第3話 あの場所に居たかどうか
渋谷駅前交番に昨年から勤務する星谷巡査はこう見えて中々順調な人生を歩んでいた。
父がイギリス人という事もあって幼い頃をイギリスで過ごした彼は英会話が人並み以上に堪能であったし、爽やかなその容姿は異性なんて勿論の事、同性からも可愛がられた。
もちろん、人並以上に期待されてしまう事も多々あったが、彼はそれも自分を鍛えてくれる課題として取り組み、事実彼は成長し、また認められてきた。人の手は借りるものではない、自分を鍛えてくれるもの。
それが彼の心情でもあったし、口説き文句でもあった。
何せ彼の名前は『立派』。イギリス人の父がその独特のセンスと浅い日本語への造詣を以ってして名付けのである。星谷立派、名に違わず立派に育ったものだ。
そんな彼が今、始めて頭を悩ませる、どうしたら良いものかと交際相手であるマキナに相談してしまうくらいにだ。
「良いじゃない。提示されてる反省要項があるんだから、その部分にだけリアクションしなさい」
わざわざ一人暮らしの自分の家に上がり込んでおきながら、甘えるでもなく脱がすでも無い自分の彼氏にマキナはイラついていた。
「そうは言うけどもだよ?アレ全部なかった事にして『付近に交通渋滞が怒っている事を知りながら、その交通整理を怠っていたと言う勤務態度を深く反省し…』って言うのは…」
毛足の長いにも関わらず、ホコリ1つ見当たらない白いラグの上に横になりながら頭をワシャワシャと掻いている星谷は口を尖らせている。
「言うのは?」
そのすぐ近くのソファーに腰掛けるマキナは最新のスマートフォンを片手に、SNSで友人のどうでも良い旅行写真に片っ端から高評価をつけながら問い詰める。
「なんか、こう。プライドが…」
星谷がその言葉を言い終わるか否か、カミナがその単語に食らいつく
「何?それ。見せれもしないもの持ってるつもり?」
「いや、それは…そうかもしれないけどさ。でもアレがなかった事になってるのはおかしいって!目撃者だってあんなに居るのに!」
寝ていた星谷は上半身をがばっと持ち上げ、
マキナのほうを向こうとするも、マキナがまるで見えないものを見る為に目を凝らす様な目つきで自分を見ているのを知って、テレビの方に顔を背けた。
「いやあ。なんでしょうね?まあね、百歩譲って目撃者の全員のスマートフォンが壊れていたって言うのは納得したとしてですよ?まあこれも百歩どころか千歩も万歩も譲ってますがね?定点カメラが雷の影響で壊れていたって言うのは…ねえ?」
画面の中でワイドショーの司会者がそう言うのを見て、マキナは尚更勝ち誇った様に笑う。星谷を見る、元々大きな、誰もが羨むその目が細くなるほどにニヤけていた。
「やっぱり何か集団催眠みたいなものなんですかね?『スクランブルの英雄事件』」
司会者の隣に座る、芸人の紫藤がさも不思議そうな顔で聞き返す。毒舌が売りの彼が素直に興味を示すと言うことは、成る程これは本当に面白い出来事なのかと、視聴者ならば思わずにいられない。
「まあそうでしょうなあ。でもこれは面白い事でしてね?実際引かれそうになった子供とそれを助けた青年、引きかけてしまったバイクはいたのでしょうよ。この人情薄れた昨今、その救出劇がまるで演出された映画の様に映ったんでしょうね。事実、青年に殺されたと目撃者が口を揃えて言うバイクの男もバイクも無傷なわけで。いや、でもこれは面白い」
何かを両手の上に乗っけながら話している様なジェスチャーをしながら映画監督の岸田がそう話した。
「この人私好きよ。すっごく可愛い」
マキナはなぜか満足した顔で岸田の話をかみしめる様に聞いていた。
悔しいが、まあそうなんだろうな。自分は集団催眠のようなものにかかっていたのか。そんなに人の温かさから離れていたんだな。と、星谷がなんだか反省し始めたその時だった。
「でもおかしく無いっすか?事故はあったとしたらなんでバイク無傷なんすか?」
突然話に割って入ったのは、どんな話題の時も置物扱いのタレント、元野球選手であり今は女優の奥さんに食わせてもらっていると言う神田だった。
「いや、だからね?神田さん。事故がなかったから無傷な訳よ。分かる?」
司会者が半笑いで神田を制しようとするも神田は納得いかない様子で続けた。
「いや、だって走ってるバイクがいて、引かれそうな子がいて、青年が助けたんですよね?だったらバイク転倒くらいしません?雨だった訳だし。急に止まろうとしたら倒れるくらいしますよね?だとしたら青年が腕力とかで止めた事になるし。無傷はおかしいって」
スタジオの全員が固まる。カンペを出すはずのADも何か気付いてはいけない事に気付いたのではと言う気持ちになってしまい、その紙をめくる事を忘れていた。
「あ、マジじゃん!じゃあやっぱこの青年ヤバいわ」
ちょっとした沈黙の後、最初にそう発したのは紫藤だった。
「いや、神田の言う通りじゃないっすか?おかしいじゃんコレ。無傷ってのは変だよ。これ、もしかして『仕込み』じゃないっすか?なんて言うんだっけ…アレ、光がどうこうみたいな名前の…」
