だから俺様は恋を歌う

猫屋ちゃき

01 俺様にもほどがある

 夕焼けに染まる河原へと続く道。

 気持ちの良い風が吹いて、それがふっと私のスカートと髪を揺らす。

 汗ばんだ肌の上を風が滑っていって心地良い。

 ふと脇へ目をやれば、夕陽を受けて川面がキラキラと輝いていて綺麗だ。

 そして、目の前にはイケメン。

 ああ、何てロマンティックなシチュエーション――この状況でなければ、私はそう思っただろう。

 そう。散々な追いかけっこを繰り広げた挙句、双方息も絶え絶えで汗だくになってさえいなければ。

 でも……と私は思い直す。

 どちらにしたって、私には無縁なのだ。

 そんなロマンティックとも、こうしてイケメンに追いかけ回されるという非日常とも。


「何の用? 北大路」


 覚悟を決めて、私は目の前の彼の名前を呼んだ。

 いくら頭を悩ませたところで、彼に追い回される理由が思い当たらない。どれだけ逃げても追いかけてくるというのなら、なぜ追われているのか、彼が私に何を求めているのかを知ったほうがいいだろうと判断したのだ。

 それに何より、疲れた。

 足にはそれなりに自信があったけれど、自転車まで使って追いかけられたら、もう追いかけっこはやっていられない。


 北大路との追いかけっこは、帰りのホームルームを終えた直後から始まった。



「姫川!」


 同じ部活で仲良しのサナと一緒に部室に行こうと教室を出たところで、男の声に呼び止められた。

 誰だろう。学校で私の名前を呼ぶ男なんて、教師くらいしかいない。クラスメイトの男子なんて私のことを歯牙にも掛けないのだから、名前なぞ呼ばれるはずもない。用があったとしてもきっと「おい」としか言われないことはわかっている。

 だから、誰だ? ――そう思って振り返って、私はギョッとした。こちらをロックオンしてズンズンと近づいてくるのは、イケメンなことで有名な、クラスメイトの北大路だったのだから。


「サナ、ごめん! 私、今日は帰る!」

「おい、待て!」


 ただならぬ気配を察知して、私は反射的に駆け出していた。だって、北大路に声をかけられる理由なんてないから。イケメンとオタクである私との間に、接点なんてあるわけがない。クラスメイトであることと人類であること以外に、私と彼に共通点なんてありはしない。四月のクラス替えで同じクラスになってから二学期になった九月の今の今まで、言葉を交わしたことすらないのだから。

 それなのに向こうは何が目的なのか、どこまでもどこまでも追いかけてきた。


「姫川ー!」


 呼んで欲しくない、私の名前を不必要に大きな声で叫びながら。


 逃げながら、私は考えていた。

 北大路に何かしてしまったのではないか、と。

 そういえば以前、試験の結果が散々だったとき、むしゃくしゃして、ちょうど視界に入った彼で“妄想”を楽しんでしまったということがある。ひとしきり北大路を脳内のいろんなシチュエーションで弄んだあと、はたと我に返って猛省した。もう“生もの”には手を出さない、と。

 私はそれほど腐っているわけではない。仲良くしている友達がそっちの趣味の子が多いから、一緒になってちょっと楽しむくらいだ。それに、生もの――実在の人間を扱ったBL――には手を出さないと決めている。だから、その日はどうかしていたのだ。

 でも、そんなことを彼が知る由もないのだから、やっぱり追いかけられる理由なんてわからない。


 それにしても、イケメンだ。目の前の北大路を見て、改めて思った。

 三次元の男になんて興味ないけれど、こうして対峙すると、その容姿の良さは認めざるを得ない。

 サラサラの髪に、少し垂れ気味の切れ長の目。おまけに二重瞼。鼻筋はスッと通っていて、唇も薄すぎず厚すぎず形が良い。

 身長は百七十五センチくらいあるだろうか。顔が小さいから、ざっと見るだけでも八頭身に近いのがわかる。

 文句なしにイケメンだ。

 でも、私はこいつが好きではない。

 なぜなら――


「おい、姫川! お前に俺の曲を作らせてやる!」


 そう、彼はいわゆる“俺様”なのだ。

 口を開けば飛び出すその俺様発言にドン引きしているのは、きっと私だけじゃないはずだ。


「…………」


 あまりのことに、私は何も言えなかった。絶句。文句なしの絶句。

 この人、何言ってるんだろうというのが率直な感想だ。

 でも、その沈黙を北大路は別の意味で解釈したらしい。


「何だ、姫川。俺のかっこよさに見惚れてるのか?」

「……はぁ?」


 何だこいつ。このまま土手を転がり落ちて、どんぶらこと川を流れて行ってくれないだろうか。そしてどこかの心優しい人に拾われて、その度が過ぎたナルシストゆえにナル太郎と名付けられればいい。

