第8話 ネビンの洞窟
真の姿を現した隻眼の女魔導士は、フィオンの前で大きく伸びをする。
フィオンは諸々が入り混じった息をつき、改めて魔導士に向き直る。
幾つか質問したい事はあったが、騙された様な気分をどうにかしたかった。
「あんたなあ、なんでわざわざ……つまり、婆さんに化けてここらの奴等を品定めしてたって事か。まあ解らなくはねえけどよ」
「解ってるならそれで良いじゃないか。あんたは見てくれや薄っぺらい口車以外で魔導士を選んだ、大事なのはそこさ。……外の連中は話しにならない。本気で冒険者やるってんなら、フリーの魔導士がいたら攫ってでも仲間にしなくちゃね。ほら、これは依頼の分だ」
魔導士はツカツカとフィオンに歩み寄り、草鰐の奥歯とじゃらりとした小袋を交換した。
背丈は女としては高めだが、フィオンよりは僅かに低い。
炎の様に赤い瞳と、同様の色のショートヘア。右目は潰れているのか黒い眼帯で隠され、右だけ伸ばされた前髪で覆われている。
依頼の受け渡しは済んでも、まだフィオンの目の前から動く様子は無い。
殆ど同じ目線から、強気な赤い瞳をフィオンへと真っ直ぐに向ける。その顔はどこか不満気というか、何か言いたい事がある様だ。
「まだあんたは名乗ってないからあたしはともかく……組むってんなら、人をあんただのお前だのと呼ばわるのは止めな。そういうのはもう少し親睦を深めてからで、まずはきちんと名前を」
「いや、ちょっと待て……。名乗られた覚えはねえぞ、どうやって名前を呼べってんだ?」
「はあ? きちんと立て札に依頼者名を書いてるだろう。必要なとこだけ目を通すんじゃなく依頼文に対しては細かなとこまでしっかりと……」
魔導士はテントの入り口横の立て札へと回り込む。
しかし途端に顔を顰め、自身で書いた筈の立て札へと怪訝な目を走らせる。一度全体に目を走らせてから指差しをしながらもう一度読み直し、左目を手で覆いながらテントの中へと戻った。
大きく肩を落とし溜め息をつきながら、自身のミスを嘆く。
「はあ……どいつもこいつもババアやら婆さんとかばっかで、一人も名前で呼ばなかったのはそういう事かい。姿を変えてから書いたのが影響したのかねえ……。ったく、こんなミスしてたとは……」
「ぁー……まあ良いんじゃねえか? これから組むってんなら面と向かって自己紹介しといた方が良いだろ。書いてる名前で把握なんてのも味気ねえしな」
女魔導士はパっと調子を改め、再び毅然とした態度でフィオンへと向き直る。
見た目通りに気持ちの切り替えは早く、うじうじとは引き摺らないタイプの様だ。黒い手袋をした手をマントから差し出し、自身の名を名乗る。
「出だしで躓いたけど、名乗らせて貰うよ。あたしの名前はヴィッキー、スコットランドのグラスゴー出身さ。冒険者にはあくまで金と商売を求めてだよ」
「俺はフィオン、レクサムから来た。冒険者になるのは……名を上げる為だ。出来ればそういうのに適した依頼を受けていきたい」
フィオンも握手に応じつつ自身の名を名乗る。
互いに手袋越しの挨拶ではあるが、握り合う手にためらいや遠慮は無い。
手を離しすぐさまヴィッキーは荷を整えてバッグを背負う。お互いの目的はさっさとヒベルニアに渡り冒険者稼業を始める事。ここでゆっくりとするつもりは微塵も無い。
「名を上げる、ねえ……。そいつはあたしの目的と、まぁだいたい同じか。あたしは美味しい依頼か良いパイプを作れる仕事を受けたい、方向性が一緒なのはお互いに都合が良いね」
「それは良いんだが、本当に洞窟を通るのか? 金が有るなら船を使う方が安全だろう? ここで貰った情報によると結構危険な様だが……」
「ヒベルニア出身ならともかく、ブリタニアからの新米は洞窟と船どちらを使ったかで扱いが変わる。名を上げたいってんなら、それこそ洞窟を通らないと立つ瀬が無いよ」
二人はさっさとテントを後にして洞窟の入り口へと向かう。
先程まで老婆が座っていたテントから現れた、蠱惑的な女魔導士。
何もヴィッキーが周りの男達を煽っている訳ではないが、歩行に併せて揺れるマントの隙間からは、ボディラインの浮き出た黒い装束が垣間見える。
突然の凛とした黒薔薇の様な女の出現に、兵営の男達は色めき立つ。何人かの男達は道を塞ぐ様に立ちはだかり、勧誘や下世話な言葉を飛ばしてくる。
