第2話 転生する為に必要なだけのソレ

渋谷と言う大きな街。


駅前のスクランブル交差点には1時間に1度、もしかすればもっと高頻度で誰かしらがスマートフォンを向ける。


せわしなく、それでいて気味の悪いほどに整頓されて歩く異常な密度の歩行者を映すためである。


まるで自分はその現状をあざ笑うかの様に、まるで自分はそう言った文化圏で生きてはいないと確かめる様に。さも部外者の様に。




それでもその日のそこに向けられたスマートフォンの数はいつものそれとは比べものにならなかった。




彼らは皆、スクランブル交差点の中心にむけて必死にそれをかざしている。


人混みの上から撮ろうとする為に、誰かに向けて挙手しているかの様に見えさえする。




その中心には顔を赤黒く染めた一人の青年と泣き叫ぶ少女、そして多分バイクであったのであろうソレ。


その横にまた人であったのであろうと言うソレ。




先ほどまで地に打つたびに破裂した様な音を1粒1粒が出していた豪雨もいつのまにか止み、彼がそれを望んだからそうなったかの様に彼の頭上の雲間から光が差し込み、彼とその横の少女を包む。




見せてもらっている様なその光景に自分の全てを忘れていた女性が突如大事なそれを思い出し、少女に向かって走り出す。


スマートフォンを掲げる人々をかき分け、一直線に少女に向かって走り出す。




最前列のそれらを抜けた時、彼女は少女の姿を見て泣き崩れた。


その彼女の姿を見た少女は青年の顔をちらりと見上げる。どこか了解を得る様な目だ。


青年はそれに対して少し困った様な表情を浮かべながら、ただコクリと頷く事で応えて見せると少女の顔がぱあっと晴れ、泣き崩れる彼女へ、つまりは自分の母の方へ駆け寄った。




そして、彼女と少女は抱きしめあった。泣き崩れ、只々謝る母の頭を自分がいつもそうしてもらう様に、小さな手で一生懸命撫でたのだ。




その時だった。


誰も聞いた事の無い音がスクランブル交差点で響いた。


例えるなら天から幾億の星が降ったかの様な、機械質でありながらどこまでも奇跡の様な音が。




その音がした後、もう誰もスマートホンを手に持っていなかった。


最初の誰かがそうしたのかは定かでは無いが、全員がそれを地に落とした。いいや、置いたのだ。


代わりに、彼らはその手を自身の頬を伝わる涙を拭う為だったり、溢れ出る嗚咽を抑える為に使い始める。




数えようも無い嗚咽は、まるで拭き忘れた風のささやきの様に、数えきれぬ涙はまるで降り忘れた雨を補う様に、少女と彼女を包んだ。




確かに奇跡はそこに起きたのだと誰もがそう確信したその時、先ほどの青年が、少女の母親に駆け寄る。




「その子の、お母さんですか?」




その声は千の海も、千の山も越え、望む者全てに聞こえる様だった。周りの雑音や人々の嗚咽がかき消されてしまう程だ。


母親は言葉にならず、手で口を押さえながら頭を縦に振るのみで応えた。彼は跪き、うずくまる彼女と同じ目線になるとその獅子の様に逞しい右手で少女を、その白鳥の様にしなやかな左手で母を。抱きしめ合うその二人を抱きしめた。


それを目にした観衆は、また新しい事にその手を使い始める。車の中でハンドルを握っていた者までもが。両手を胸の前で合わせ、祈る為に。




祈るには、神が必要であり。神には構造が必要である。神話と呼ばれるそれが。




強く振る雨のせいで、それともその人混みのせいで。交差点の真ん中で母親を見失った少女。それに気付きもせず歩き続けてしまった母。


雨降る交差点の真ん中で泣き崩れてしまっている少女は、まるでその過失が少女にあるとばかりにクラクションを鳴らす車たちに怯え歩き出せずにいた。


何故、車たちは止まっているのか。邪魔に思い車間をスイスイと抜け交差点に踊り出したバイク。




このままでは少女は引かれる。誰もがそう思ったその時だった。




濡れた地面のせいもあり勢いを殺せず少女めがけて走るバイクと、泣き崩れる少女。その間に、青年は颯爽と踊り出た。




無駄の無い挙動でバイクの方向にその右手を向け唱える。




「訊け、イデアの代弁者。人の世に在りながら判遅き無能よ。黒きに創られ赤き物、赤きに生まれ黒き者。私は誤差を認めない。例え貴女に背こうとも。『脱構築デ・コンスト』」




彼がそう言い終わると同時に、少女に向かうバイクとそれに乗る男はそこに降る雨粒程の大きさになり。地面と落ちた時に、原型をかろうじて留めない姿で吐き出された。


動かなくなったそれから漏れたオイルと血を労わる様な手付きで掬い、彼は混じり合ったそれを自身の顔に塗った。そして、こうなったのだ。




これは果たして目撃者である彼らが祈るに値するのか。神話に値するのか。それは誰でも無い彼らが決める事であって、その彼らが目撃した神話を読んだ者が決める事では無い。




何故なら、彼は祈られた。その事実は揺るがないのだから。




そして、ここからがまた、人々が青年を神格化したとしても誰も責めようの無い奇跡。




祈る人々を見て、決まりの悪そうな顔をした青年は母親と少女の肩から手を離す。


自身の顔に塗ったオイルと血の混ざったそれが乾き始めている事をつめ先で引っ掻き確認すると、そのバイクと男だった塊に向かって歩き出す。




「凝らせ、因を産む愚王よ。昏き中で彷徨う悪政の彼方。今は亡き、故に今も亡き。私は過去を讃えない。例え貴方に執られても。『再構築リ・コンスト』」




塊の前で彼がそう唱え、爪で剥がしたそれをパラパラと供えるように零すと、物音一つ立てずに塊は元の男とバイクに戻っていた。




「あ…。えっと…あれ?」




無理もない。狼狽える男は自分の体を一通りぺたぺたと確かめる様に触ると、その延長線上にあるかの様に彼のバイクもペタペタとした。




嗚咽し、只々祈る観衆の中で唯一人、気ままに動ける少女は男がまた現れたのを見つけるとむすっとした顔で駆け寄り、その勢いをままに男にゲンコツをくらわせた。




「もう!危ないじゃない!」




その様子を見てハハッと青年は笑い、踵を返しバスケットボールストリートに姿を消した。祈る母、祈る観衆を尻目に。




そう、誰も傷つかなかった!断じて傷つかなかったのである!死ぬはずだった少女も、代わりに一度死んだ男も!果てはそのバイクまで!皆、元どおりなのだから!誰も傷つかなかったのである!




彼が元居た世界の皆を除いて、誰もだ。

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