08 私はこっち側

「見損なったよ姫川」


 放課後の教室で、妙に芝居がかった口調でそんなことを言う男子を、私は冷めた目で見ていた。

 何だ。何が始まったっていうんだ。私は今忙しい。まあ、日誌を書いているだけなんだけど。


「お前はさ、俺と同じで“こっち側”の人間なんだと思ってたのに」


 机に向かう私の前に仁王立ちでいるのは、同じクラスの凡人代表・平山である。

 なぜだかわからないけれど、どうやら彼は怒っているらしい。

 面倒くさいニオイしかしないから、できたらあまり関わり合いにならずに早めに部室に行きたい。

 ホームルームのあとで日誌書いて鍵を閉めて職員室に持って行かなきゃならなくて、ただでさえ面倒くさいのに、日直の相方が変なことを言い出すなんて、もう本当にやめてほしい。


「見損なったとか、こっち側とか、わけがわかんないんだけど」

「北大路のことだよ!」


 はあ、北大路が何かしましたか。といっても奴への苦情は、奴に直接お願いしますよ。私は苦情受付窓口でもなんでもないんだから。


「何だよ。その、『わたしゃ関係ありませんよ』みたいな顔は」


 心の中で呟くだけにして日誌に向かい続ける私の態度がよほど気に入らなかったらしく、平山は語気を荒らげた。

 何なんだろう。カルシウム不足かと尋ねたくなる。育ち盛りでもあるんだから、しっかり牛乳を飲んで小魚も食べなさい。


「怒ってるのは伝わるんだけど、それが何に対してなのか全然わかんない。ちゃんと説明してもらっていい? じゃなきゃ困る」


 仕方なく、ペンをおいてからきちんと平山を見据える。すると、途端に居心地悪そうにもじもじとしはじめた。トイレか。それなら、人に喧嘩売る前に済ませておきなさいよと言いたい。


「お前……北大路と音楽活動やってるんだろ?」


 しばらくためらったあと、もじもじ平山はそう言った。でも、それでもまだ何もわからない。

 確かに、北大路とはまた一緒に音楽を作るような流れになってしまった。あれから、投稿した曲が視聴数をぐんぐん伸ばして、そのことが嬉しかったのもあるけれど、何より誰かの書いた詞に曲をつけるのが楽しかったのだ。そうすると、一緒に音楽をやることを拒む理由が見つからない。それに、サナや部長が北大路と打ち解けてしまっているのもあって今に至る。


「だから? てか何で知ってんの?」

「休み時間話してるの聞いた」

「盗み聞きかよ」

「だって、なんで北大路と姫川が話してんの? って思ったら気になるじゃん」

「何で? 平山には関係ないでしょーが」

「あるよ! だって、お前と音楽活動するのは俺だと思ってたのに!」

「……はぁ?」


 平山ってこんなに話すとややこしいタイプだったっけ? と私は頭を抱えたくなった。

 凡人代表・平山は、一年のときから同じクラスだ。リア充になり切れず、かといってオタク趣味に没頭するわけではない、そのパラメーターといい存在感といい何とも言えぬ十人並みで毒気のない感じが気に入って仲良くなった。

 出席番号も近いから、席替えのない選択授業のときなんかもグループを組まされることが多くて、まあ友達と呼んでも差し支えない程度の人間関係は築いていたつもりだ。

 私のことを地味だからとかオタクだからとかいって見下したりしないし、漫画の貸し借りもしたのに……なんで突然こんなわけのわからないことを言い出したんだろう。


「お前さ、俺にギターくれたじゃん? そのときに『いつか演奏でこの恩は返す』って言ったら『生音が必要になったらね』ってお前が答えただろ? だから俺、練習してたのに……」

「…………」


 そんなこと言ったっけ? と思ったけれど、目の前の平山を見たら、とてもじゃないけれどそんなことは言えなかった。

 怒りのツボは人それぞれだ。

 そして、どうも私は平山の怒りのツボを思いきり刺激したらしい。

 確かにギターはあげた。例の如く愚兄が勢いだけで購入して、あっという間に飽きて家に放置されていたものがあったから。ちょうど平山が「何か楽器やってみたいけど高いよな」と言っていて、そんなに上等なものでなくてもいいならと譲ったのだ。

