yesterday
毎日が憂鬱だ。
私の日課はコーヒーから始まる。
ドリップした香り豊かなコーヒーなんかじゃなく、コンビニで適当に買った缶コーヒーなんかをちょびちょびすすりながらニュースを見てる。
爪が伸びてきたなあとか考えてても時間は確実に進んでる。
どうしよう。今日も会社休もうかな。
会社を休みだしてからもう5日目だ。それまでは欠勤なんかしたことないのに、一度休んじゃうとぷっつりいってしまう。
何も同僚に不満があったり、仕事が辛かったりする訳じゃない。
今まで不満なんて抱いたこともなかった。それが唯一の原因なのかもしれないけれど。
「すみません。まだ体調が優れないので、今日も休みます。」
「そうか。仕事のことは心配しなくていいから、まずはしっかり養生するんだぞ。」
「すみません。」
上司は相変わらずいい人だ。たぶん私が仮病だと知っても責めはしないだろう。だからこそ、余計に罪悪感を感じてしまう。
ああ、憂鬱だ。
ピンポーン
珍しくインターホンが鳴った。誰だろう?郵便かな。
「すみません。お届け物でーす。」
「はーい。今いきまーす。」
ガチャ
…え?
声が出ないほど驚いたのはこれが初めてだった。
「おじいちゃん?」
「おう、久しぶりだな。元気にしてたか?」
「どうしたの。こんなところにわざわざ来るなんて。」
祖父と会うのはもう10年ぶりほどになる。故郷を離れ、達者でなと見送られたあの日以来だった。
うちの母は厳しく私を育てていたが、そんな私の人生の中で一番の優しさを注いでくれたのは、いつだって祖父だった。
「優子、久しぶりにお前の顔が見たくなってな。田舎からでてきちまった。中に入ってもいいか?」
「うん。狭いけどコーヒーくらいなら出せるよ。」
急な再会でも私の心は浮き足立っていたと今になって思う。
それくらい私の中では大事な人だった。
「今日はどうしたの。またおばあちゃんと喧嘩でもしたの。」
「ん?あ、ああ、まあそんなとこだ。」
「もう。2人ともいい歳なんだから喧嘩なんかしちゃダメだよ。」
「ははは。すまん、すまん。」
10年ぶりの再会でもやっぱりおじいちゃんはおじいちゃんだ。優しい笑みは今も変わってなかった。
「優子、実は今日話があってきたんだ。」
急に表情を強張らせ、真剣な表情で口を開いた。
「話?どうしたの?」
体の具合でも悪いのかなと考えるが、今の自分が心配できたことではない。
「実はな、おじいちゃんな…。」
「何さ。病気にでもなったの?」
あまりに重い空気に軽い冗談が口から出た。面白くもなんともないけれど、茶化さずにはいられなかった。
「昨日、車で人を轢いちまったんだ。」
「は?」
何を言っているんだろう。頭の中がぐちゃぐちゃになる。
もし本当なら何でわざわざ私に直接言いにきたのか。
「それも飲酒運転でな。現場から逃げちまったんだが、近くに防犯カメラがあってな。もうじき特定されて、警察に捕まるだろう。」
「何それ。冗談でしょ?」
「いいや本当のことだ。自首しようか迷ったが、お前の顔がよぎってな。せめてひとめ見てから警察に行こうと思ってたんだ。」
「ばかじゃないの。」
私の大好きなおじいちゃんが犯罪者?そんなのありえない。受け止められない。
「警察に行けばもうお前に会うこともできないと思ってな。迷惑を掛けて申し訳ない。」
どうしてなの。あの優しいおじいちゃんが人殺しなんて。
「昨日のうちにこっちに着くはずだったんだが、渋滞があってな。遅くなると行けないと思ってスピードを出しすぎてしまった。」
「何よ。私のせいだっていうの?」
「そんなつもりはない!ただ、本当にすまないと思っている。」
「謝る相手が違うじゃん!」
こんな情けないおじいちゃんの姿は見たくなかった。
「もう出てって…。」
「優子…、お、俺は…!」
「出てって!!!」
それ以上私の口から言えることは何もなかった。
