1:転校生

 20xx年。


 この日本という国には、かつてない混沌が広がっていた。


 ある政権が、大規模な移民政策、及び外国人労働者の積極的受け入れを推し進めた。


 この試みは英断であると同時に、愚策でもあった。


 加速する少子高齢化によって減少の一途を辿っていた労働人口の大半を補うことに成功。税収が増え、いつか訪れると言われていた社会保障の破綻をどうにかまぬがれることができた。


 また、外国人という新たな風がやってきたことで、旧態依然としていた日本の会社思想に少なからぬ変革をもたらした。兼ねてからの問題であった長時間労働が減少。昔から「モノづくりは達者、商売は下手」と言われ続けていた日本企業だが、商売上手な中国人やアメリカ人が社内上位に立つことで商売面も上達しつつある。


 そう、英断だった。経済的には、英断だった。


 しかしながら移民政策は、日本という国が昔から忌避し続けてきた政策である。その理由が、現実の事象として社会に現れた。


 人種や民族が違えば思想、イデオロギーも異なるのは自明の理である。その食い違いなどが原因で、軽重問わずの犯罪が増加したのだ。かつては指定暴力団数が4だった東京も今や12である。かつて「修羅の国」と揶揄されていた福岡県が霞んで見えるレベルだ。


 負傷者、死傷者、強姦被害者、窃盗被害者が年を経るごとに増えていった。平和な国で人畜無害に飼い慣らされた日本人と違い、外国人は普通に暴力に訴えるし、喧嘩になれば武器だって平気で持ち出す。人種ごとに体格や力だって優劣があるのだ。


 そのため日本人、いや、日本に住む人々には、自分の身を守る術が求められた。


 銃刀法を改正して一般人でも銃を持てるようにしよう、などという意見も国会であったらしいが、光の速さで却下された。そんなことをしたら身を守るどころか、さらに犯罪率が上がりかねない。アメリカの二の舞になってしまう。断じて否だった。


 銃もダメなら刃物もダメ。

 スタンガンもダメ。

 そもそも武器は持たない方が望ましい。




 最終的に白羽の矢が立ったのは——「武術」であった。




 戦乱の時代、先人達の飽くなき努力と流血の果てに生み出された、究極の戦闘術。

 平和な社会の影で細々と伝承を繋げていた必殺の伝統武術に、陽の光が差したのだ。


 武術とは、肉体的に弱い者が強くなるための技術。生来の体格や力が劣る人種であろうと関係無しに力をつけられる。おまけに武器もいらないため、凶器の有無を確認するために警察に職質されてもヘッチャラだ。


 人々は一人、また一人と武術を習得していった。

 自分を守る力として、

 誰かを守る力として、

 目的や欲望を果たすための道具として、

 仇討ちのための武器として、

 武術を学ぶ有名人との類似性として、

 様々な理由こそあれど、人々は次々と武術へ手を出した。


 やがて日本、特に最も治安の悪さが目立つ東京において、習武者の人口が増加。

 三つの巨大道場の誕生。

 手強くなる犯罪者。それに追いつこうと強化される警察官。

 暴力団の下部組織兼入会窓口と化す道場の発生。

 弱き人々を助けるための自警団の結成。


 日本社会が、武術という強い追い風によって変化していった。




 20xx年。

 今の日本は多民族国家であり、そして世界一の武術大国でもあるのだ。




 ◆◆◆◆◆◆




 佐伯弥太郎さえき やたろうは、新たな学び舎の前に立っていた。


 校門の向こう側に広がった広い敷地には、横に大きく広がった五階建ての建物がそびえていた。校門から入った学生達は、皆その建物の正面玄関へと吸い込まれている。


東京都立仲暮高校とうきょうとりつなかぐれこうこう」。表札にはそう刻まれていた。


 ここが、弥太郎が今日から通うことになる学校だ。


 学校敷地内に立ち並ぶ桜の木は、すでに桃色の花弁を地面に散らして青葉を出し始めていた。あとひと月経って六月になれば、青々とした枝葉が広がることだろう。

 そう。弥太郎は「入学」してきたのではない。「転校」してきたのだ。


 弥太郎は義理の両親に無理を言って、先月の始めに入学した学校からここへ転入させてもらったのである。


 別に、前の学校でいじめられていたというわけではない。むしろ前の学校に、弥太郎をいじめの的にするような勇気ある猛者は皆無だった。


 弥太郎には、この東京に来なければならない明確な「理由」があった。それこそ、弥太郎の人生の中で大変重要な意味を持つ「理由」が。


 現在の実家は神奈川県にある。そこからでは、頻繁に東京を調べ回ることはできない。だからこそ、猟奇殺人事件があったという中板橋のアパートの一部屋を激安家賃で借りつつ、池袋にあるこの学校へ転入した方が都合が良かったのである。


 弥太郎は、この学校で何かをやりたくて来たのではない。悪い言い方をすれば、この学校はオマケだ。


 けれども、かといってここの人達と適当に接するのかと聞かれれば、答えは否だ。

 人との出会いは一期一会。どれほど短期の付き合いであれ、おざなりな態度で対応することは勿体ないし、礼に失する。それは亡き師が武術とともに授けてくれた武士道にもとる所業。


 それに、この学校はなかなか良い学校だ。何せ、私服での登校も許可されている。現在着ている羽織袴のような和装を好む弥太郎にとっては大助かりである。


「して、あそこから入れば良いのだろうか……」


 弥太郎はつぶやきつつ、無数の生徒が入っている正面玄関へと目を向けた。おそらく昇降口であろうが、転校生である自分もあそこから入った方が良いのだろうか。


 先ほど下板橋駅で目が合った女学生の制服も、この学校のものだった。ついて行き、案内を頼んでも良かったかもしれなかった。


「まぁ、なるようになるであろう」


 前向きにそう言って、弥太郎は生徒達の流れに同調した。




 ——多種多様な人種の生徒で構成されている人波の中でも、武士姿の男子の存在は一際目立っていたのだった。

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