07 世界の真理に触れるとき
ある日の放課後のこと。
すっかり漫研の部室に馴染んでいる北大路が、私とサナの近くまでやってきた。
一曲作ってやったら私のことをあきらめてくれるだろうと思っていたのに、歌い手“キタ王子”はなかなかに人気が出てしまい、次の曲をとねだられているのだ。
私としても、キタ王子の歌ってみた効果で原曲も再ランクインするなどの恩恵があったから、まあやぶさかではない。
でも、あくまで私のメインの活動は漫画を描くことだから、そのへんは理解してもらうつもりだ。
というわけで、北大路は相変わらず放課後はほぼ毎日、漫研の部室にいる。
「姫川、ちょっといいか?」
北大路が近づいてきたとき、新しく描きたいものの構想を練ると称していらないプリントの裏に落書きをしていたから、サッと裏返す。サナは何を考えているのか、慌てて乳首をグリグリと黒く塗りつぶし始めた。サナが描いていたのは、裸の男ふたりが見つめ合っている絵……隠さなければいけないのは、そこだけじゃないのに。
「ど、どうしたの? 何か用?」
北大路の視線がサナの手元に向かないよう、仕方なく私から声をかけた。すると、北大路は嬉しそうにスマホを見せてきた。
「姫川が作ったこの曲を次はカバーしてみたいと思ったんだ」
「え? カバー? オリジナルじゃなくていいの? ……って、この曲は……」
北大路が見せてきたのは、動画サイトの画面。流れているのは、数ヶ月前にずいぶんと気合いを入れて作った曲だった。
「姫川が作った曲はどれも好きなんだけど、この曲は特に胸にくるものがあったんだ。MVもかっこいいし」
「あー、うん。これはサナがめっちゃ張り切って作ったから」
べた褒めしてくれるのは嬉しいけれど、どうしても歯切れが悪くなってしまう。
というのも、この曲は他の曲と違って思い入れが強いというか、ワケありなのだ。
「この曲、気に入ってくれたのは嬉しいんだけど、カバーはどくかなあ……?」
「あー! その曲!」
何とかサナに気づかれる前に北大路の興味をそらそうとしたのに、ひと足遅かった。サナはキラキラとした瞳で、北大路のスマホを見つめていた。
「それ、あたしが大好きな推しカプのためにメーちゃんが作ってくれた曲なんだよ」
うふふと、幸せそうにサナは言う。
そうなのだ。この曲は、サナが当時ハマっていた漫画の、あるキャラたちのイメージで作ったものだ。
オタクの中には、作品やキャラにハマりすぎると勝手にイメージソングを考えたり、髪色やテーマカラーから私服を考えたり、好きなキャラたちの結婚式のプランを考えたりする人がいる。
サナもそういったオタクのひとりだ。
でも、そのときハマっていたキャラたちに合う曲がなかなか見つからなくて、そのせいで妄想もいまいちはかどらなくなってしまったのだ。
だから、そんなサナを救うためにコンセプトから何から一緒に考えて作ったのが、この曲だった。
「推しカプ?」
突然飛び出したオタク用語に、北大路は首をかしげた。そんなことを聞いたらだめだよーと思うけれど、こいつはまだそういったことがわからないらしい。
「あのね、キンヤくん。推しカプっていうのは、推しカップリングの略なの。カップリングっていうのは、言ってみれば組み合わせのことね。簡単に言うと好き同士、恋愛関係を表す言葉だよ。ちなみに、この曲はどのカプのイメージソングなのかっていうと……」
サナはスマホを取り出し、自分の推しカプについて説明し始めた。これはおそらく、しばらく止まらないだろう。だから、私は北大路の気をそらそうとしたかったのだ。
オタクというのは、自分の好きなものの話になるととことん話したがる生き物だ。作品やキャラへの愛があふれて止まらなくて、ついつい熱く語ってしまうのだ。……自分もそういう生き物だという自覚があるからこそ、他のオタクの子を見るとひやひやしてしまう。
サナは何とか腐談義に花を咲かせたい欲求を抑えながら、その推しカプが出てくる作品について北大路に語っている。
「バディものなんだけど、あたしが応援してるのは、この主人公とその相棒でありライバルの彼じゃなくて、このふたりを支えるこの人ね」
「大人なキャラクターだな。司令官か何かか?」
「そう! キンヤくん、いい目を持ってる! この司令官は全力で主人公たちをサポートするんだけど、それには理由があって。これ! このキャラ! 敵の幹部のひとりなんだけど、実は司令官のかつての仲間なの! 仲間が悪の道に墜ちるのを救えなかった司令官は、主人公たちを支え、育て、いつかその仲間を助けたいって思ってるの!」
「おお……壮大で、面白そうな話だな」
「でしょ! でね……」