 そのときに交わしたらしい些細な会話を、平山はこんなふうに持ち出して怒っているということなのだろうか。

 でも、それって何だかおかしいと思う。ギターをもらったことに恩を感じているというのなら、突然そんなワケのわからないことで怒らないでほしい。


「たしかに北大路に曲は提供したよ。それに、投稿できるようにレコーディングも手伝ったけど、でも……何で平山が怒るの?」

「それは……お前は俺と同じで北大路みたいな奴が嫌いなんだと思ってたからだよ!」

「俺がどうかしたのか?」

「え?」


 もちろんナルシストなんて好きじゃないよ! と言い返そうとしたとき、ガラッと教室のドアが開いて、北大路が入ってきた。


「真田が、姫川が遅いから見てこいって言うから来たんだが。あとは日誌を職員室に持っていくだけのはずだろ。……トラブルか?」

「いや。何でもな――」

「何で北大路が来るんだよ!」


 何でもないと言って誤魔化して、日誌をそのまま出しに行く流れにしたかったのに、平山は北大路に対して戦闘態勢に入ってしまった。

 わけがわからない。結局、平山が怒っている相手は北大路なのだろうか。


「漫研の部室に一緒に行くために迎えに来たんだけど、それをお前に言う必要があるのか?」


 面倒くさいことに、何故か北大路もその喧嘩を買うつもりでいるらしい。

 凄んでいるわけではないのだろうけれど、平山よりも頭ひとつ分背が高い北大路が見下ろせば、それだけで威圧しているように見える。

 見上げるというより睨みあげる平山と、瞬きもせずにその視線を受け止める北大路。

 これはいわゆる一触即発という状態なのだろうか。

 でも……

(ここにサナがいたら喜ぶんだろうなあ)

 そんなことを考えて、思わずにやけてしまった。


「おい姫川、何にやけてんだよ」


 目ざとく気づいた平山が睨んでくる。


「俺の美貌に、思わず笑みがもれただけだろう」


 ふざけた北大路は、それにナルシスト発言で応じる。

 そしてまた、二人はバチバチと音が聞こえそうなほどの睨み合いを再開した。

 もう、本当に面倒くさい。サナの描く漫画のように裸で殴り合って抱き合って仲直りして、ついでにほっぺにチューでもして欲しい。男って、拳で語り合えばわかりあえるんでしょ?


「もう、鍵閉めて日誌出して部活行きたいんだけど」

「ちょっと待てよ」


 いい加減嫌気が差して出口へ歩きながら言うと、平山が納得いかないという顔をした。そんな台詞を吐いていいのは、イケてる人だけだと思う。少なくとも、凡人代表にそんなこと言われても困ってしまう。


「平山はさ、せっかくギターを練習したんだから自分も一緒に音楽やりたいってことだよね? だったら、ギターが必要な曲とか考えるから、それでいい?」

「え、あ、……うん」

「じゃあ、そういうことで」

「……ちょ、待て待て待てー!」


 適当に話をまとめて切り上げようとしたのに、それでもまだ平山は何か不満らしい。出口へ向かう私の後ろに当たり前のようにくっついている北大路も、「しつこい男は嫌われるぞ」なんて言っている。お前が言うな。しつこさで言うなら、北大路だって大概だ。


「あのさ……もしかして、姫川は……北大路に惚れちゃったの?」

「……はぁ?」


 散々引き止めて、散々溜めてからの言葉がこれかい。呆れて何も言えないところを、私は何とかため息に感情を乗せてお届けした。


「俺はさ、姫川は他の女子みたいにイケメンってだけでキャーキャー言うような奴じゃないって思ってたんだよ。地に足つけて現実見て、『人間は中身』って思ってる“こっち側”の奴だって。……でも、こうして北大路と仲良くしてるってことは、やっぱり顔が良い奴がいいのかなって……」


