第15話 敵本陣を急襲せよ

 鋭く尖った耳が、仲間たちのときの声を聞いた。


 ――いくか。


 オスカーは樹上から身を躍らせる。


剛力ウルズ


 ルーン魔法を詠唱。腕力を強化して着地と同時に剣を振るい、一撃のもとに手近なオークの首を落とす。夜のオークは油断のならない相手だが、ならば条件はこの自分とて変わらない。不意を打ってしまいさえすれば、少なくとも最初の一匹だけは一方的に屠れる。


 オスカーは戦場の辺縁を飛び渡り、単独行動している個体を狙って続けざまに三匹を葬った。


「……きりがないな」


 剣の血を払いながら、忌々しげに独白する。


 予想されていたことではあった。


 戦の準備が整ったのは夕刻。即座に進軍すれば不利な夜襲をかけることになるのはわかりきっていた。もたもたしていては森に火を放たれるおそれがある以上、動くよりほかにないのが守る側のつらいところだ。


 もとより規模の大きくない里から戦える男だけを選りすぐったエルフ軍は、必然的に少数精鋭である。いかに地の利があるとはいえ、夜更けのオークの群れを相手取るならば長期戦は避けたい。


 だから自分がこうして遊撃に出て、戦場に合流しようとやって来るオークを各個撃破しているわけではあるが――


「これは、指揮官の首を取るのが先決か?」


 ちまちま一匹ずつ片付けていてもらちがあかない。


 やはり、敵を統率のとれた軍勢から烏合の衆に変えてしまうことが有効だろうと思われた。オークは知性こそ有しているが、暗黒のマナによって支配されたその精神には理性の一欠片とて残していない。指揮を行っているのが何者かは知らないが、そいつさえ潰してしまえば、敵は作戦行動を遂行することができなくなるはずだった。


俊迅ライゾ


 夜気が旋を巻く。


 オスカーは突風となって森を駆けた。目指すは前線――否、それをさらに越えて敵の陣内真っ只中だ。


 そう考えたのが自分だけではなかったことなど、知るよしもなかった。



     ◇ ◇ ◇



 コーネリウスは少数の護衛を率いて闇の中を移動していた。


 大樹の幹、木の根が作る地面の段差、低木と草でできた藪。ありとあらゆる地形を利用して身を隠しながら、ときおり不意をついて顔を出し、背後を見せた敵を弓矢で射貫いてゆく。


 まともにぶつかり合っても押し潰されてしまうだけだ。この戦いで敵将の首を取るには、正面に人数をかけてオークの群れを誘い込んだうえで、別働隊によって敵陣を攪乱、急襲することがどうしても必要だった。


 コーネリウスは木陰からわずかに身を乗り出し、敵の陣営深くを窺う。


「狙えるな」


 自分たちの部隊が敵本陣に最も近い、の意だ。


 戦闘生物であるオークは守りを好かないということだろう、百を超える軍勢の大部分が陽動に食らいついたようで、本陣には申し訳程度の手勢しか残っていない。


 これならば、討てる。


 コーネリウスは部下と頷き合い、篝火に照らされて揺らめく敵将の影をめがけて、弓を引き絞った。


 弦が震え、矢が解き放たれる。


 障害物の多い森での狩猟によって鍛えられたエルフの弓術は、決して狙いを過つことはない。飛び駆けた矢は薄い陣幕などたやすく貫通し、その奥にいる敵の脳天を穿つはずだった。


 そうはならなかった。



     ◇ ◇ ◇



 オスカーが駆けつけたとき、コーネリウスは剣戟を繰り広げている真っ最中だった。


 オスカーの夜目は、両者の装束に血が付着していることを見て取る。周囲に護衛の姿は見当たらず、コーネリウスと亜人が一対一で立ち合っている状況から、おそらくはどちらも返り血に染まったものと思われた。


 コーネリウスが直剣を両手で操っているのに対して、亜人は左右の手に一振りずつ蛮刀を握っている。片方を防いだコーネリウスの首筋に、


「――コーネリウス! 退け!」


「オスカー殿!?」


 コーネリウスは迅速に反応した。渾身の力をこめて敵を押し返し、その反動を使って自身の体を後退させる。


 そこに、オスカーが横合いから飛びかかった。


 亜人を蹴り飛ばして着地。コーネリウスを背後に庇う位置に立つ。


「こいつがオークどもの指揮官か?」


「ええ」


 オスカーの視線の先で、亜人がゆらりと立ち上がる。


 夜の暗がりの中にあっても、そいつの異様な風体はよくわかった。


 胸当てで急所を守り、腰蓑こしみのから伸びる二本の足には鉄板を貼りつけた靴を履いている。防具らしい防具はそれで全部だ。兜も胴鎧も篭手も、この亜人には必要ない。


 なぜならば、亜人の全身は鱗に包まれているからだ。


「リザードマンか……!」


 竜種にも似た頭に、直立二足歩行の身体。


 実際に相見えるのは初めてだが、間違いない。


 陸続きの異大陸の密林に住まうという、爬虫類を祖先にもつ亜人種族――いま眼前に立ち塞がっているのは、そのリザードマンだ。


 蜥蜴とかげの特徴を強く残した感情の透けない眼が、かすかに瞳孔を収縮させた。焦点が合って闖入者の像を結ぶ。オスカーの体に冷たい殺気が吹きつてけてくる。


「おれが相手をする。コーネリウス、おまえはオークの群れを掃討することに集中してくれ」


「……手強いですよ、そいつは」


 コーネリウスが逡巡したのはオスカーにも察せた。一人で当たるよりも二人でかかったほうが得策ではないか、と考えたのだろう。


 だが、結局彼はそれを口にしなかった。


「任せました。――足を引っ張るどころか、あなたの戦功が一番ということになりそうですよ」


「報奨でも出るのか? なら期待させてもらおう」


 集会所で交わした最後のやりとりを、どうやらこの若者は心に留めていたらしい。


 オスカーは笑って応じ、コーネリウスが駆けてゆくのを見送った。


「――さて。そういうことだ、リザードマン」


 構えた剣の先に立つ竜人へと、通じるのかもわからぬエルフ語を投げる。


亜人おまえは、このおれが狩る」


 次の瞬間、リザードマンが地を這うような姿勢で踏み込んできた。

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