第3話

 美雲は珍しく廊下を走っていた。

 ———紅葉が狸のグループとケンカしてる。

 慌ててそう知らせてくれたのは白兎の菜の花だった。

 お弁当を食べようとしていた美雲は手にしていたお弁当箱を菜の花に押し付けて、駆け出した。

 感情的な所があっても、人懐っこい紅葉がそんな事をしでかす理由は一つしか思い付かない。

 美雲とワッカが悪口の件だ。

 学び舎の庭に出ると、すでに人集りができていて、その中心あたりから紅葉の声が聞こえてくる。

「なんで、新入りのあんたがそんな事言ったのかって聞いてんの!」

「紅葉、落ち付いて。まずは学び舎の中に入ろう。な」

 なだめているのはワッカのようだ。

「紅葉!ワッカ!」

 生徒たちをかき分けて、二人に駆け寄る。

 輪の中心には紅葉とワッカ、そして、金色の毛をした狸が一匹、静かに佇んでいた。

「学級委員長様のお出ましってか」

 横から不服そうに吐き捨てたのは美雲よりも長く学び舎にいる狸の黒曜だった。

「委員なんてないじゃないですか!それより、何があったんですか?」

「どこもこうもない!そのコロポックルが俺たち狸を馬鹿にしたんだ!」

「私はありもしない噂を撒いた奴は馬鹿だって言ったの。それとも、黒曜さんが噂を撒いたって認めるわけ?」

 紅葉は手を腰にあて、黒曜を真っ直ぐにみつめる。

「狸が噂を撒いたって言ったじゃないか!」

「そこの、新入生———黄金こがねか狸の誰かが噂を撒いてるって聞いたけど、本当なのかって聞いただけよ。それに、黄金は認めたじゃない!関係ないってんなら黒曜さんは話に入ってこないで!」

 美雲とワッカは困り果てて顔を見合わせた。

 紅葉はすごい剣幕で到底こちらの話しを聞き入れそうにない。

 すごい剣幕なのは黒曜も同じだった。

 この調子では恐らく新入生に美雲とワッカの噂を吹き込んだのは黒曜で間違いなさそうだ。

 そうなると、こちらも簡単に引きそうにない。

 ちらりと新入生を見やる。

 こちらはあまりに静かに佇んでいるものだから、この喧嘩とは無関係にすら見える。

 本当に噂を撒いたことを認めたのだろうか。

 美雲とワッカは再び、顔を見合わせる。

 ワッカが「ごめん、頼む」と呟き、美雲が頷く。

 次の瞬間、ワッカは紅葉を掴んで、小脇に抱えた。

「わー!ちょっとワッカ!何すんのよ!!」

 紅葉が手足をばたつかせ大騒ぎをする。

 ワッカは構わずに「すみません。頭を冷やせてきます」と言って、悠々とその場を離れる。。

 黒曜が後を追おうとするので、美雲がさっと前を遮る。

「紅葉は騒ぎ過ぎたようなので、頭を冷やさせた後、先生の所へ連れて行きます」

「散々、ケンカを売っておいて、最後はトンズラか?」

 黒曜は苛立ったように美雲の肩に自分の肩をどんっと思い切りぶつけた。

 美雲は勢いで横に倒れる。

「美雲ー!」

 背後から紅葉の声が聞こえる。

 起き上がろうとすると、肩に紅葉の手が添えられた。

 どうやら、ワッカの手からすり抜けてきてしまったようだ。

「紅葉…」

 紅葉が黒曜を睨め付ける。

「もう許さない!」

 紅葉の体に白い雲のような煙が纏わりつく。

「なっ!やるのか!?」

 黒曜の体から黒い煙が吹き出し始めた。

「そこまで!」

 庭に低い威厳のある声が響いた。

 生徒達が一斉に声のした方を仰ぎ見る。

 刑部先生が大きなお腹をゆらしながら立っていた。

 二本の足で立ち、狩衣を纏い、風折れ烏帽子を被ったその姿は顔こそ狸のそれだが、まるで絵画に書かれた恵比寿様のようだ。

「こらこら、紅葉、黒曜。まさか、変化の術で殴り合いをしようなんて思っているんじゃないだろうね」

 紅葉がすまなそうに顔を上げる。

「先生、ごめんなさい。でも、女には譲れない時があるの」

「まったく仕方ない子だね。しかし、何人であろうとこのバケモノ塾で暴力行為は許さない」

 その凛とした声色に誰もが口を噤んだ。

 黒曜がほっとしたように顔を歪め、紅葉が悔しさに瞳を揺らした。

「勝負を付けたいなら化け勝負で付けなさい」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る