サナが見せているのは、そのアニメの公式サイトに行けば見ることができるコンセプトムービーだ。そのアニメの見せ場や面白いところをギュッと凝縮し、アニメ放送前から話題を集め、未見の人にも視聴のきっかけになるようにと作られている。
だから、この手のムービーというのは誇大であることも多い。ひどいときには、ムービーの中に登場したシーンが本編に出てこないということもある。サナの愛するこのアニメも、そういうコンセプトムービー詐欺アニメのひとつだ。
司令官と敵幹部の熱いかけ合いに見えたシーンは、実は全く関係ないシーンのつぎはぎで、ふたりの関係性はあきらかにされるものの、本編ではそこまで絡んでこない。
だから今、サナが北大路に語って聞かせている物語の概要は、コンセプトムービーと設定から妄想を働かせて補完した、実際とは異なるストーリーだ。
オタクとは、公式から供給された物語で満足できないときは、脳内で補完し、時には設定を捏造してしまう生き物なのだ。
でも、そんなことは知らない北大路はまんまとサナに乗せられ、目をキラキラさせて話に聞き入っている。
「面白そうだ。俺も見てみたい!」
「そう言ってくれると思った! じゃあ、明日ブルーレイ持ってくるね」
「ありがとう。イメージソングをカバーしてもらうのなら、どうせならちゃんとその世界観を理解したいからな」
こうして、サナの布教第一段階は成功してしまった。これからどんなことが待ち受けているのか知らない北大路は、殊勝なことを言っている。でも、いつまでその曇りなき
***
サナにあのアニメを布教されてから数日。
北大路は少し疲れているように見える。
「北大路、大丈夫? もしかして寝不足なの?」
放課後、部活に向かう道すがら、私は北大路に声をかけた。サナは掃除当番でいない。だから、その隙にだ。
「何だか姫川が優しい気が……やっぱり睡眠不足によって俺の美貌が陰ると心配か」
「バカなの?」
「痛っ」
せっかく心配してやったのにナルシストな発言で返してくるのがムカついたから、思いきり足を踏んでやった。まだこんなことを言えるなら、大丈夫だろう。
「夜遅くまで見てんの? 見るの大変だよね。二十四話あるし」
「まあ、それもあるんだけど、真田が気を利かせて漫画も貸してくれたから、そっちも読んでるんだ」
「無理しなくていいんじゃない? ほどほどにね。……それで、面白い?」
サナの布教活動はとどまることを知らないだろうから、とりあえず一番大事なことを尋ねてみた。アニメでも何でも、当然好き嫌いはあるし、どうしても合わないものはある。だから、もし無理そうなら、それをやんわり断ることも大切なことだ。
自分が好きなものを何が何でも広めたがる強行派のオタクもいるけれど、サナは嫌がる相手には強要しない、わりと温厚なオタクだと思う。
「もし合わないのなら、早めに言ってあげたほうがいいよ。かく言う私も実はこのアニメ、嫌いじゃないけどドハマりはしなかったからさ」
「いや……面白いとは思う。続きがつい気になって、それで夜更かししてしまってるからな。でも……」
「でも?」
「真田が言っていたキャラクターたちの関係性は、いつ焦点を当てられるのかと思って……」
「ああ……」
ついに気がついてしまったかと、私は頭を抱えたくなった。あれだけ熱いプレゼンを聞かされてから見始めたのだ。当然、気になるのはサナの推しカプだろう。
でも、残念ながらアニメ本編でサナの推しカプの絡みはほとんど描かれない。物語を主人公たちが追う中で、その関係がひょいとあきらかになるだけだ。だから、北大路が戸惑うのも無理はない。
「あのね、サナが好きなキャラたちはたしかに過去の因縁とか確執みたいなものはあるんだけど、それが物語の中ではっきり描かれることはないんだ……」
「え?」
ついに真実を告げると、北大路は信じられないといった顔をした。まあそうだよねと北大路の驚きを理解しつつも、「許せ! オタクの妄想は時に公式を超えるんだ」とも思ってしまうから、苦笑いしか出ない。
「だからね、借りたアニメはあくまで参考程度にして、『そういうイメージでできた曲なんだな』ってことがわかってくれればいいから」
非オタの北大路にとって、何日もアニメを見るのも、独自の解釈を理解しろというのもきついに違いない。
そう思って言ったのだけれど、無駄に爽やかな笑顔で首を振った。
「いや、せっかく真田が勧めてくれたんだから最後まで見る。それに、こうやってアニメを見れば姫川と話ができるし、漫研の人たちの気持ちが少しわかるかもしれないからな」
「北大路……」