 カッコイイのは認めよう。

 でも、それを自分で言っちゃうのはどうなんだろう。

 俺様にもほどがある。


「俺の話を聞いてるのか? 姫川」

「聞いてるけど? 聞いた上で無視してるのよ、北大路」

「なっ……!」


 女子に無視なんてされたことないだろう北大路は、私の発言におののいた。震えていた。頭を抱えていた。

 どうだ、ショックだろう。そのまま傷ついて尻尾巻いて帰れ――そう思ったのに、数秒後には体勢を立て直していた。


「ああ、なるほど。俺の言ったことの意味がわからなかったんだな。なら、もう一度言おう。お前に、俺の曲を作らせてやる。……どうだ、嬉しいだろう?」


 一語一句区切って、はっきりと発音するように北大路は言った。それを聞いて、「ああ、この人は馬鹿なんだな」と気がついた。

 北大路はとびきりのプレゼントを差し出し、受け取った相手が包みを開けて喜ぶのを見たくて待っているような、そんな様子だった。

 でもあいにく、嬉しくもなんともない私は、こいつの望む反応なんてしてやれない。私はまずこいつの頼みを聞きたくないし、人にものを頼む態度ではないからそもそも相手にしたくない。


「要件はそれだけ? なら私、帰るね。そして、答えはノーよ。嬉しくも何ともない。……あんたからの申し出を喜びそうな人はたくさんいるんだから、他を当たって」


 これ以上こんな茶番には付き合っていられない。

 私は北大路に背を向けて帰り道へ急ごうとした。

 それなのに――


「待った! 待ってくれ! お前、曲を作れるんだろう? おまけにそれを人に聞かせるために投稿もしている。だからお前に頼んでるんだ。頼めば『うん』と言ってくれる女子はいくらでもいるだろうけど、その子が実際に作れるかどうかなんてわからない。でも、作れないと意味ないからな」

「……誰に聞いたのよ」


 長身の北大路が、私の退路を塞いだ。長い足であっという間に回り込まれたら、逃げようがない。そのことに、若干またイラッとする。


「クラスの女子が『姫ちゃんの新曲聴いた?』って言っていたのを聞いたんだ。それで、姫ちゃんは誰だろうと考えて、姫が名前につく人物を探して、姫川だとわかったんだ」

「何それ……」


 確かに北大路の言うとおり、私は曲を作っている。作詞も自分でやって、その作った曲を動画サイトに投稿もしている。

 ごく親しい友達にだけそのことを教えていて、その子たちには私の曲を気に入ってもらっていることも知っていた。

 でも、その子たちのちょっとした会話を盗み聞きして私にまでたどりつく人間がいるなんて、思いもしなかった。


「お前、曲を作る人間なら、それを誰が歌うかにもこだわるものだろう? 自分で言うのもなんだが、俺は歌がうまい。バンドでヴォーカルをしてたくらいだからな」

「なら、そのバンドで歌い続けてたらいいじゃない」


 通せんぼをすり抜けて、私はまた歩き出した。

 イケメンの自分がこれだけ頼んでいるのになぜ?と北大路が不思議そうな顔をしている隙に。

 不思議なことなんて何もない。

 私は、誰かのために曲を作っているわけではないのだから。

 マイナージャンルにハマることが多くて、その結果、私は“自給自足”の癖がついている。

 萌える二次創作がなければ自分で書き、グッズがなければ自分で作った。

 その流れで、自分の聴きたい曲がなかなかなかったから作曲にまで手を出した、というわけだ。

 だから、誰が歌うかなんてはっきり言ってどうでもいい。“歌わせる”ことまで含めて自分でやっているのだから。


「待ってくれ! バンドは……その、音楽性の違いってやつで……」

「解散したの?」

「いや……追い出された」

「あらまあ」


 なるほどね、と頷いて私はまた歩き出す。

 こんな奴なら追い出したくもなるだろう。イケメンで歌が上手くても、同性とはうまくやっていけないのは納得だ。異性の私でも嫌なのだから。こいつの勝手気儘な振る舞いを許してくれるのは、顔に騙された一部の女子だけだろう。