 恥じらっているのかトイレなのかわからないけれど、また平山はもじもじしながら言った。

 この人は何を、どこで勘違いしたのだろうか。私のどこを見たら、北大路に惚れているように見えるというのだろう。そんな気持ちは微塵もないし、勘違いされるような振る舞いなんてしたつもりはない。

 言いがかりにしたって、的外れにもほどがある。

 平山の発言にも腹が立つけれど、何だか期待を込めた眼差しを北大路が向けてくるのもムカつく。

 だから、はっきり言っておくことにした。  


「好きとか嫌いとかって、恋愛感情のこと? それなら言っとくけど、私は好きな人いるからね」

「え⁉︎」


 思いきって言ってやると、二人は同じような顔をして驚きの声をあげた。

 その顔を見れば平山と北大路がどんな勘違いをしたのかわかるから、誤解を正すため、私はカバンにそっと忍ばせているものを取り出した。


「この人が、私の好きな人。見ての通りの完璧なイケメンで、歌も演技もできて、楽器も一通り演奏できて、冷静で紳士的な人なの。その落ち着いた物言いで冷たい人だって誤解されちゃうこともあるけど、本当はすごく優しくて、情熱的で……とにかくカッコイイの!」


 平山と北大路は、ポカンとした顔で私が手に持っているものを見ていた。

 私の手にあるのは、クリアファイル。格好良い彼の全身がプリントされたお気に入りのものだ。普段はカバンに入れたままだけれど、部活のときだけ取り出して愛でることができる。

 その彼は、例の聴くと必ず泣いてしまう歌を歌っているキャラだ。アイドルグループの一員で、いつも冷静沈着な努力家、そして実は仲間思いの熱い人だ。クールでいながらヒロインに対しての優しさを発揮したときのギャップが、たまらなく素敵なのだ。

 これまで様々なキャラを好きになったけれど、今のところ歴代最高に好きで、きっとこの先も最愛だと思う。


「好きな人って……」

「そう、二次元よ?」


 北大路は、あからさまにホッとした顔をした。もしかして、自分に惚れているなどと思っていたのだろうか。ナルシストめ。

 平山は納得できないという顔をして、しげしげと“彼”を見つめていた。


「おい、前言ってたキャラと違うじゃん」

「たしかに、他にもたくさんいいなってキャラはいるけどね」

「浮気者め」

「何言ってるの? 萌えに重婚は成立しないのは当たり前のことよ?」

「…………」

「あっち側とかそっち側とか言ってたけど、私は二次元好きこっち側だから」


 なぜか途中から呆けた顔になった平山をおいて、そう言い放って私は教室を出た。

 北大路は何かがツボに入ったらしく、ずっと「はははは」と高笑いをして後ろをついてきて気味が悪かった。




「というわけで結局、意味わかんないことで絡まれて遅くなっちゃったんです」

「メーさん、わかんないんだ……」


 部室についてから事情を話すと、珍しく部活に顔を出していたべっち先輩が苦笑いをした。


「平山くんとキンヤくん……んーあまり捗らない」

「そうかあ」

「でも、キンヤくんと平山くん……これなら」

「なるほどねぇ」


 サナは難しい顔をして、よからぬことを考えていた。やっぱり、あの現場に居合わせたらきっと喜んだだろうな。


「キンヤくん……まあ、お疲れ」


 何故か部長は、気怠げな雰囲気を漂わせている北大路を労った。

 それを見て何かを悟ったらしいべっち先輩は、ニヤッとして北大路に何か漫画を勧めていた。北大路も、それを素直に受け取る。


「よくわかんなかったけど、疲れたあ」


 そう私が呟けば、さっきまで北大路と平山のどちらが右か左なのか考えていたサナが、ニンマリとした顔で見てきた。この子は最近すぐこの顔をする。何を面白がっているんだろうか。


「まあ、今はわかんなくていいかもね。わかったら、それはそれでうんと疲れちゃうし」


 サナは、そんな意味深な発言をする。

 でも、わからなかったのはどうやら私だけらしく、部長もべっち先輩も、何だか深々と頷いていた。

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