シャドウエクリプス~託された願い~

@kaina0322

第1話 目覚め

「ねえ...」

声が聞こえる。聞き覚えの無い声だ。だけど、それはどこか懐かしくて、耳ざわりの良い声だった。

「ねえってば!聞こえてるの!?」

自分に呼びかける声がする。いつの間にか目を瞑っていたようだ。恐る恐る目を開けてみると、眩い光が目を刺した。

「うっ...」

だんだんと目の焦点が合ってきて、ぼんやりと顔の輪郭のようなものが見えた。誰かが自分の顔を覗き込んでいるようだ。どこかで波の音が聞こえる。

「あ!起きた!キミ、大丈夫!?」

「あ、ああ。ここは...どこだ?」

「ここはテトス村よ。」

「テトス村...?」

「まあそうよね、こんな田舎の村、知らないわよね。セオキシ島の北西部、と言ったほうが良かったかしら?」

セオキシ島...頭の中で反芻してみるが、全く思い当たる節がない。初めて聞く名称のようだ。それどころか、自分が元々何処にいたのかさえ全く思い出せなかった。

「...いや、聞き覚えがないな。」

「もしかして外国の人?」

「そうかもしれない。俺は自分で自分がどこから来たのかわからないんだ。」

「嘘?それって記憶喪失ってやつ?」

目をまん丸にして聞き返してきた。

「そういうことになるだろうな。」

「ほんとに全く何も覚えてないの?」

「名前は...、セイル。それ以外のことは何もわからない...。」

「記憶喪失なのに名前だけは思い出せるなんて、そんな都合のいいことってあるの?」

目の前の少女は訝しげにこちらを見ている。

「そう言われても思い出せないものは思い出せないんだ。俺だってなんで名前だけ覚えてるのか、そもそもそれが本当に俺の名前なのかすらもわからない。ただ、過去にそう呼ばれていたような…そんな気がしただけだ。」

「名乗っておきながら自分の名前かどうかも定かじゃないの?うーん、証明のしようがないし、信じるしかないみたいね。わかったわ。私は、キリアよ。」

キリアと名乗った少女は、鮮やかな柑子色のショートヘアに、透き通るような群青色の目をしていた。海辺の民だからか肌は少し焼けていて、頬にはそばかすがあった。

「よろしく、キリア。」

「ええ、よろしく。それで...どうしましょっか。」

「どうって?」

唐突な問いに面食らう。

「まさか、このままずっとここにいるつもりじゃないでしょうね!?こんなところで野垂死にでもされたら迷惑よ!?」

「いや、そう言われてもな...。死ぬつもりは毛頭ないがやることも特にないんだよな。その辺散策でもするか。」

「私の村を勝手に歩き回られたら困りますぅー!」

子供の様に駄々をこねだすキリアに少し困惑してしまう。

「なんで歩くのにいちいち許可が必要なんだよ...。」

「いや許可っていうか、どうせお金持ってないでしょ?食べ物とかどうするのよ?窃盗とかするんじゃないでしょうね?そういう意味で勝手にしてもらったら困るって言ったのよ。」

「どんだけ信用されてないんだよ...。まあ無理もないか。そっちからしたらいきなり記憶喪失だのわけのわからないことを言い出す不審者なんだもんな。」

確かに食べるものに困ってはいた。それどころか服も今着ているものしかないし、家ももちろんない。指摘された通り、お金もないのでどうしようもなかった。

「そうよ。兎に角、困ってるんでしょ?だったらこんなところで話してないで、取り敢えず私の家に来るっていうのはどう?それからどうするか決めましょ。」

そう言うと、キリアはすぐさま振り向いて歩き出してしまった。どうやらセイルに拒否権はないらしい。砂浜を出て、緩やかな坂を登っていく。程なくして村が見えてきた。茅葺き屋根に高床式の住居が並んでいる。防湿、防暑に優れた高床式住居は、湿気が高く、スコールが多い土地に適した住居形態である。

「よっ!キリア。」

道行く人々は皆そんな風にキリアに声をかけていく。その後で、セイルを横目でチラッと見て通り過ぎて行った。中にはあからさまに怪訝な顔をする者もいた。彼らの服装からも、ここが常夏のような気候であることはうかがい知れる。

「ずいぶん人気なんだな。」

「まあね。気分を害したならごめんなさいね。余所者が入ってくることは少ないから、皆警戒してるのよ。ほら、着いたわよ。」

キリアの家は、村のはずれにあったが、他の家よりも一回り大きかった。中に入ると、杖をついた老人が一人、椅子に座っていた。こっくりこっくりと船を漕いでいる。

「ただいま、おじいちゃん。」

「キリアか...。...誰じゃその男は!?まさか結婚の挨拶に来たとか言うんじゃなかろうの!?わしの目の黒いうちはキリアはよそにはやらんぞ!」

キリアに声をかけられて目を覚ました老人は、セイルの方を見るとたちまちくわっと目を見開いて早口でまくしたてた。どうやら勘違いをしているようだ。

「ちょっとおじいちゃん早とちりしすぎ!この人は、イプーセの浜で倒れてたのよ。どうやら記憶喪失みたいなの。」

「なんと!早とちりしてしまってすまんかったの。わしはこの村の村長じゃ。」

さっきまでと様子が一変し、打って変わって穏やかそうな態度になった。孫のこととなると暴走してしまうのだろうか。少なくとも、孫のことをとても大事に思っていることは見て取れた。

