オスカー・ザ・オーク -亜人を狩る者-
スガワラヒロ
第一章
第1話 エルフの心を持つオーク
木立の間を縫うように駆ける。
木の葉の狭間からこぼれる月光。その
が、オスカーの気分は優れなかった。
森から絶えず生み出される豊潤なマナが、かつてのように五体の隅々まで染みわたることは二度とない。それでも延々と走り続けられる自分の体を思うと、オスカーの心はひどく痛んだ。
森はもう自分に微笑んでくれず、自分もまた森を必要としない。
エルフではないのだ。既に。
「――――ッ!」
そのとき、風を切る刃の音が聞こえた。
オスカーはとっさに抜剣し、後方を振り返った。月明かりを受けて鈍く煌めく
ギン、と刃の噛み合う甲高い音。
剣を握る両手にあらん限りの力をこめる。オスカーは相手の斬撃を受け止めながら、噛みしめた歯の隙間から絞り出すように呻いた。
「オーク……追手か……!」
病的な灰色の肌が闇に浮かび上がる。
オーク。邪教の使徒モルゴーンの尖兵。
しかしその正体は、オスカーと故郷を同じくするエルフに他ならない。元々は平和を愛するエルフであった彼らは、モルゴーンによって捕らえられ、その身に暗黒のマナを注がれて醜く変わってしまったのだ。
ちょうど、オスカーがそうであるように。
精神まで侵蝕される前にオスカーが脱走できたことは、オスカー自身のみならずエルフ族全体にとって僥倖と言える。このまま逃げおおせさえすれば、邪悪なるパウラ教団の脅威を同胞たちに伝えることができるからだ。
「ここまで来て斃れるわけにはいかん!」
オスカーは敢然と剣を振るい、襲い来る戟を撥ね除ける。だが、暗黒のマナに煽られるオークの闘争心が衰えることはない。知性を感じさせる技巧で、しかし理性の介在しない獰猛さで振るわれる兇刃が、軌道上に伸びていた老樹をばっさりと断ち割る。
森が震撼し、近くで鳥の羽音が立った。
枝葉をつけたままの巨大な幹が、オスカーとオークを隔てるように倒れたのだ。
オークが威嚇の声を漏らしながらこちらを睨んでいた。その様子からは、自らの行いへの悔恨など微塵も感じ取れない。
「森の民の魂までも失ったか……!」
オスカーは表情を歪め、一蹴りで倒木を跳び越した。心まで譲り渡したつもりがないとはいっても、肉体はこちらとて既にオークのそれだ。皮肉なことだが、この程度は造作もない。
森を傷つけて恥じない同胞の姿を、これ以上見ていたくはなかった。
オスカーは空中で剣を振り上げながら、オークが迎撃の構えをとるのを見た。迷いのない動きだ、とオスカーは思う。脳の随まで魔力に冒されているオークには、目の前の敵を本能のままに蹂躙することしか考えられないのだろう。
――だが、おれは違う。
オークの剛腕が唸りをあげる寸前、オスカーは叫んだ。
「
オスカーが首から提げた装飾が、詠唱に応えて力を発揮した。吊るされた石片に刻まれた文字があたりのマナを励起させ、オークの周囲で闇が
ルーン魔法だ。
真っ先に力を貸してくれたのが森の木々でなく夜の闇であったことが、再びオスカーの胸をちくりと刺す。
ともあれ、魔法は発動した。
形と質量を得るほどまでに濃縮された闇が、蔓のごとくオークの体に絡みついて怪力を封じた。
「
続けざまに詠唱。渦巻く闇が剣に宿り、紫紺の稲妻となって弾ける。
頭上に掲げた刃が
破壊の嵐を孕んだ得物をしっかりと握り、オスカーは腕を振り下ろした。
オークの頭蓋に剣身が食い込む、がつんとした手応え。だがそれを感じたのも一瞬のことだ。激しく暴れる暗黒のマナが怪人の肉を灼き、骨にヒビを入れてゆく。脆くなった躰を重みのある刃が断ち割り、オスカーが再び地に足をつけたときには、オークは頭のてっぺんから股間までを真っ二つに両断されていた。
死骸が爆発し、刹那、景色が炎の色に染まる。
オスカーは驚きもしない。亜人種族が死ぬときにはままあることだ。体内に残留する暗黒のマナが、主による制御を失って暴走するためである。
「……フーッ……フーッ……」
オスカーは荒く呼吸し、身を震わせて返り血を払う。
斬り裂く瞬間、網膜に焼きついた敵の相貌。
醜く変わってしまってはいたが、あれは見知った顔だった。自分とそう違わない年齢のエルフで、共に狩りに出かけたことも何度かあったと記憶している。
オスカーはきつく、きつく瞑目した。
三呼吸の間をおいて、ようやく追憶を締め出すことに成功した。
――立ち止まっているわけにはいかない。
オスカーは幽鬼のように歩み出し、森の奥へと進んでゆく。
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