 同じクラスになって、教室内でこいつの振る舞いを見ているだけでも、十分に私は嫌いだ。

 恵まれている自分は、ねだれば何でも与えられる・手に入る――とでも思い違いをしていそうな俺様な態度は、直接関わらなくたって鼻につく。こうして対峙すればなおさら。私は、いわゆるリア充なやつが嫌いなのだ。


「私もあんたなんかいらないよ。今は便利な時代でね、私の思うままに歌ってくれる子たちがいくらでもいるから。あんたみたいに威張ったりしない、歌の上手い子たちが」


 少しずつ暗くなり始めた空を見て、私は足を速めた。結構長くこいつに時間を費やしてしまっていた。本当なら、この時間は部活を終えてサナと帰っているはずだったのに。

 漫画やアニメの話をしながら仲の良い友達と帰る――それが私の日常だ。

 俺様イケメンと夕陽の沈む土手を歩くなんて、私の予定に組み込まれていない。


「誰なんだ? その、歌の上手い奴らって……」


 打ちのめされた様子で、北大路は自転車を押しながら私に追いすがる。女子に拒絶されたことがよっぽどショックらしい。

 こいつは知らないのだ。

 三次元を必要としない人間がいることを。

 そういった人間にとって、いくらイケメンでも三次元駄立体なんて無意味だってことを。

 私には、アニメや漫画といった二次元があれば十分だ。二次元のイケメンを愛でることができれば、三次元なんてどうだっていい。だから、北大路の頼みを聞く理由はない。


「ボーカロイド――歌声合成ソフトだよ。私は生身の歌手の曲を作っているわけじゃないの。だから、あんたのための曲は作れないし、あんたはいらないの」


 きょとんとした顔をする北大路を放って、今度こそ私は歩きだした。

 意味がわからないならわからないでいい。

 どっちにしたって、引き受けるつもりはないし、引き受けたところで私には作れないのだから。


「ま、待ってくれ!」


 しばらく呆然としていた北大路だったけれど、私が帰ろうとしていたのに気がつくと、慌てて追いすがってきた。本当にしつこい。しかもメンタルが強い。こんなにはっきり断ってるのに、どうしてここまであきらめが悪いんだろう。


「あのさ、もう結構遅い時間なんだけど。暗くなる前に家に帰りたいの。これでも一応女だから、安全な時間に帰りたいんだよね」

「それなら、俺が送る。だからその道中で話を……」

「やだ。ていうか、ついてこないで。ストーカーで先生にチクるよ。……っていっても、たぶんなぜか事実がねじ曲げられて、あんたが勝手についてきてることなのに、私があんたにつきまとったことになりそうだから、もう関わらないでよね。地味キャラって生きづらいんだから」


 よく考えたら、こんなところを誰かに見られたらマズい。冤罪でもなんでもでっちあげられそうだ。

 地味系オタク女子がイケメンと一緒にいるのなんて、不自然極まりない。一体、そこにどんな憶測や妄想を差し挟まれるのかと思うとゾッとする。

 だから、人気者とかリア充となんて関わりたくないんだ。


「せ、せめてIDを教えてくれないか。メッセージのやりとりなら、その……そんなに迷惑にならないだろ?」

「ID教えたら、もう帰っていい?」

「うん」


 本当はそんなのめちゃくちゃ迷惑なんだけどと思いつつも、これで解放されるなら背に腹は変えられない。

 それに、メッセージが来ても既読無視ならぬ未読無視してやればいい。無視をしていたら、そのうちあきらめるだろう。

 そうこっそり思って、私はスマホを取り出して北大路とIDを交換した。下の名前は知らなかったから「ナルシスト北大路」で登録してやった。家族も含めてきちんとフルネームで登録している連絡帳に、異色の名前が加わってしまった。……まあ、私からこいつに連絡することなんてないからいいんだけど。



「災難だったな……」


 私はそっと呟いて家路を急いだ。

 帰ったら、漫画を読もう。アニメを見よう――そんなことを考えながら。

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