番外編 上手下手ってそっちの話かよ
大きな音の中に身を置くと、身体中が震える気がする(感動とかではなく物理的に)。内臓が、ぷるぷるする。
子供の頃、おじいちゃん家にあったマッサージチェアに勝手に座って、調子に乗って最大までスイッチを操作して、震え過ぎて吐いたことがあるけれど、あの恐ろしいまでの震動ほどではないにしても近い感覚がする。
ドラムの音って、狭い室内で聴くと結構な迫力があるなぁと私は遠い目をして思っていた。
遠い目なんてしていないで、ちゃんと手元の譜面を見なくちゃいけないんだけれど。
「難しい顔してるなー! こんなの、慣れが一番だからさ!」
「う〜ん」
ドラムを叩きながら、ツバサが私に話しかける。すごい笑顔だ。ドラムって何か爽やかなスポーツだったっけ? と聞きたくなるような、いい汗と笑顔だ。
北大路のためにバンドで演奏できる曲を作ろうとしているのだけれど、思った以上に苦戦していた。
特に、打ち込み系の曲と違ってバンドの曲はドラムをただ鳴らせばいいというわけではなくて、「ここぞ!」というところに的確に音がなければ気持ちよくないのだ。
だから、実際に叩くのを聴かせてもらって、譜面と照らし合わせて感覚を掴もうと思ってツバサに頼んだところ、快く引き受けてくれた。
コージがギターということは、ツバサかケイのどちらかがドラムなんだろうなとは思っていたけれど、いざツバサがドラマーなのだとわかったら「え⁉︎ マジか⁉︎」みたいな驚きがあった。
何の楽器なら良いのかと聞かれると困るけれど、とりあえず前に出たがりそうなのになぁというのが感想だった。
「あー疲れたー」
「お、お疲れ」
マフラータオルで汗をふきふき、ツバサは私の隣に腰を下ろした。練習用のちょっとボロなドラムが置いてあるのが倉庫みたいなところで狭いというのもあるけれど、軽音部の人たちって距離が近い気がする。
漫研だったら、どんなに親しくなってもお互いのパーソナルスペースは尊重するような雰囲気だけど、軽音部は顔見知りになった途端に肩組んできそうな勢いだ。
あんまり調子に乗るなら一発殴ろうとは思っている。
実際に、コージと初めて顔を合わせたときに「へぇ、お前が涼介の彼女か」と言われて何となくムカついて、盛田さんにしてやりたかった分のキックをお見舞いしてやった。
ツバサやケイが私に馴れ馴れしいのはまだ許せるのだけれど、コージだけはダメだ。平山が加入した時点でこのバンドにいる価値がないし、これまでのゴタゴタの元凶のクセにヘラヘラしているのがムカつくのだ。
そのせいで、私は飛び蹴りがうまくなった。
コージの姿を数メートル先にとらえたらすぐに助走を始めて、踏み切りを間違えず飛んで綺麗に背中を蹴りつけて着地する、ということを完全にマスターするほど蹴ってやった。
私、運動できるのかもしれないという自信が持て始めたから、そろそろやめてやってもいいと思っているけれど。
「なぁ、姫っち。涼介ってさ、上手いの?」
スポドリをゴクゴク飲みながら、ツバサがそんなことを尋ねてきた。
この人と話すのにもだいぶ慣れてきたけれど、未だにこの話題の唐突さや主語のない話し方には困惑する。
「まぁ、私はプロでも評論家でもないから感覚的なことしかわかんないけど、上手いと思うよ」
今このタイミングで尋ねるということは、北大路の歌唱力の話だろうなと思って私はそう答えた。
それなのに、ツバサは何がツボにハマったのか飲んでいたスポドリを噴き出し、噎せて涙目になっていた。
「いや、誰もプロとか評論家とか思って話ふってねぇし。何だよ、その切り返し」
「だって、ねぇ」
何がおかしいのか知らんが、背中をバシバシ叩きながらツバサは笑っている。やっぱり、仲間が褒められるのは嬉しいことなのだろうか。それにしたってよくわからない反応だ。
「ちなみに、どういうところが上手いって感じるの?」
「え? ……やっぱり、天性のものだけじゃなくてテクニックを磨く努力をしてるから、そういう部分がすごいなって思うよ」
「ちょっと! 天性のものとか、テクニックって……! フハッ!」
そんなに嬉しいか? と尋ねたくなるほど、ツバサは笑っていた。というより気持ち悪いほどニタニタしていた。
(あれ? もしかして話が噛み合ってないのかな?)
そんなふうに私が不安になり始めたとき、建て付けの悪いドアが乱暴に開けられた。
「おい、ツバサ! あんまり姫川を独占するな!」
「落ち着けって北大路。誰も姫川になんて手ェ出さねぇから」
「そういう話じゃない! せっかく部活に姫川来てるのに俺の練習見てくれないなんて淋しいだろ?」
「お前はウサギかよ。淋しくて死ねよ」
入ってきたのは北大路と平山で、相変わらず仲が良いのか悪いのかわからない会話をしている。とにかく二人揃うとうるさい。
「あ〜涼介〜。俺ね、今、姫っちに盛大にノロケられてたんだわ〜」
そんな二人の様子に構うことなく、ツバサはニタニタとしながら北大路のほうへ駆け寄っていった。さっきまで私にしていたように、背中をバシバシ叩いている。
「え? 姫川がノロケ? どんな?」
ノロケてないし、何をそこまで喜ぶんだよと言いたいくらい、北大路は嬉しそうな顔をした。ノロケけていたと報告されるだけでこんなに嬉しそうにするなんて、普段私が優しくしてないみたいじゃないか。……まぁ、愛情表現ってものはあまりわからないのだけれど。
「それがさぁ、俺が『涼介って上手いの?』って聞いたらさ……」
ゴニョゴニョと、ツバサは北大路の耳に内緒話をするようにそっと口を寄せて話し始めた。何を言っているのか聞こえないけれど、北大路の顔が見る間に赤くなっていくのはわかった。
全く萌えないけれど、その光景を「あ、これ完全にBLだわ。サナのために写真撮ろうかな」なんてことを考えていたら、赤くなりすぎた北大路が、ふらりと倒れかけた。
「……ひ、姫川……話を、盛ったらダメだ……」
何がそんなに恥ずかしかったのかと問いたくなるほど、北大路は悶絶していた。漫研の部室でハードなBLを間違えて読んでしまったあのとき以上の悶絶ぶりだ。
(歌が上手いと褒めたことなんて、これまでにも何度もあったはずなのに、そんなに照れることかなぁ。)
そんなことを考えながら、私はローリング北大路を放置して軽音部の練習室を出た。
でも、その数秒後。
北大路の叫び声によって私はツバサの言っていたことの意味を理解するのだった。
「姫川あぁぁぁっ! 俺たちまだプラトニックだろおぉぉぉっ!」
その場にいなくて、本当に良かったと思った。
まさか下ネタだったなんて気がつかなくて、私は上手いとかテクニックなどと言っていたのだから。
これから、飛び蹴りのターゲットをコージからツバサに変更しよう――そんなことを考えながら、私は一人家路を急いだ。
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