あなたとランチを

ロセ

問題編(1)

 名栗あざみ(17)

 お昼のニュースのテロップにその名前が踊った時、頭のてっぺんからつま先までが冷え冷えとする感覚を覚えた。見知った人間の名前がそこに出るのを見るのは、これで二度目だ。

『昨日の午後九時過ぎ、家族が自宅に帰るとこの家の長女であるあざみさんが居間で死亡していました。死亡原因については、現在警察が調査中とのことで――』

「殺人事件かねぇ」

「まだこれからだったろうに、かわいそうになあ」

 視線がテレビに釘付けになっている横で、アルバイト先であるカフェ・クローバーの常連客たちは口々にそう言った。よもや彼女が俺の知り合いだとも知らず。

 プルルル……。プルル……。尻ポケットに入れた携帯が振動している。

「梅ちゃん、携帯鳴ってるぞ」

 客の一人に指摘され、俺は携帯を取り出してすこし悪戯っぽく謝る。

「あは、すみません。電源を切り忘れていたみたいで」

「いいよ、いいよ。今、俺たちしかいないし、急ぎの用件かもしれないから出てあげたら?」

 いいんですか、と思わず口の端が緩む。

「いいんだよ、彼女からお誘いの電話かもしれないじゃないか」

「だといいんですけどねえ。俺、いま彼女募集中なんで」

 答えながら、携帯の表示を見る。

五十鈴河イスズカワ 鈴』

 予想していた通りだ。納得し、「この借りはいつか必ず」と両手を合わせて常連客たちを拝みながら厨房に引っ込む。

「――はい、も」

「遅いんだよ、道真ミチザネぇ! 電話に出るのに何分かかってるんだ、コラァ!」

 電話を取ると同時に、掠れた声が特徴的な女性が圧をかけてくる。俺は両肩を竦め、「あのですね」と前置いた。

「所長、この時間帯は俺がカフェのアルバイト、ってご存知ですよね」

「知ってるよ」

 あまりにもけろりと答えられるものだから、俺は呆れ気味に自分よりも一回り年上の女性をさとす。

「電話に出るのが遅れて、やきもきさせたのは素直に悪かったなあと思いますけど、本当だったら出れていないんですしこの件については大目に見て下さいよ。自営業のゆるゆるライフを送っている所長にはもう分からないかもしれないですけど」

「あぁん? 道真お前、しれっとあたしをディスったな?」

「ディスるも何も所長が悪いんでしょ、所長が」

 一人嘆息し、「で、ご用件は?」と話題を変える。と、電話向こうの空気が急に張りつめたものに変わった。

「お前、ニュース見たか?」

 何の、とは所長は聞かなかった。けれど所長がいうニュースはたぶん一つだ。

「見ましたよ」

「そうか……、じゃあ話は早い。名栗あざみが死んだ。で、朱喜子ちゃん伝手でうちに調査依頼が入った。お前もカフェのバイトが終わったらすぐ来い」

 所長がこの時間帯はカフェのバイト中だと知っていて電話をかけてきたのはこれが理由か。

 納得し、静まり返った厨房にちょこんと置かれたまな板と包丁を見つめる。

「ほんとうにあざみちゃんは死んだんですか?」と俺は尋ねた。

 ほぼ無意識だ。けれどそれも仕方がない。名栗あざみという人間の特異さを知っている者ならば、なおのことそう尋ねざるを得ない。

「ほんとうだよ、信じたくないって気持ちはあたしにも分かるけどな」

「……、そうですか」

 ようやく、いや、遂にだ。

「この電話が終わってから、携帯に名栗邸の住所を送っておく。なるはやで来い」

「分かりました」

 数秒の沈黙の後、「梅」と所長がかたい声で俺の名前を呼んだ。

「お前、いまどんな気持ちだ?」

「不謹慎ですよ」

「分かってるよ、分かってる……。ただ、いまお前に聞いておかなきゃいけない気がしたんだ」 

 野生の勘だろうか。出会った頃から、この人のそういう部分は鋭かった。肝心の推理はお粗末なものだけれども。

「……筆舌に尽くしがたい、とそう言ってでもおきます」

「そうか」

 所長にしてはらしくない暗い声が応じる。所長は今、何を思っているのだろう。向こうで喋る人の意図を探るように、俺は空白の時間に流れる音を噛み締める。

「気分が悪いことを聞いて悪かったな。しっかり労働してから来いよ」

「はいはい」

 そっけなく会話を終了し、通話画面からディスプレイ画面に戻る携帯を見つめる。

『私はどこにいても、仲間はずれだから』

 頭の奥で、あの子の声が鮮やかによみがえった。

 あれは、そう。中学生最後の夏休みのことだった。俺を含めて部員数がたった二人のマイナーな部活だった家庭科部の思い出作りに、と顧問が気を利かせて二泊三日の旅行を提案してくれたのだ。

 行く先は孤島――針島。

 自然豊かな島で海岸には白い砂浜が広がり、スカイブルー色の海が周りをのむ。楽園のような島だった。が、後にその島は『針つけ島』と呼ばれる約七名が殺害された事件が起きる島になる。

 俺はそこで探偵として売り出し始めたばかりだった所長五十鈴河さんと出会えたことで師事することになり、顧問と仲の良かった友人を被害者と殺人犯として生みだすことになり――。

 そうして名栗あざみという――どんなに凄惨な事件現場でも必ず生還する、という強運を持った少女と出会った。

 針つけ島から帰る船で11歳のあざみちゃんはこう零していた。

『どうしてわたしは殺してもらえないんだろう』

 あの頃から約7年の時間が流れたが、彼女は各地の殺人事件の現場に名を連ね、そうしてそのたび殺人犯の手にかからず生き残り続けた。

 もはや天文学的な確率で。

 だからこそ、だからこそ。あざみちゃんを知る俺も所長もあの子が死んだと聞かされても、冗談だろうと思う気持ちが先行してしまうのだ。

「あの子も死ぬんだな」

 そう言ってみたものの、あざみちゃんだって人間だぞと理性が声高に叫んだ。

 それもそう。

 名栗あざみは神さまでもなんでもない。ただの人間でどこにでもいるような子でトマトが嫌いな、だった。

「最後が余計だな」

 俺――梅 道真は両手をぴったりと合わせて、「くわばらくわばら」とまじないを唱えた。

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