05 俺に彼女なんていないけど
まどろみたくなるある日の五時間目。憂鬱な気持ちで私はグラウンドにいた。
五時間目の授業ってだけでも怠いのに、おまけに体育だとそれは一層ひどくなる。
昼休みにご飯を食べて良い具合にまどろんだ体で運動しろだなんて無茶ぶりだ。この時間割を組んだ教師たちだって同じようなことを思って学生時代を過ごしただろうに、なぜ誰も「食後の体育禁止」を提唱しないのだ。大人たちは経験から何も学ばないのか。とにかく迷惑だ。
私は逃げ足が速いだけで、体育は好きでもなければ得意でもない。やらなくていいならやりたくない。
まあ、そうはいっても今日はソフトボールをやらされているだけだからまだマシだけれど。
攻める側のときは自分の打順が回ってくるまで考えごとをしていても平気だから。
「メーちゃん、難しい顔してる」
隣に座るサナが、自分の眉間をポンポンと指さした。どうやら、私はかなり眉を寄せてしまっていたらしい。
「曲のこと考えてた。普段作ってるのとは違うから、ちょっと苦戦してる」
「キンヤくん作詞なんだっけ?」
「そうそう……いやぁ、参った」
私とサナが締め切りと戦っていたとき、「作詞は俺がしてやる! ありがたいだろう」と北大路が言い出した。
とりあえず原稿を落としたくなくて必死だった私は、それで北大路が静かになるならと思って「じゃあ、よろしく」と言ったのだ。
何とか無事に印刷所に入稿できた頃、北大路も詞ができたと言って一枚のルーズリーフを手渡してきた。
詞の出来は、問題なかった。バンドをやっていたというだけあって、好きなことを好きなだけ詰め込んで情報量が多くなってしまう私の詞と違って、すっきりとしてリズムも良い。
ただ、歌詞の内容が可愛すぎて、あの俺様ナルシストが書いたと思うと、どうにもムズムズしてしまうのだ。
北大路が書いてきたのは、ラブソングだった。
日頃、ベタベタなラブソングなんて作らないし聴かない私にとって、ラブソングというだけでちょっとお尻が痒くなるような照れがあるのに、それを書いているのが北大路だと思うと別の痒さがあった。
曲を作るために何度も詞を読み込まなくてはいけないのに、見るたびムズムズしてそれどころではない。
「どんな感じの歌詞なの?」
「ワガママな彼女に振り回される男の子が『僕のこと試してる、そんなところも好きだよ』みたいなことを言ってる歌」
「うわーあははー痒いー。キンヤくんどうて……彼女いないのにそんな歌詞書くんだー」
サナはさらりと酷いことを言い、ペロリととんでもない言葉を言おうとして慌ててマイルドな言い回しに変えた。
「何か意外だよね。『俺の美しさに酔いしれろ』とか『俺の愛に溺れろ』とか“俺様賛歌”みたいな歌詞を書くのかと思ったのに」
「いやあ、ああいう人は案外、振り回されたりお尻に敷かれたい願望ってあるんじゃないかなあ」
そう言って、打順が回ってきたサナはバッターボックスへ向かった。近くにいた子たちがささっと距離を取る。サナは打ったあとなぜかバットを盛大に後ろに投げるからだ。
サナがまぐれ当たりでヒットを出して、一点追加された。とりあえず周りの子たちとハイタッチを交わすけれど、大半の子たちが別のところに視線を注いでいた。
グラウンドの隅でハードル走をやらされている男子たちの集団。女の子たちの視線の先にあったのはそれだった。
おいおい。一応試合の形でやっているのだからチームメイトを応援してやれよと言いたくなる。
「次、長谷川くんみたいだよ」
「見なきゃ見なきゃ」
女の子たちが突然色めき立つ。
どうやら、クラス一のモテ男子の長谷川くんが走るらしい。
ただでさえみんな同じ体操服を着ていてわかりづらいのに、よくこんな離れたところから個人を識別できるものだなと感心する。
でも、私も箱を開けずに持った感じとかすかな音だけでお目当てのフィギュアを引き当てることができたりするから、それと同じなのだろうか。あれは考えるのではない、感じるのだ。
「長谷川くん、カッコイイー!」
倒すことなくスイスイとハードルを跳び越えていく長谷川くんの姿に、女の子たちから歓声が上がる。確かに、こう見るとオーラが違う気がする。
和犬を思わせる甘く親しみやすい顔に、気さくな性格で、おまけに文武両道とくれば人気があるのも頷けた。漫画なんかでも、正統派ヒーローは長谷川くんみたいなタイプが多い気がする。つまり、多くの女の子の願望が具現化したような存在ということか。
(顔がいいだけの俺様とはわけが違うよなあ)
すべてのハードルを跳び越えたあと、無邪気にガッツポーズをする長谷川くんの姿を見て、どこぞのナルシストのことを思った。
長谷川くんの可愛らしさの半分でもあれば、もう少し私も優しくしてやろうかという気になるのに。
「次、北大路くん走るみたい」
「もー……体育は見学すればいいのにぃ」
さっきとは違うざわめきが女の子たちの間に起こる。
私の記憶違いでなければ、北大路も長谷川くんほどではないけれど女子に人気だったはずだ。
それなのに、何だろう。この漂うがっかり感。『体育は見学すればいいのに』とまで言われている。柔らかな響きだけど、物凄い暴言だ。さらっと体育の授業を受ける権利を剥奪されようとしている。
何でこんなに女の子たちは北大路に厳しいのだろうと不思議だったけれど、あいつが走りはじめてそれがわかった。
走りはじめた北大路は、カクカクとおかしな動きをしていた。まるで動かす人に恵まれない操り人形みたいだ。ある一定の角度以上膝も肘も曲がらない、というような動きをしている。
そんな走りっぷりでようやくハードルの前にたどり着くと、小股で数歩調整してから跳んだ。跳んだというより、
そして、また関節が軋む音が聞こえそうな走り方で次のハードルへと向かっていった。
長い手足を持て余すようなその動きは、見ていてひやひやさせられる。
とにかく、北大路が走ることが苦手なのがよくわかった。
「体育のときの北大路くんは見ない方がいいよね……何か、百年の恋も覚めるっていうか」
一人の子が言って、周りの子たちもそれに同調した。
嫌だなあ、この空気。ダンスの授業とかで一部の不得意な子たちが晒し者になるときも感じるけれど、一生懸命やってもできないことを笑う人たちは好きになれない。
たしかに北大路の走る姿はとびきり不細工だけど、走れるのに走らない奴よりよほどましだ。私は、あいつの走りの一生懸命さだけは評価したい。苦手なことでも必死で取り組むというのは、全然かっこ悪いことではないと思うから。
「次、姫ちゃんだよ」
「はいはーい」
クラスメイトに呼ばれて、私はバッターボックスに立った。
何でこんな細い棒であんなちっちゃいボールを打たなくちゃいけないんだろう、といつも思うのだけれど、バットを思いきりブンッと振り回す感覚は好きだ。
私はボールが自分のほうへ向かってきたのを確認して、力の限りバットを振った。むしゃくしゃした気持ちがこもっていたその一振りは、ボールをしっかりバットの中心で捕らえ、遥か彼方へと打ち上げた。
「姫ちゃん、ホームランだよ! 走って、一周回って帰ってきて!」
「う、うん」
言われるがままに私は走り出した。
体育が得意ではないから、どうも野球のルールすら知らないと思われていたらしい。でも、親切に説明してくれたクラスメイトのためにも急いで帰ってこなければならない。
(あれ? ホームランは急がなくていいんだっけ?)