「…分かった。でもこれだけは分かってほしい。お前を大事に思う気持ちはこれからも変わらない。それだけは覚えていてほしい。」
私はもう何も言わなかった。これがおじいちゃんと最期の会話だとしてももうどうでも良かった。
そんな私の気持ちを推し量ってか、おじいちゃんはその言葉を最後に部屋を後にした。
最悪の休日だ。
それから数日たっても私は会社を休んでいた。
あの一件で具合が余計悪くなった気がする。
布団から出るのも億劫だ。
いろんなことが頭をよぎっては消えていく。過去の思い出も何もかも流れては消えていく。
そんなとき、見覚えのある曲が聞こえてきた。
お母さんからの着信だ。
「もしもし。優子?元気にしてる?」
「うん。ほどほどにね。」
当たり障りのない会話の後、お母さんが切り出した。
「優子、実はね、おじいちゃんが…。」
「知ってるよ。人を轢いちゃったんでしょ。」
どうせなら自分から言った方が気持ちがスッキリすると思った。
でも、答えは違っていた。
「そうじゃないの。おじいちゃんが車に轢かれて亡くなったの。」
「…え?どういうこと?」
なんでもお母さんがいうには4日前の夕方、近くの知り合いの家に遊びに行った帰り道で、飲酒運転をしていた車に轢かれて帰らぬ人になったという。
4日前といえばうちに来た前日だった。でも私、おじいちゃんに会ってたよ?
「私その次の日におじいちゃんに会ったよ。」
「嘘…。そんなはずないわ。」
仮に幽霊だったとしてもおじいちゃんは自分が車で人を轢いたと言っていた。
お母さんにそのことを素直に打ち明けた。
「優子…。知ってるでしょ。おじいちゃんはお酒が一滴も飲めないこと。忘れた訳じゃないでしょ?」
そういえばそうだった。忘れていた。あんなに大好きだったおじいちゃんのことを。10年前の自分だったらそんなことすぐにでも気づいていただろう。
「じゃあなんでおじいちゃんそんなことを…。」
「ほら。おじいちゃん優しいから、きっと相手のことを恨まないように、許せるようにあなたに自分のことのように伝えたんじゃないかしら。」
そんな…。そんなこと考えもしなかった。
「私、おじいちゃんに冷たくあたちゃった。どうしよう。あれが最期だったのに。」
その事実に気づいたとき、すでに涙は床へ落ちていた。
私はなんてひどいことを…。
「どうしよう。おじいちゃんのこと大好きだったのに。あんなひどいこと。お母さん、私どうしたらいいんだろう。」
もう涙は止まることを忘れていた。最低だ。たとえお化けや幻覚だったとしても、それでもおじいちゃんはおじいちゃんだ。
「優子、聞きなさい。それでいいのよ。優子のその正しさがおじいちゃんにそっくりだったんだから。」
その言葉で思い出した。
昔からよくおじいちゃんによく似ていると言われていたことを。
真面目なところも、少し抜けているところも、いじめなんか絶対に許せなかったことも。
「もう一つ、伝えなきゃいけないことがあるの。」
お母さんは話を続けた。
「優子が最近元気がないってね。会社の人から相談を受けてね。おじいちゃんに話したら、俺が優子を元気付けてやるって。」
電話越しでもわかる。お母さんの声に嗚咽が混じっていた。
「元気を出しなさい優子。あなたが元気にならないと、おじいちゃんだって安心して天国に行けないわ。」
私は間違っていた。毎日が憂鬱に感じていたのは、私が自分から目をそらしていたからだ。こんなにもたくさんの人に心配を掛けていながら、それに気づけなかった自分が情けなかった。
「お母さん。私もう大丈夫。今はとても辛いけど、色んなことに気づけたよ。
おじいちゃんありがとう。」
心の底から感謝の言葉が出た。
おじいちゃん本当にありがとう。
その時声が聞こえた。
耳元で
「ありがとう。優子。」
まだ、帰っていなかったんだ。
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