あの時

 一個ずつ、そうだ、ゆっくり、一個ずつ、丁寧に…。

おっと危ない、慎重に、バランスを崩したら大変だ。

そうそう、その調子、ようしいいぞ。

うまい!そこを超えたらあとはもう難しいところはないよ。

よくできた!これで終わりだ。お疲れさま。

よかったらまたおいで。次はもっと難しくしておくから。


 冗談じゃない。休日にこんなこと。先輩の頼みじゃなかったら来てなかった。

しわしわ笑顔の老人に愛想笑いを浮かべながら心中でぼやく。

 明日は別の人が来てまた同じことをする。交代制ってやつだ。

もう2ヶ月もこんな状況が続いている。

頭を下げる先輩の頼みを断りきれなかった俺も悪いが、こんなことになるならやるんじゃなかった。

 その点では課長も同罪だ。先輩の頭を下げる姿に心を打たれ、その場の気持ちでみんなで手伝おうとか仕切りだしやがって。

 そのくせ今では体調が優れないとか仕事が忙しいとか言って全然手伝いに顔を出さなくなった。まったくもって不快だ。



 2ヶ月前、先輩の祖父が急に倒れた。原因は貧血とのことだったが、念のためほかところも調べたところ、末期のがんが見つかった。その場で余命3ヶ月を宣告された。

 先輩は小さい頃から面倒を見てくれた祖父のため、残り少ない時間の中で、何かできることはないかと色々考えた末、祖父が昔からやりたがっていた駄菓子屋を開くことにした。

 ただ、店を開けるだけの金はなく、そこらのスーパーで駄菓子を買い漁り、家の前にテーブルを置き、そこに菓子を並べて、取り掛かる子供の渡している。

 近所付き合いのいい祖父なので、近隣の人もよく立ち寄ったり、近所の子供も顔だしたりして賑わっている。

 ただ、駄菓子だけでは物足りないとのことで、新しく手製のゲームを作って子供たちに遊ばせようと物作りを始めた。そして完成したそのゲームがどうにも難しすぎるというので、今日手伝いに行った俺がチャレンジしたのだ。

「いやあ、安川くん。きみ、才能あるよ。これは僕でもなかなかゴール出来なかったんだから、たいしたもんだよ。うん。」

 おいおい、この老人、ホントにあと1ヶ月で死ぬのか…。

ますます元気になってる気がするんだけど。

「哲夫さんのゲーム楽しみにしてるんだから、まだまだ長生きして貰わないとね。」

 そんなことはない。いい人だけれど、できれば俺を解放してくれ。

「はっはっは。いやあきみに頼まれたら長生きするしかないねえ。まだ僕のとっておきのものがあるから、それが完成するまであと5年は生きないとなあ。」

 うっわ、くだらない冗談だこれ。相手をするのも億劫だな。

俺は適当に流して早く帰ろうと考えてた。

でも、その日はそれだけではなかった。


 「お、おとうさん…、どうしよう。」

家の奥から先輩の母親が慌てて飛び出してきた。

聞いたこともないような震え声。

「なんだい数子。みっともない声を出して。安川くんが見てるぞ。」

「いや、僕のことはおかまいなく、どうぞ。」

そんな返事も母親には聞こえていないような様子だった。

「車、突っ込んじゃったみたい。これ、どうしよう。」

 何の話だ?

「落ち着きなさい。何の話だ?どこに突っ込んだって?」

当然のリアクションだな。俺でも聞き返すなあこれ。

 よく見ると母親はケータイを右手に持っていた。画面は通話中になっている。

「どうしたらいいの、ねえ、どうしたら。」

相変わらず会話にならない。こりゃあおおごとだな…。

「いいかげんにしなさい!落ち着いて、ゆっくり、話すんだ!」

 しびれを切らした祖父がとうとう怒声をあげた。この華奢な体のどこからそんな声量が出るのか。俺ですらあまりの迫力に硬直した。

 しばらくの静寂のあと、母親が少しずつ口を開く。

「さっき、賢治と電話してたの。そろそろ家に着くって。」

「それで、今、運転中でしょ?って、言って。そしたら、そうだよって。」

「危ないから電話切って、着いたらまた教えて、って言って。そしたら、もうすぐだから、大丈夫だって、賢治が、賢治が。」

「それで?」

「そしたら、信号に捕まったみたいで、待ち時間が長くて、賢治、イライラしてたみたいで、信号が変わってすぐ、たぶん、すごいアクセル踏んでたみたいで。」

「それで?」

「そのあとも少し話してたけど、いきなり、賢治が、うわあって、声をあげて、どうしたの?って聞こうと思ったら、すぐに、バコン!みたいな音がして、すごい大きい音がして。」

「そのあと、何回も何回も呼びかけても電話に出ないの。賢治、事故にあったかもしれないの。どうしよう。私どうしたらいいの。」

 声が出なかった。先輩はここに来る途中で事故にあったみたいだ。

「数子、警察に電話だ。場所は分からなくても、近くで事故を起こしたのかもしれないから、付近を探してもらおう。」

「でも、でも、賢治が。電話の向こうに賢治がいるの。賢治が無事か確認しないと。」

「なら声を掛けてあげなさい。私が警察に通報する。」

 老人は機敏に動いていた。俺や母親はただ固まるばかりであったが、祖父は迷うことなく行動を起こしていた。

 俺も何かしないと。

「す、すみません。僕も近くで事故を起こしていないか周りを見てきます!」

 とりあえず、道路沿いを探そう。

「待ちなさい。走っていくのは限界がある。小屋にある自転車を使いなさい。」

「有難うございます。見つけたら連絡します!」

 そういって俺は探しに出かけたが、結局先輩の車が見つかったのは、俺が向かった方と反対方向だった。



「すまないなあ。君には世話になってばかりだ。」

優しく笑いかける祖父の笑顔に覇気はない。

俺もなんて返していいのか。言葉が見つからない。

「いいんですよ。僕も先輩には助けられてましたから。」

「そうか。賢治も立派になったんだな。昔は泣いてばかりだったあいつがなあ。向こうにアルバムがあるから、あとで見せてあげるよ。」

「本当ですか。ぜひ見てみたいです。」

本当に、心のそこから、また見たいと思った。



 それから2ヶ月後、祖父は亡くなった。余命を超えて生きた彼は、最期、病室の天井を向きながら、ごめんなあと呟いて息を引き取った。

 最初は幸せに逝ってほしいと思って、あれこれしてたのに、結局は無駄だったのかな。

 一緒に病室に居た先輩の母親も以前と比べ、やつれた顔をしている。

不幸が立て続いたんだ、無理もない。

 祖父の葬式にも俺は参列した。会社の同僚や課長達も来ていた。小さな会社だから、横のつながりは広かった。

 久しぶりに霊柩車見たなとか思っていた葬儀も一通り終わり、さて帰ろうかと荷物を手にした。

 視線を感じる。ふと振り返ると、先輩の母親が後ろに居た。

 驚きゆえにうっと悲鳴が出そうになるのを堪え、冷静を繕い声を掛ける。

「どうされましたか。」

俺の問いかけに答えることもなく、母親は横を通り過ぎた。

なんだか不気味だなと思った。

その時、母親がすれ違いざまに言った一言は今でも忘れられない。



「まだ、通話中なの。分かるでしょ?」

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