「おいおいお嬢さん、そんな急いでどこ行くよ? 洞窟を抜けるってんなら俺達と一緒にどうだ? 優しくエスコートしてやるぜ」
「ババアのいたテントから出てきたな……まあそんな事はどうでも良いか。冒険者志望って訳でもねえだろ、一晩幾らだい? 何なら少し色を付けても……」
「どうせ商売するってんなら、んな地味な色のマント脱いじまえよ。それとも、そういうチラチラしたのがウケが良いってか? ッカー、商売上手だねえ」
ヴィッキーはそれらに取り合わず作り笑いを顔に貼り付けたまま、背中のバッグから杖を取り出す。
赤味を帯びた短い木の杖。鮮やかで落ち着いた色合いであり、同時に何か怖気が走る空気を纏っている。
ヴィッキーはボソリと小さく言葉を発し、杖で地面を小突いた。
途端、ヴィッキーを中心にして足元から炎が一瞬だけ出現する。炎は取り巻く男達の鼻をくすぐり、その口を黙らせると共に腰を抜けさせた。
僅かな魔法の発動に兵達は気付かず、突然腰をついた男達を不思議そうに眺めている。兵営内でのちょっとした騒ぎを遠巻きに眺めたまま、直接干渉してくる様子は無い。
ヴィッキーは冷淡な声で釘を刺しつつ、さっさと洞窟へ向かう。
「ここには兵の目が有るから殺しはしないが、次は炭になるつもりで掛かってきな。……あんたも、あたしに妙な気を起こそうとしたら容赦しないからね」
「わーってるよ、商売仲間とそういう関係を持つつもりはねえ。それに俺のタイプは、もっとお淑やかで髪は長い方が……」
軽口を交わしつつ二人は洞窟の入り口へと差し掛かる。
壁に寄り掛かっていた老兵は二人に気付き、老婆が様変わりした女魔導士へと目を向ける。
先程の男達とは少し異なる、冷やかしや嘲りとは違うものだった。
「こいつは……なるほどそういう事だったか。その若者はお眼鏡に適ったのかい? まあ、とりあえずは約束の品を……」
「ガチガチの前衛が欲しかったが、まあ充分さ。ありがとよ兵隊さん、ほら」
ヴィッキーは老兵に草鰐の奥歯を渡し、老兵は日に翳して品定めをしてから頷き、それを懐に仕舞った。
眺めるフィオンに老兵は軽くウインクをしながら、洞窟の奥へと進むように紳士風に手を伸ばす。
二人は老兵に目礼し洞窟の奥へと踏み入っていく。
内部は薄暗いが壁には等間隔で灯りが据えられており最低限の光は保たれている。足元は地面をそのまま固めた歩道が整備されており、それを外れない限りは歩くには困らない。
「おっさんとグルで誘ってたって訳か。通りでしつこく俺に絡んできた訳だ」
「殆どの奴等は素通りしちまうからねえ。まあここまでやっても話を聞きに来たのは極僅かだったよ。ちょっと婆さんにし過ぎてたかもしれないが……それでも、魔導士を軽んじる奴とは組めないからね」
自身を軽んじる者とは手を組めない。それは報酬の取り分や仕事中以外でのトラブルのみならず、最悪の場合には命取りにもなりかねない。
冒険者稼業にはその特性上、どうしても危険が付き纏う。もしもヴィッキーが助けが必要な場面で『あいつは魔導士だから……』等の偏見で見捨てられてしまっては堪ったものではない。魔操具の普及によって魔導士に偏見を持つ本土の人間には、言い過ぎでもなくそういった人間もまま存在する。
「だったら、
「偏見は少ないが、だからといって持て囃されるって訳でも無い。誰しも他人のよりは自分の財布の方が大切だからね。それに、洞窟を渡る前にあたしも人員が欲しかったのさ」
数が少なく貴重な戦力である魔導士だが、必ずしもそれだけで好待遇に繋がる訳ではない。
冒険者組合での登録後は組合は冒険者達を平等に扱う。それは何も良い事ばかりでは無い。
昨日まで鍬を持ち畑を耕していた農夫と、長い修行を積んだ魔導士も同格として扱われてしまう。あくまで扱いを左右するのは冒険者としての経験と実績のみ。
ある程度の実績を積んだ冒険者達が、
冒険者達が誰とどの様に組むかは全て冒険者達の自由である事が裏目に出た結果であり、これは長年魔導士達を困らせている。不利な条件を断れば数を頼みに脅迫や、爪弾きの様な目にも合いかねず、新米魔導士達を取り巻く環境は中々厳しい。
絶対数の少ない魔導士達の声は小さいものであり、問題の解決は一向に図られていない。