「気づいたらあの浜にいたんです。セイルと言うのですが、名前以外何も覚えていなくて...。」

「そうか、それは困ったのう。どうしたものか。」

「おじいちゃん、村のはずれに空き家があったわよね?あそこに住んでもらうのはどう?」

「そうじゃのう...そうしてもらうかの。」

「いいんですか?」

「人が住んでいる方が管理もしやすいからの。ただし、自分の食い扶持は、自分で稼いでもらうぞ?」

「ありがとうございます。もちろんです。」

「良い返事だ。キリア、案内してやるのじゃ。」


「村長が優しい人でよかった。」

「当たり前じゃない。私のおじいちゃんだもの。困っている人を放っておいたりはしないわ。」

その空き家は村のはずれにあった。村の他の家と何ら変わらない、茅葺き屋根に高床式の住居だ。

「本当に空き家なのか?見た感じでは綺麗に見えるが。」

「外はね~。中見ても同じことが言えるかしら?」

キリアがいたずらっぽく微笑む。家から箒を持ってきていることを考えると、当然中は掃除が必要なのだろう。

ガチャ

開けた瞬間、大量の埃が舞った。家の中は蜘蛛の巣がかかり、それはもう酷い有様だった。かなりの時間放置されてきたのだろう。

「ゲホッゲホッ...。こいつは想像以上だ。一体何年人が住んでいないんだ?」

「う~ん、14年くらいかしらね。」

「はあ!?そりゃずいぶん長いこと空き家だったんだな~。」

「とりあえず、片づけといてね。これからキミの家になるんだから。はい、これ箒。」

微笑ながらそう言うと、キリアは行ってしまった。どうやら手伝ってくれる気は全くないらしい。どっちにしろ、このままではとても住むというような状態ではない。他に行く当てもないし、セイルに選択肢はなかった。

「いっちょやりますかね~。」

まずは屋内の家具をすべて外に出すことにした。何から何まで出してしまい、家の中がもぬけの殻になった。こうすると掃除しやすいだろう。中のものをその都度動かして戻してを繰り返していたら日が暮れてしまう。虫や小動物の死骸から、ネズミの糞だかゴキブリの糞だか得体のしれないものもたくさんあったが、全て掃いて捨ててしまう。床や壁には煤なのかカビなのかよくわからない汚れがこびりついていた。いくら箒で掃いても落ちなかったが、幸いこの家は海のすぐ近くだ。家の中にあったいらなさそうな布きれを海水で濡らし、擦ると簡単にとれた。同じようにして外に出したものも全て濡れた布で拭いて綺麗にしてから、もとあった場所に戻した。これで生活していくのに申し分ない空間になっただろう。日はもう傾きかけていた。


掃除もすっかり済ませてしまい、家の中でくつろいでいると、コンコン、とドアをノックする者がいた。特に居留守を決め込む理由もないので、セイルはすぐに扉を開いた。

「やってる~?って見違えたじゃない!?たった何時間かでここまで綺麗にしたの!?ちょっとくらい手伝ってあげようかと思ったけれど、その必要はなかったみたいね。ところで、お腹、すいてるでしょ?」

キリアは干した魚や海藻などを持ってきていた。

「いいのか?自分の食い扶持は自分で稼げって言われたと思うんだが。」

「ええ、私のとこの空き家を掃除して貰った御礼みたいなものよ。それに、どうせもうすぐ保存できる期間過ぎちゃいそうだし。一緒に食べましょ?」

「ありがとう。」

程なくしてとても美味しそうな匂いが立ち込めてきた。十何年も使っていなかったはずだが、調理場は問題なく使えたようだ。キリアが運んできた料理は、干した魚を焼いたものと、海藻のスープだった。

「いただきます。」

まずは、魚の干物の身をほぐし、口に運んでみる。パサパサした食感を予想していたが、思っていたよりもしっとりとしていて、柔らかい。程よい塩味がついていて、噛めば噛むほどうま味がわいてきた。

「うまい!」

「口に合ったようでよかったわ。」

今度はスープの方に手を伸ばしてみる。海藻の出汁が出ているのか、優しい味がした。こちらも美味しく、最後の一滴まで飲み干してしまった。

「ここでの食事はこんな感じのものが多いわ。明日から食料を調達してもらうわよ。」

「そんないきなり!?魚の獲り方とかわからないぞ?」

「それはちゃんと手配してあげるわよ。私のとこの干し魚もいつまでも余っているわけじゃないし。」

「そっか。それならやってみる価値はありそうだな。助かる。」

「じゃあ、また明日ね。」

キリアが出て行って少ししてから、セイルはベッドに横たわった。自分の最初の記憶を思い出そうと試みるが、何度やっても砂浜で倒れていた時より前の記憶は思い出すことができなかった。自分は誰なのか、何処から来たのか、考えても現段階では何の答えも出ない問いが頭の中をグルグル回っている。キリアも自分のことを知らなかったし、海を経由して少なくともこの村以外の場所から来たに違いない。いや、もしかしたら、潮に流されたと見せかけて何者かが自分をあの砂浜に置いて行ったのかもしれない。そんなことを小一時間考えて、セイルはかぶりを振った。今はいくら考えても仕方のないことだ。それよりも今日は色々なことがあった。これから自分はこの村で暮らしていくのだろうか。一体どんな生活が待っているのか、これからのことに思いを馳せていると、いつの間にか意識が遠のいていた。

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