第20話 マリオネットたちの暴走10
その後、捜査本部はマヤの証言から都内に住む大学生・吉岡貴を、表向き斎マヤ誘拐監禁事件の重要参考人として、実際は一連の切り裂きピエロ事件の犯人として逮捕する予定で彼の自宅アパートに向かった。
だが、吉岡貴はすでにどこかに逃亡した後だった。彼のタンスからは大道芸人の衣装や何本ものナイフが見つかり、犯行現場近くで捨てられていた衣装の指紋と吉岡貴の指紋が一致したことから捜査本部は切り裂きピエロは吉岡貴と断定して全国に指名手配した。
その翌日、吉岡貴が大学の校舎で首を吊っているところを発見された。
「結局、今回の事件も五年前のミスティック・ドールズ事件との因果関係を証明できずか」
マヤを救出してから三日後、霧生が事後報告のために斎図書館に訪れていた。
「でも、今回のことではいくつかまだまだたくさん疑問があるんだけど」
マヤはいつものように何事もなかったように本を読んでいる。
その向かい側で、ゆかも夏休みの宿題を広げている。
「なに? 疑問って」
「マヤちゃんは犯人の名前から犯行動機まで全部わかったんでしょ? どうして?」
マヤはあいかわらずなんの役に立つのかわからない本を読みながら、
「写真から犯人が陸上選手だということはすぐにわかったわ。しかも、幅跳びか短距離のどちらかということもね」
「ええっ? あれだけの写真で種目までわかったの?」
「人間には癖があるでしょ? 特にスポーツをする人間の体に染みついた癖は、簡単に抜けるものじゃないわ。大きく腕を振るフォームや歩幅が一定で靴の爪先がすりへっていることから短距離走か幅跳びの選手だと思ったのよ」
「警官をまくほどに速いとなれば、国体に出ている可能性も高いってことか」
「さらに、ゆかが遭遇した事件から幅跳びの選手であることは断定できたわ」
「確かに捜査本部でも陸上選手が犯人という意見はあった。でも、国体に出場する陸上選手なんて何百人もいるじゃないか。その中で、なんであの吉岡って男が犯人だとわかったんだい?」
「わたしがその男が犯人だと決め手にしたのは動機よ」
「動機? なんでたったあれだけの資料から動機がわかったの?」
よくわからなくてきょとんとする。
「事件は無差別におこなわれていたわけじゃない。すべて〝若い母親〟を標的にしてたのよ。国体の幅跳び選手の個人情報を洗って、〝五歳の頃に両親が離婚し、その母親がまだ二十代半ばの若い母親だった未成年の男子〟という条件に当てはまったのはひとりしかいなかった」
「どうして、若いお母さんを刺さなくちゃいけないの?」
「ほんとうの犯行動機は、犯人が死んだいまとなってはわからないわ。でも、推察はできる。吉岡って男は五歳の頃に離婚して出ていった母親に憎んでいた。もしくは、母親のいる倖せな家庭に嫉妬していたのかもしれない」
「だからって、関係ないひとたちを襲うなんて!」
「理屈では通じない相手もいるのよ」
ゆかには納得ができなかった。
自分が不幸だからといって、誰かに自分の不幸を押しつけるような真似をするなんて。不幸だったら倖せになるための努力をするべきじゃないのか。
「みんながゆかみたいな人間ならいいのにね」
微笑みかけられ、急に顔が熱くなってしまった。
「えっと、まだわからないことがあるんだけど。マヤちゃんは自分が連れ込まれたところが相模川の小屋だってわかったんでしょ? どうして目隠しされてたのにわかったの?」
「それもそんなに難しいことじゃないわ。道には信号機があるでしょ? 信号機もなくスピードを出し続けることができるのは高速道路だけ」
「でも、なんで首都高から東名高速道路に入ったことまで……」
「首都高は分岐点がいくつもあるでしょ? そのたびに右左に揺さぶられてたら、いま現在地がどこなのかはだいたいわかるわ。それに東名高速に入ってから三十分ぐらいで一般自動車道に降りたから、およそ厚木のあたりにいることはわかってたの。あとはゆかがあたしが見つけてくれたとおり、列車の音や川の音から位置が特定できたわけ」
「ほへえ」
首都圏の道路地図を暗記している上に、およその車の時速も把握していなければできない芸当だ。しかも、電車の通過する感覚から場所を特定したということは、小田急線のダイヤまで頭に入っていないと無理だ。
マヤは車の運転免許も持っていないし、電車もほとんど乗らないのに、それらをすべて暗記していたというのか。まして、自分の命がどうなるかわからない状況で自分の現在地を冷静に分析していたなんて。