異文化に対してのこの歩み寄り……感心だと言いたいけれど、私は思った。「甘いっ!」と。
「北大路、あのさ……」
「何の話してるのー?」
漫研部のある特別棟に入ったところで、掃除を終えたサナが追いついてきた。
しまった。またも私は出遅れた。北大路のことを思うなら、絶対に注意しておかなければならないことがあったのに。
「真田に借りたアニメの話をしていたんだ」
「そうなんだ。何話まで見た?」
「今は十五話まで見たところだ」
「おー、結構見たねー。じゃあ今、施設潜入のところか。それなら……」
漫研部の部室に向かって階段をのぼりながら、サナは熱くなってアニメについて語る。半分ほど見ているし、どうやら本当に楽しんでいるようで、北大路もそれについていけていた。
オタクにとって、好きなものを誰かと分かち合えるのはすごく嬉しいことなのだ。世間の認知度は上がったけれど、オタクは学校という小さな社会の中では未だに陰キャラだ。日陰の者だ。だからこそ、SNSなとではなく、リアルで顔を見て趣味の話ができるのは実はかなり幸せなことなのだと思う。
しかも、目の前で繰り広げられているのは腐女子とイケメンリア充の奇跡的な組み合わせ。サナの友人としても、いちオタクとしても、何だかとっても胸にくる光景だ。
でも、この平和な光景がいつまで続くのだろうと私はずっと不安だった。
「あのさ、キンヤくん。確認したいことがあるんだけど」
部室の前まで来て、戸に手をかけたところでサナがそんなふうに口を開いた。ついに来たか!と私は身構える。
「何だ?」
「あのさ、司令官と敵幹部なんだけど……どっちが攻めでどっちが受けだと思う?」
「せ、攻め? 受け……?」
にこやかな表情を保ちつつも、サナの目はマジだった。まるで信仰に反した者を探す異端審問官の目だ。いや、異端審問官なんて見たことないけれど。
とりあえず、北大路もこれがかなり難しい質問であることはわかったらしい。最近つけつつあるオタ知識から攻め受けの意味を精査し、判断しようとしているようだ。
「えっと……幹部のほうが気が強そうだから攻めで、いつも冷静な司令官が受け、かな」
考え考え、北大路はそう口にした。それを聞いて私は内心「あちゃー」と叫んだし、サナは目をバッキバキに見開いている。
これはマズい状況だ。北大路は知らないから仕方ないけれど、腐女子にとって解釈違いは大問題なのだ。時には、戦争すら起きる。
(北大路、ダメダメ! 言い直して! 逆だよ、逆! 血を見ることになるよ! 言い直して!)
私は、この凍りつきそうな空気にたえられなくて、必死に心の中で念じた。俺様ナルシストでも、空気くらい読めるだろう。というか読んでくれ。
そんな私の願いが通じたのか、少しの間固まっていた北大路は、震えながら私とサナの顔を見比べ、再び口を開いた。
「よ、よく考えたら司令官が攻めで、幹部が受けだ」
「だよねー」
北大路の答えを聞くと、サナの顔は瞬時に元に戻る。凍りついた空気にも、暖かさが戻った気がした。
そのあと、私たちは何事もなく部室に入ったけれど、北大路は終始緊張状態にあった。きっと、にこやかに趣味の話をしていたサナの豹変ぶりが理解できなかったのだろう。
私も、非オタの北大路にまであんなことを聞いてしまうサナの気持ちはちょっとわからない。でもきっと、同族か否か確かめ、本当に懐に迎え入れるかどうか判断したかったのだろう。
だから私はその夜、北大路にこの世界の真理の一部についてメッセージを送っておいた。
『腐女子にとって攻め受けの解釈違いは、戦争の引き金になる。そして、マッチョでも受けは受け。美少年でも攻めは攻め。見た目は関係ない。攻め受けの意味については、ネットで調べて』と。
それについて北大路からは、『司令官と幹部は、過去に付き合っていたのか……?』の返信が来たから、『サナの中ではね』の返しておいた。
***
それから約二週間後、北大路がカバーした例の曲は無事に動画サイトにアップされた。
MVは、サナが北大路をキャラクター化したものに司令官っぽい格好と幹部っぽい格好をさせたものが登場し、かなり凝ったものになっていた。北大路の歌声と凝ったMVによって視聴数はかなりあり、一時はランキング上位に食い込んだときもあった。
『黒王子! 銀王子!』
『黒×銀サイコー』
『銀×黒、尊い』
MVに登場するキャラの髪色の関係で、コメント欄にはそんなコメが流れていく。
「……左も右も、俺だ……」
たくさんの人に視聴してもらって嬉しいはずなのに、北大路はそれを複雑そうに見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます