服をくれ

tom

海に潜る

男は泳いだ。

 会社が嫌になったからだった。


 男は浜松町に住む知人の家に居候していたので、レインボーブリッジは近かった。

 芝浦側から橋に入り、中程まで進み海に飛び込んだ。

 

 その日は大雨洪水警報が発せられていたから、波は荒れていた。

 だが、男は大丈夫だった。


 泳ぎが得意だったからだ。


 男は波に抗うことに関しては慣れてきたものの、海水の冷たさには中々適応できなかった。

 

(温かいところまで泳ごう)

 そう思って男は海を掻いた。

 

 男は南を目指した。

 海といえば沖縄。そのような気がしたからだ。


 道中、というか海中、男は魚を捕らえて食べた。泳ぐと腹が減るからだ。

 南下する中で多種多様な魚を見つけ、食べた。

 男にとって魚を捕らえることなど造作も無いことだった。


 泳ぎが得意だったからだ。


 南房総まで進んだときにイワシの群れが泳いでいたので、何匹か捕まえて食べた。

 青背の魚はDHAとEPAをたっぷりと含んでいたから、男は頭が良くなった。

 

 頭の良くなった男は保存食として、イワシを数匹ポケットにしまって海を進んだ。

 

 海岸伝いに、南西に進んだ。

 

 男は相模湾、駿河湾、遠州灘を超えついには土佐湾にまで着いた。


 道中、というか海中、瀬戸内海に入り愛媛の養殖真鯛を盗って腹を満たそうと思ったが、やめた。

 細々として入り組んだ海路を進むことを億劫に感じたことと、退職した会社の会長の出身が愛媛だったからだった。

 何か、バツが悪いと感じて瀬戸内海には入らなかった。

 

 土佐湾を抜けると、そこはカツオだった。


 抜けた先には時期尚早に、戻り鰹が泳いでいた。

 男は群れの中から一番脂のノリが良さそうな個体を選び、捕まえて食べた。

 

 カツオのあまりの脂の乗りように、たまらず唸った。

 食べ進めると良質な脂もしつこく感じてきて、にんにくや生姜、万能ねぎといった薬味が欲しくなった。

 

 しかし、海中には男の求める口直しがなかったので、そのまま南へすすんだ。


 海が青くなり、水温が暖かくなった。

 男は遂に、沖縄に着いたのだった。


 無事、目的地についたが何かが違った。

 海から浜辺を望むと、人がいっぱいいた。


 男は更に南下し、離島を目指した。

 

 宮古島の海域は綺麗だった。

 ここの海には淀みがなく、海中生物もいなかった。

 

 「聞きしに勝る、宮古ブルーよ!!」

 何もいない海中で男は一人、声を張り上げた。


 声を聞きつけて、ホオジロザメに次ぐ獰猛なサメ、イタチザメがやってきた。


 男は食べられた。

 

 イタチザメは宮古島からさらに南下して、八重山諸島へと泳いだ。


 イタチザメは石垣島の漁協組合の元、駆除された。

 釣り上げられたサメは、腹を割かれ、バラされた。


 中には男がいた。


 男は事の経緯を話した。

 太平洋の魚の美味しさを漁師に伝えた。

 

 男の話す奇跡的で超人的な話に、漁師の奥さんたちまでもが熱中して耳を傾けた。

 沖縄のローカルTVも駆けつけて、男を取材した。


 常夏の島にサメと共に水揚げされた男は暑かったので、目に映る人々に俺にもかりゆしをくれと言った。

 しかし皆、普段から予備の服などを持っているものなどはいなく、渋った。


 そこで頭の良い男は、南房総で取ったイワシを差し出した。


 男はカメラに向かっていった。


「これは、私を芝浦から石垣漁港まで泳がせたイワシです。このイワシの大群は、私に2000kmを泳ぎ切る体力と知力を授けた至高の、いや、思考の魚なのです」


 男の発言は野次馬の中にいた旅行中のインスタグラマーや、ユーチューバーによって世界に発信された。

 テレビはそれを取り上げ、奇跡のイワシをとりあげた。


 男の周りから人だかりは消え、島民達はマックスバリューに殺到した。


 島からイワシ缶がなくなり、世界のイワシの価格が高騰した。


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