第5話 星谷が
彼はわがままなのだろうか。
もし彼をわがままだと言い切ってしまうならば、殆んどの人間がわがままになってしまう。
好きな事と嫌いな事はどうやって決まるのか。
経験、環境、そう言ったものから育まれた価値観。そう、それもある。
じゃあ赤子の好き嫌いとは?
好きな食べ物、嫌いな食べ物。好きなテレビ番組、嫌いなテレビ番組。好きな公園、嫌いな公園。
親に教えたつもりが無くとも確実にそれがある。
日本にはハイハイの出来る様になった赤子から少し離れた所に、筆・縄・トンカチの三つを置き。
赤子がハイハイして自ら手にした物に関係のある職に付ける様に育てるという風習があると言う。
彼もまた、ハイハイの出来る様になった頃それを親に実践された一人であった。
彼から少し離れた所に、サッカーボール・ノートパソコン・絵の具が置かれた。
両親は我が子がどれを選ぶのか、ワクワクハラハラしながら見守っている。
力強く、ハイハイでぐんぐんと進んでいく我が子。
後ろから見るとややサッカーボールに惹かれている様にも見える。
しかし、違った。彼はサッカーボールを追い越し、息を切らしながらキッチンに向かっていく。
どうするのだろう?と尚も見守る両親。
しかし、彼がキッチンのテーブルに差し掛かった時に母親は悲鳴をあげる。
そのテーブルは切った食材を仮置きするために使っているものでその上にはまだまな板とナイフが乗っていたからである。
慌てて駆け寄る父親、しかし遅かった。
彼はハイハイでそのテーブルの脚に頭突きを食らわせる。
その衝撃で上に乗っていたナイフとまな板が落ちた。
母親の一層の悲鳴の中、父は黙って見ていた。落ちて来たナイフを空中で掴み、見たことのない程の笑顔で嬉しそうにそれを振り回す我が子を。
日本に転向して来て初めての登校。
それが今までの経験の中で一番恥ずかしく、また嬉しかった出来事だと彼は今でもそう思う。
「今日から皆と一緒に勉強する『星谷立派』君だ。星谷君はお父さんがイギリスの方で小学校までをイギリスで過ごしたので、色々と慣れない事も多いだろう。皆、助けてやってくれな」
担任教師にそう紹介された少年は照れ臭そうに頭を掻いて俯いてはいるものの、その容姿が抜群に良いと言う事が一目瞭然だった。
「えっと、星谷立派。今先生が言ってくれた通りで。でもいずれ日本に来るつもりで母が日本語を教えてくれたから、日本語は大丈夫なつもり!もし変だったら教えろ!」
そう、彼の母親は敬語という敬語を教えていなかった。
いや、教えられなかったのだ。知らない事は教えられない。
「偉そうだなお前!」
クラスの誰かがそう突っ込むとドッと笑いが起こる。何がおかしいのかはともかく、星谷はその雰囲気がとても嬉しかった。
「まあ、やっぱこういう部分がまだ慣れないからあると思う!お前ら頼むぞ!」
担任がそう言うと、男女どちらもが嬉しそうにオッケーだのりょーかいだのと叫んでくれた。
もしかするとイジメられてしまうんでは無いかと思っていた星谷はホッとする。
良かった。自分はイジメる側だ。と。
「さあ!ちょっと偉そうな星谷にみんな質問はあるか?」
担任が茶化しながらそう言うと、待ってましたとクラスのほぼ全員がはい!はい!と手をあげた。
「んー…じゃあお前!加藤!」
担任が指さすと、加藤が立ち上がりみんなが聞きたかった事を星谷に聞いた。
「立派ってのは、あれ?和名みたいな感じ?」
「おー、それは先生も気になってた!どうなんだ?星谷」
他の生徒たちも気になっていたのか、ざわめきながら星谷の返事を待っている。
「いや!本名!親父が決めたらしい!本当はミドルネームもあんだけど、それは俺と友達なってくれたら!」
その返事を聞いてまた笑いが起こった。これは少し星谷が恥ずかしくなる類の笑い。
立派ってすげー名前だな!とか俺だったら名前負けだわ。
と言った声が聞えて来る。
「やめなさい。人の名前を笑っちゃダメ。言葉って難しいものよ?もし貴方達が海外の学校に転校して、名前を笑われたらどう思うのか考えて。そこで笑って欲しい人だけ笑いましょう」
一人の少女が、声を張るでも無くそう呟いただけで。その嘲笑は一瞬で静まった。
「すまんマキナ。それ先生が先に言わないといけなかった事だ。いつも助かる。星谷、根はいい奴らなんだ。許してやってくれないか?そろそろ1限も始まる。席はあの子の隣だ」
担任がそう言って指差したのはマキナと呼ばれる先ほどの少女の隣だった。
最後尾のその席に向かう間、さっきまで笑っていた生徒達が本当に申し訳ないと言った顔で星谷に思い思いの懺悔を投げかけた。
「すまん、悪気はマジでなかった」「ごめんね、気持ち考えられなかった」「あとでちゃんと謝らせてくれ」
そんな言葉を心の底からそう思うと言った口調で言って来る。
「さっきはありがとう。やっぱ俺の名前変なの?」
席についた星谷はマキナと呼ばれるその少女に話しかけた時に見てしまった。
彼女がクスクスと笑っていたのを。
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