フィオンは知る由も無い事だが、ヴィッキーにとっては切実に『見込みのある、同じ駆け出しの冒険者』を探す事は必須事項であった。
「ふーん……ところで、草鰐の奥歯って何に使うんだ? 俺にも有用なら狩人としては知っときたいんだが」
「さあ? あたしはあくまで草鰐狩りが物差しとして丁度良かったから話を持ち掛けただけさ、洞窟の見張り番ってのもお誂え向きだったからね」
「……ちなみに、あの依頼で俺をどう試したんだ? 黙って人を測ってたんだ、それ位は教えてくれても良いだろ?」
ヴィッキーは口に手を当て少し逡巡している。特に顔を曇らせている訳ではなく、話す事を纏めている様子。
僅かな沈黙の後に、その内容を披露してくれた。
「まず、ただ獲物を力押しで狩るってんじゃあ済まない相手だった。……姿を隠した相手を闇雲に探せば命は無いからね、そんなのと一緒に仕事は出来ない。地道でも確実に仕事をこなす計画が立てられそれが実行できるかどうか……当然、自力で鰐を狩る力も求められる」
草鰐を狩るには、まずは隠れ蓑である丈の長い草を片付ける必要があった。何か特殊な技能でも無い限りは、地道な草刈等が必要になる。
依頼の内容によっては忍耐強さや地道な作業が求められるものも存在する。仲間にそれに耐えられない者がいれば、パーティの崩壊か依頼の失敗もあり得る。
「後は……こいつは運次第だが、あそこを縄張りにしてる狩人と鉢合わせて欲しかった。自分の庭を荒らされれば誰だって面白くない、それは冒険者の依頼でもまま有る事さ。そういう時に話の出来ない奴が仲間にいれば……。呆れた理由で迷惑被るのは御免だからね」
「なるほど、まあ俺は元々狩人だったっていう経験もあったからな。縄張りがかち合う事は前にもあったよ。……それでも良かったのか?」
ヴィッキーは快活な笑いと共に、フィオンの背中をバシバシと叩いてくる。
何が面白かったのか解らないフィオンはきょとんとしたままそれを受け止めた。
その笑みには表裏が無く、先程まで損得等を論じていた人間とはまるで別人の顔である。
「経験があったらダメだなんて、だったら何を持って人を測れって言うんだい? 良いじゃないか狩人の経験、あたしには無い物を色々待ってる筈だ。というか、持ってないなら組む意味が無いだろう」
過去から逃げ出す様にしてレクサムへと移ったフィオンには、その言葉は不思議な意味を持っていた。
フィオンにとって狩人の日々は、あくまで心を癒す為に逃げ延びた先で得た副産物の様なもの。それが褒められ肯定された事は、何かとても眩しく感じられた。
同時に、まだ過去に受けた理不尽を全て消化し切れた訳ではない。どこかに残っていた古傷が変化を覚えると共に、フィオンはそれきり黙ってしまった。
ヴィッキーはその沈黙を、フィオンが諸々に納得がいったのだと受け止め、同じく黙々と先を目指す。
洞窟を抜けるまではおよそ丸一日歩き詰めなければならない。その間ずっと喋り続けれる程、互いにお喋りではなかった。
うねりながら続く下り道を経て入り口の光が見えなくなってからは、洞窟は海底を通るものである事をまじまじと実感させる。
微かな陽光さえも届かぬアイリッシュ海の海底300メートル。その更に深きを横断する海底洞窟。じわりとした湿度の高い空気は不快に肌に張り付き、天井と地面のあちこちには雫を滴らせる鍾乳石が林立している。
無数に空いた横穴は深い闇を湛え、見ているだけで気が遠くなる。微かに歪曲しながら通路に連なる松明は、行っては戻って来れぬような地の底へ招いている様で不安を煽る。
気を強く保っておかねば錯乱しかねない閉鎖された世界。
二人は最低限のやり取りをしながら黙々とその道に足を進ませる。
腰ほどまで水没した箇所を越え、数メートルの断崖をロープで降り、灯りの消えた場所ではフィオンが松明を用意した。ヴィッキーは魔法で灯りを灯せるらしいが、道具で済むのならば今はそちらを使おうと二人で同意した。
そうして二度の野営を経て洞窟の終盤に差し掛かった頃、それは二人の耳に微かに届く。
「……なーんか、聞こえてくるな。こいつは、地響き……か? 何が……」
「地響き? あたしには聞こえ……いや、なんかしてるね。ちょっと隠れようか」
微かに伝わってくる震動と音を察知し、二人は道を逸れ暗がりに身を潜める。