「そういえば、そんなことを得意とした探偵がいたね」
霧生はくすくすと楽しげに笑う。
「でも、なんで犯人はマヤくんを殺さずにわざわざ手間をかけて厚木に運んだんだろうね。殺せばもっと楽だったろうに。やっぱり刺す条件からはずれていたからかな」
「霧生さん。そんなこと言わないでください。そんなことどうだっていいじゃないですか。マヤちゃんが無事でほんとうによかったんだから」
「ごめん。刑事という職業柄ついね」
憮然としているゆかを見て、マヤはくすりと笑うと、
「犯人がどうしてあたしを生かしておいたのかわからないわ。ためらいもなく携帯電話ショップの販売員を刺したことからも犯人に良心なんてものはなかった。だから、どうしてわたしを生かして自殺したのかまではわからない。あるいは……」
マヤはささやくような声で続ける。
「誰かがミスティック・ドールズを利用して、あたしになにかをさせようとしてるのかも」
「えっ? なに? なんて言ったの?」
「なんでもないわ」
いつものそっけない口調で、マヤは本に戻っていった。
結局、今回もミスティック・ドールズのこともマヤの背負っている重い過去のこともなにひとつわからなかった。だけど、マヤが無事でいることがただうれしかった。
「いやはや、なににしても今回はほんとうに携帯電話が役に立ってよかったね」
「安物だったから水に濡れて壊れちゃいましたけど」
小屋に監禁されたとき、後ろ手に縛られたマヤの手から携帯電話は水たまりに落ちたらしい。
「でも、今度はだいじょうぶ。今度は水にも強くてGPSも付いているのにするから」
ゆかが強い意気込みで言ったものの、マヤの反応は冷たかった。
「別に。もういらないわ」
「……えっ?」
「もうこれだけあるから」
マヤは床から取り出した紙袋の中味をテーブルに広げた。
それは全部携帯電話だった。いろいろな電話会社のさまざまな機種の携帯電話がずらりとテーブルに並んでいる。テレビ付き携帯電話からシンプルなプッシュボタンしかない携帯電話まで並び、携帯電話の見本市のようだ。
「ええっ? まさか携帯電話をこんなに買ったの?」
マヤは気恥ずかしそうに、
「カタログを見てもどれがいいかわからないから、篠崎に全種類買ってきてもらったの」
はあ、とゆかはなにも言えず、霧生は声を上げて笑った。
「説明書も全部読んだわ。携帯電話っていろいろな機能があるのね」
「こんなにたくさんある説明書をたった三日で全部読んだの?」
「大した量じゃなかったわ」
やっぱりマヤは相当変わっていると思う。
ゆかなんて携帯電話の説明書なんてほとんど読まない。分厚い辞書みたいな説明書を読んでいるだけで頭が痛くなる。だけど、この子には暇つぶし程度の読み物だったことだろう。
「じゃあ、もう携帯電話を使いこなせるんだね? マヤちゃんのメールアドレス教えて」
「それが……」
急にマヤが顔が曇る。どうしたんだろう、と首をかしげていると、
「この画面から動かなくなったの。説明書を何度読んでもわからないの」
それは電話番号を登録する画面だった。画面には〝とおなりゆか〟とひらがなで書かれたまま停まっている。漢字変換をどうすればいいのかわからなかったんだろう。
東京の道路地図や電車のダイヤを憶える暗記力があり、犯人の犯行動機を読み取る洞察力もあるのに、携帯電話の番号を登録することができないだなんて。
だけど、説明書を読みながら、必死に友達の名前を入力しようとしていた女の子の姿を想像すると、つい笑みがこぼれてしまう。
ゆかがくすくすと笑っていると、マヤは顔を真っ赤にしながら、
「なに笑ってるの? あたしとメールしたいんでしょ?」
「もちろんしたいよ。すっごくしたい!」
「だったら、さっさと使い方、教えて」
「はい。いますぐ」
ゆかが声を押し殺して笑っていると、ますますマヤは顔を赤くしてうつむいた。けれど、ゆかが丁寧に教えると、マヤは素直に携帯電話の使い方を憶えようとしていた。
そのたどたどしい姿は十四歳よりもずっと幼く、いつもよりもずっとかわいかった。
やわらかな陽射しが包むこの時間が、いつまでも続けばいいのに。
そう願わずにはいられない午後だった。
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