度橋を架け直すことになるとのことなのだが、現状どの位かかるのかの目処もたたないらしい。

「仕方ありません。形あるものはいつか壊れるものですから」

 キィハは頭巾フードを深く被ったまま平坦な口調で言った。そして、私を含めてですけど、と付け足す。……ったく、お前の修理リペアのために遠路はるばるここまで来たんだろうが。

「そっちに座るな。肘が当たる」

 俺はスープを飲みながらキィハに八つ当たりした。彼女は外套マントを翻すようにして無言で立ち上がり、俺の右側の席に座り直す。

 今日のランチの残りのスープは牛乳ミルク仕立てで具材は鶏ハムとカリフラワー。美味い。

 しかし、どうしたものか。

 いずれにせよ当分ここで足止めということになる。人は神と自然には逆らえない。

 幸か不幸か鬼蜘蛛オーガスパイダー戦のおかげで長期宿泊の費用はある程度捻出できるし、長旅の骨休めと思えばそれはそれでという気もする。こういう時こそ楽観的ポジティブに行かなければ。

 俺は自分の分を飲み終え、キィハの分のスープに手を付けながらそんなことを考えていた。


 玄関エントランスに眼鏡の男が姿を見せたのは、俺が二杯目のスープをちょうど飲み終えた頃だった。

 えらく疲れた様子で、食堂の椅子にどさりと座り、机に突っ伏する。

「バークリィさん! 大丈夫ですか!?」

 その姿に慌てて支配人チーフが駆け寄った。

「だ……大丈夫です。少し疲れただけで、あの、えっと……水を一杯いただけますか?」

 バークリィと呼ばれた男は枯れた声でそう言って、再び机に倒れこんだ。

 俺はこの男のことがどうにも気になり、食堂に残って様子を伺うことにした。

 男は支配人チーフの持ってきた水を一気に飲み干し、礼を言った後でこう続けた。

「……あと、すいません。ホーチョーって置いてありますか?」

 ホーチョー?

 耳慣れない言葉だ。

「ホーチョー、ですか……多分あると思うんですけど……」

 支配人は困った表情のまま厨房キッチンへと戻っていった。

 どうやらホーチョーというのは厨房キッチンで使用するものらしい。

 しばらくして戻ってきた支配人の手には幅広で片刃のナイフが握られていた。

 ああ、思い出した。包丁ホーチョーか。

 俺が二歳か三歳の頃まで使われていたらしい。食材を切断するための刃物の名称だ。話に聞いたことはあるが、見るのはこれが初めてだ。

 包丁ホーチョーは手入れもせず放置されていたようで、所々にさびが浮いている。

「一応、砥石もあったんですけど……」

 彼女は手にした包丁とともに砥石と呼ばれる石塊を差し出した。

「そうですね、研いでみましょう。厨房にお邪魔しますね」

 男はチーフとともに厨房キッチンへと入っていった。ここは一体型厨房オープンキッチンになっているので、いま俺とキィハが座っているカウンターからは中の様子を十分に覗くことが出来る。

「こんなことをするの、二十五年ぶりですよ」

 男は言い訳するようにそう言いながら、サビの浮いた包丁を水で濡らした砥石に当てて前後に動かし始めた。時折、砥石に水を掛け、包丁ホーチョーの裏と表を入れ替える。十五分ほどだろうか。何度も砥石の上で動かすことで包丁は金属の輝きを取り戻した。

 刃全体を水で流し、布巾クロスで水滴を拭き取ると、男はそれを自分の左手の甲に当て、引いた。

 流石に俺でもこれは分かる。刃物がまだ切る役割を果たしていた頃は、こうして引いたり押したりすることで物体を切断できたはずだ。

 当たり前のことだが、男の手は刃物によって切断されることはなかった。男の手は傷一つつくことなく、赤みを帯びることさえない。刃物はまったく無効化ディアクティベートされている。それは二十五年前に神によって禁じられてからずっと変わらない現実リアル

「……ですよね」

 男は落胆するでもなく、ただそう言った。

 そりゃそうだろう。刃物が切れないなんて当然のことだ。それにしても……ランギヲートスの嘆きは何処まで深いのだろうか。

 俺は首から提げている自分の護片アミュレットを手に取った。

 護片アミュレットには三大神に祈りを捧げるための、ミズナラの木の枝、金属片、水晶片がぶら下がっていて、それぞれが、火とかまどの神ペチ、刃物と金属の神ランギヲートス、雨と水の神ルゼナルキルを表している。

 祈ることはもう習慣になっている。

 先日の雨の時は水晶片を握り、ルゼナルキルに祈りを捧げた。

 それでも雨は降り続き、川は増水し、橋は崩落した。

 人の祈りなんてそんなものだ。

 街の人々はそれでも神を深く信じ、日々の祈りを忘れない。

 彼らに比べれば、俺の信仰心は少しばかり薄いのかも知れない。

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