そこかしこの横穴と背丈程もある林の様な鍾乳石は、不安を駆り立てる要素であると共に身を潜めるには格好のものでもあった。
息を潜める二人はすぐに、右手側の横穴から地響きが近づいて来るのを感じる。
ある程度規則正しく地に重いものが落ちるような、ズシリとした震動と音。少しずつ近づいて来るそれは程無くして、何か巨大な二足歩行の存在であると二人に気付かせた。
いよいよ間近まで迫った震動と共に、それは強烈な圧を備えて、闇からずるりと姿を現す。
「……!? おい、なんだありゃ……あんなもん軍のリストには……」
「あぁ、無かったね。こいつは驚いた……オーガか、フォモールかね?」
通路の灯りに姿を現したのは、4メートル程の痩せぎすの巨人。ガサついた暗褐色の肌と頭を覆うボロ布。布の隙間からは短い角と伸びた鼻が微かに突き出し、それは牛の様な獣頭を窺わせる。
巨人は使い古された麻袋を肩に背負い、通路を横切って左手の横穴へと素通りして行く。
その麻袋がジタバタともがく様に動いているのを、フィオンは目端に捉えた。
巨人が完全に姿を消してからヴィッキーは大きく息を吐き、先を急ごうと道を進み出す。
しかし、フィオンは巨人の消えた横穴を睨んで動かず、動かない相棒に女魔導士は声を掛ける。
「どうしたんだい? 今はさっさと距離を稼ぐべきだよ。また戻って来ないとも限らない」
「あいつの背負ってた袋、動いてたよな? もしかしたら中身は……丁度、大きさも人間位だった」
「袋……? そういや何か持ってた様だったが、あたしからは見えなかったね。……で、そいつがどうかしたのかい?」
僅かにヴィッキーの語気に力が篭ると共に、張り詰めた空気が周囲に満ちる。
先を急かしていたヴィッキーはまるで阻む様に通路の中央に立ち、フィオンは巨人の消えた横穴へ足を向けたまま、炎の様な強い視線から目を逸らさない。
その視線は非難や叱責と言った感情が含まれ、冷たい威圧感を放っている。
「人だとしたら、俺は見過ごせない。後を追ってそいつを確認しに」
「論外だね。依頼を受けたならまだしも今危険を通す義理は無い。……こいつは、ちょっと測り間違えたかもしれないね」
意見は真っ向から対立する。
消えた巨人の後を追い袋の中身を確かめるべきと言うフィオン。
巨人と袋の相手などはせず、さっさと先を目指すべきと言うヴィッキー。
互いに譲歩等は有り得ないと即座に理解し、睨み合いと共に押し黙る。
しかしそう長くは続かず、ヴィッキーは気配を和らげふっと息を吐き、背中をくるりと向けて再度問いかける。
「中身が人間だっていう保証も無いだろう、何を熱くなってんだか……。人だとしてもそれを助ける理由なんて……。見ず知らずの人間に命を賭ける理由が、何かあるのかい?」
理由を問われ、フィオンは己の内に答えを探す。
問われてみれば見ず知らずの誰かの為に命を賭ける理由は、見当たらない。
命の恩人の忠告を顧みても、今は危険を避けて安全を取るべきだとも思う。
だが――
「そいつは、誰かを見捨てても良い理由には……言い訳にはしたくねえ。それに……」
かつて
初めての理不尽を味わった試験での一幕が、脳裏を過ぎる。
もしここで誰かを見捨て軍人として頑張っているクライグに会ったなら、どんな顔で向き合えば良いのか。
今はクライグを見捨てない為に、冒険者になるべく歩みを進めている。その道程で誰かを見捨てて――俺は面と向かってクライグの前に、立つ事が出来るのか……
「上手く言葉にはできねえが……俺は誰かを見捨てて上に登る事はできねえ。だから……」
女魔導士は背を向けたまま大仰に肩をすくめる。
最早お互いの考えは出揃った。そしてどちらも譲歩出来ないのならば、後は結果に従う他は無い。
元相棒の言葉を待たず、冷たい言葉を残して先へ進み出す。
「気にする事はない、そもそもいつまで組むかもちゃんと話し合ってなかったんだ。……あたしとしてもラッキーだよ、手遅れに巻き込まれる前に損切り出来た。達者でな、あっちで会えたら……ぁー、もう関わらないでおこう」
女魔導士は調子を変えずに先へと進み、フィオンは闇に満ちた横穴へその身を潜らせる。
どちらもが己の芯を曲げないが故に、足並みを揃える事は出来なかった。
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