そんなことを思いながらふとグラウンドの隅に目をやると、走り終えたらしい北大路がこちらを見ていた。疲れているのか、ボーッと立っている。でも少し、驚いているようにも見えた。
もしかしたらただ遠くを眺めているだけなのかもしれないけれど、見られているかもしれないと思うと早く通り過ぎたくて足を速めた。無様ではないつもりでも、一生懸命なところを見られるのは、何だか恥ずかしいから。
結局、試合は私たちの組が勝った。元々授業でやる球技はあまり点が入らないものだから、サナが打ったヒットと私のホームランが後押しになって点差が開いて、そのままチャイムが鳴った。
「姫川、ホームランを打ってたな。それにやっぱり、足が速いんだな」
更衣室で同じクラスの子たちにキャッキャと労われたあと、サナと二人で教室まで歩いていると、その途中で北大路に遭遇した。
北大路はさわやかなイケメンスマイルを浮かべて、こちらに手を振ってくる。
「……見てたのか。タダで見ないでよ」
「言うと思った。なら、これをやる」
「え……なんで?」
「頑張った賞みたいなもんだ」
そう言って、北大路はスポドリのペットボトルを差し出した。受け取ると、ひんやりと冷たい。さっき買ったばかりなのだろう。
「北大路って、走るの苦手なんだね」
頑張った賞なんてものを突然もらって照れてしまって、私は急いで話題を変える。
恥ずかしがって悶絶するだろうと思っていたのに、北大路は平気そうだった。
「見てたのか。ああ、苦手だな」
「走るの苦手だから、あの日、自転車を借りて追いかけてきたんだね」
「誰にでも不得意なことはあるからな。俺の場合、顔が良くて歌が上手いから、神様が与えすぎたと思って慌てて運動能力を奪ったんだろう」
ふざけたことを言って北大路は爽やかに笑った。何で、こうもポンポンとナルシストな発言を思いつくのだろう。そんな理屈が通用するなら、私が与えられるべき美貌や知性といった諸々のパラメータは一体どこに割り振られているっていうんだ。ふざけるな。
「ところで姫川。今日、俺が走っているところを見てグッときたか?」
「は? 何で?」
北大路は、嬉々とした様子でそんなことを尋ねてくる。暦の上では秋でもまだ暑いから、グラウンドの熱気にでもやられたのだろうか。
「こんなにカッコ良くて、歌も上手い俺が走るのが苦手なんて、いわゆる“ギャップ萌え”ってやつだろ?」
「……あんた、どこでそんな言葉覚えたの?」
「まあ、俺もいろいろ勉強してるんだ。姫川がホームランを打ったり足が速かったりするのも、ギャップ萌えだよな? 俺はしっかり萌えたぞ」
ドヤ顔と呼ぶに相応しい顔をして北大路は言った。使い方としては間違っていないけれど、そもそも三次元に使うのってどうなのだろう。それに、私に向かって使うのも、何となく釈然としない。萌えない存在である自覚があるから、褒められた気はしないのだ。
あ、ボコりたい――そう思って拳を握りしめた瞬間、黙っていたサナが盛大に吹き出した。
「ごめんごめん。ちょっと二人のやりとりがおかしくて。……キンヤくんが作った詞のこと聞いて思ったんだけど、キンヤくんってお尻に敷かれたい願望あるんだ?」
おかしくてたまらないのを
サナの質問に北大路は一瞬不思議そうな顔をしたけれど、すぐにまたドヤ顔になって答えた。
「あれは、俺の心の広さと包容力を歌った歌だ。彼女のワガママを際立たせ、それを『そんなところも好きだ』と言うことで彼氏の懐の深さがよく表現できたと思うんだが」
ババーンという効果音をつけたくなるくらい、得意げな顔をして北大路は言った。
でも、サナが再び吹き出し、私が拳を握りしめたとき、ちょうどチャイムが鳴ってしまい、私たちは急いで教室に戻らなければならなくなった。これだけは、何とかツッコミを入れたかったのに。
だから教室までの道中、私は心に決めていた。
北大路に作る曲のタイトルは『俺に彼女なんていないけど』にしてやろう、と。
そうでもしなければ、このムカムカは収まりそうにない。
可愛いラブソングだなんて言ったのは撤回だ。
可愛くなんて、全然ない。
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