紫藤の出した話題に乗っかる形で岸田も続ける。
「あ!フラッシュモブ!確かに!それあるかも!プロのスタントマン雇ったんならバイク無傷なのも頷けるし!あー…でも、だとしたら許可とか取ってない訳だし悪質だなぁ。第一何のためにこんな大それたフラッシュモブを?」
ここで司会者がパンと手を叩き、次の話題につなげる為に区切りを作った。
「はい!ま、やっぱり謎多い事件という事でね!番組では今後もこの事件を追っていきます!続いては今、世間を騒がせる通り魔事件を…」
「さあ、今日訪れたのはここ!今とっても人気の一風変わったカフェ!なんと!蝉が放し飼いに」
見入っていた画面が急に他の番組に変わり、星谷はハッと我に帰る。
「え、いやいや!まだ何か話すかも…」
マキナはいかにも不機嫌そうにリモコンを持っていた。
「もうアレで終わりよ。それにニュースの次のコーナー好きじゃないのよ。女の子に料理作らせて出来ないのをスタジオの奴等が笑うのよ。出来ない事を笑っちゃダメ」
「…まあ、アレはそういうアレだから」
「だから、そういうアレが嫌いなの」
流石に星谷もこれ以上は良くないと察し、立ち上がって荷物をまとめ始めた。
「ごめん、せっかくの休みなのに。これじゃ家デートとも言えないよな。なんか俺不安で、もし俺が見たアレを書類上でもなかったことにしちゃうと、なんか篆認めることに成っちゃうって言うか…それってどうなのかなって」
そう呟く星谷をマキナは無視する様にテレビをザッピングしている。
「病院、行ってくるよ。そういう病気の。初めてだけど、でも行かないとダメだ。よく考えたらさ?いや、よく考えなくたってあんな事実際起こる訳ないし…それに」
「私もいたの」
ザッピングを続けながら、マキナはぼそっとそう言った。
「は?」
「いたのよ、あの日、あの場所に。全部見てる」
「え?」
「本当ダメね。そう言うところ。私のスマホ変わったの気付いてないでしょ?あの日壊れたの。ずっとバッグに入れてたのに。だから新しいのにしたのよ」
星谷はバッグを持っていた左指の一本一本が解けていくのを止められなかった。
「マキナも見たのか?アレを?じゃあ知ってるはずだろ!彼は多分、その…なんて言うか…」
「神でしょ」
星谷はどうしようもなく嬉しかった。あの感動を、神秘を、もしかすると恐怖を。自分の愛する人と共有できる事が。
「で、これが神様の動画」
そう言うとマキナはバッグからもう一台スマートフォンを取り出し、ひび割れたその画面を星谷に向けた。
そこには確かに写っていた。その一部が。交差点にうずくまる少女、そこに突っ込むバイク。突如その間に割り込んだ青年。そして次の瞬間バイクとそれに乗る男が消え、現れた時には肉と鉄の塊となって姿を現していた。シークバーはまだその先があるにも係わらず、動画はそこで途切れている。
「え…なんで?だってあの日撮影してたスマホは全部壊れてて…。だから誰もあの出来事を…」
何かに怯える様に、嬉しくて仕方ない様に星谷は震えていた。
「ええ。この動画以外はデータとんでるわ。と言うか、この動画再生する以外は何も出来ないわ」
ぽいっとそのひび割れたスマートフォンを星谷に投げるとマキナはソファから立ち上がりベランダに出てタバコを吸い始めた。
「私もね?アレ見た時凄く感動して。ああ、神様っているんだ。私じゃないんだ。良かったって思った」
信じられない程綺麗に、まるで口から雲を出しているかの様な煙を吐きながらしながらマキナは続けた。
星谷はと言うと、そのひび割れた画面を初めて見るアダルトビデオを見る様な目でじいっと見つめている。
「でも、よーく考えるとね。ダメじゃない?その神。下手くそよ」
その言葉に星谷は言いようのない怒りに駆られた。
「ダメ?何がだ?彼は少女を助けたんだよ?しかも奇跡の様な手腕で!僕だって警官の端くれだ。彼の様な救出劇を妄想した事は一度や二度じゃない!」
いきり立つ星谷に対し、マキナはどこまでも落胆した顔つきで嘆いた。
「殺しちゃってるじゃない。一度ね。その後の奇跡を彼の評価に繋げるなら尚更無視出来ないミスよ」
星谷をその手に持ったタバコで指さしながらカミナは続ける。
「そして、問題なのは。何故『私の携帯のそれも一部だけ』データが破損してないのか。しかも、どう見ても彼が優しい印象では映らないシーンだけが残ってる」
「何が言いたいの?」
星谷は恐る恐るそう聞くも、マキナが何を言いたのかなんてとっくに勘付いていた。
「ワザとよ、彼の。バレてるのよ、私たちが悪者だって」
思わず星谷の頬の筋肉が緩む。ああ、その為にやったのだと思い出したのだ。
それは勿論マキナも同じな訳で、緩む星谷の頬を目の当たりにしては、どうしようもなくにやけてしまう。
今日初めて、同じタイミングで笑顔になる二人。
テレビでは、垢抜けない女子大生がかき揚げを作ろうとして出来上がったその真っ黒な塊をスタジオの芸能人たちがゲラゲラと指さして笑っている。
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