籠の中の哀鳥
FN
1.
籠の中の
ピピピピピ………
アラームが小さく鳴る。まだ夜も明けて間もない午前5時。雀の声が遠くからかすかに聞こえてきた。
今日は私のいるアイドルグループの一年に一度の「お祭り」、大投票会の本番の日。一年で一番憂鬱な日でもある。
手探りでスマホをたぐり寄せると、森鳥マネージャーからLINEが3件入っていた。今日の迎えにくる時間、収録が始まってからの大まかな段取りの確認、ミツルならいけるよという曖昧な言葉。
私はホテルのベッドから出るのも億劫に思った。ため息を吐いて洗面所へ行き、その生気のない素顔を鏡に写した。今日なのか。明日だったら、いや、昨日だったらいいのに。鏡の前の自分に向かって、かすれた声を絞り出す。
あまり時間を空けず、ベッドのスマートフォンがまた鳴った。森鳥マネージャーだ。
「おはよう」
森鳥マネージャーもあまり寝られていないはずなのに、彼の声は大きくハキハキと、上ずっていた。
「いよいよだね。調子は万全?」
「はい、ばっちりです!」
私も頓狂な声で返す。この変な声は、私の外でのいつもの声。自分ではウグイス嬢ボイスと呼んでいる。
「うん、うん」
森鳥マネージャーは深くうなづいたようだった。その後にLINEで来たものと同じ内容を繰り返した。
「ありがとうございます。がんばります!」
私はそう言って通話を切ると、スマートフォンをベッドに投げた。
ここを出るまでまだ時間がある。私はテレビをつけてみた。最近の忙しさで、じっくり見ることのなかったテレビだ。画面の向こうで好青年なアナウンサーが話している。
「「さあ、注目の国民的アイドルグループ、オセウスの大投票会が今夜、始まります。果たして1位は昨年覇者の島神か、引退決まった鷹部か、富岳テレビでは午後3時より生中継します。お楽しみに!」」
その15秒間が数時間に感じられた。そうか、今日なんだ。まだ実感が湧かない。私はオセウス・グループの200人の一人に過ぎないし、大して注目も浴びていない。なのに何だろうこの胸の締め付けは。それに全然楽しみに思わない。
私は考えれば考えるほど気持ちが沈むことに気づいた。そこで考えるのをやめた。
支度が済んだ頃に、森鳥マネージャーが迎えに来た。
「おぅ、準備は万端みたいだね。裏口にバスが停まっているから、業務用エレベーターで先に降りてってくれ。俺はまだ瑠璃と翡翠も迎えに行かなきゃだから」
森鳥マネージャーは全身がげっそりと痩せていて、まるで禿鷲みたいだった。ここ2年間オセウスの下部の下部とは言え、15人のメンバーのたった一人のマネージャーとして、怖いぐらい動いていた。グループ活動はもちろん、一人一人のソロの仕事も持ってきてくれる。その代償に心身を削っていたことは誰の目に見ても明らかだ。
「ちょっと!早く」
森鳥マネージャーに急かされて、私は足早にエレベーターに乗り、急いでマイクロバスに駆け込んだ。程なくしてエースの二人、瑠璃と翡翠も森鳥マネージャーとやって来て、バスは発車した。
バスの中は複雑な空気だった。お互いに明るく喋ったり、冗談を言ったり、励ましたりするのだが、全体的に重苦しさがあった。
「ねえミツル!何位目指す?」
後ろに座っていたツグミが明るく聞いてきた。ツグミは公私共に「ムードメーカー」で通していて、笑顔を絶やしたことがない。
「えっそれはもちろん……1位?」
「もー。そーじゃなくて、現実的な」
「そしたらー…100位かな」
「おっ……私と同じ!これは勝負だね。勝ったらハーゲンダッツ!」
「えー」
むなしくなる会話だった。去年の大投票会で私は142位、ツグミは129位。知名度もなく実績も少ない。
ほどなくして、バスは会場のアリーナに到着した。外には黒山のような人だかりができている。
「*!!!!***!!!!*****!!」
「ー!ー!ー!ー!」
彼らは何かを必死に掲げたり、口々に叫んだりしていた。
「うわあすごい」
外を見て、ツグミがぽつりと言った。
「まるでからすの群れみたい」
私たちはバスを出て、控え室に誘導された。そこはアリーナの隅っこの、物置みたいなところだった。
いよいよだ。私たちは数時間後、あのカラスの群れの前に引き出されて、お金を積まれた順に泣いたり笑ったりするのだ。
控え室ではボソボソ、あちこちで会話はあるものの、みんな重苦しさは変わらなかった。握手会の時とあまり変わらない。カメラが回っていなければ、笑顔もつくらない。
「オセウスの主メン、はいりまーす!」
廊下に声が響いた。
「ちょっと見てみよ!島神さんとか通るかも」
ツグミが興奮ぎみに席をたつ。
控え室のドアを少し開けて廊下を覗くと、ちょうど主要メンバーの面々が通りかかる所だった。
「あっ、今通ったのが鷹部綾。今回で引退の。そのつぎが、ほらほら、島神小雀さん。やっぱトップエースは、貫禄が違うねえ」
ツグミは興奮しっぱなしだった。もともとツグミはかなりのアイドルファンで、ここに入ったのもそれが理由だった。ツグミの瞳がいつもよりまぶしい。ただ歌と踊りが好きなだけの私は、鷹部さんにも島神さんにもあまり魅力は感じなかった。
「リハ、終わりー!」
12時半に私たちのリハーサルがあわただしく終わった。歌も踊りもなく、ここに座って、呼ばれたらここでにっこり手を降って、ここから退場。いつだったか、お父さんが見ていた甲子園の入場シーンと似ている。
「お客さん、はいりまあす!」
私がステージ袖から出ようとしたちょうどその時、掛け声と共にドッと黒山のような人たちがなだれ込んできた。私は思わず足を止めた。
「うおおおおおおおおお」
「よおおおおおおおおお」
「らあああああああああ」
みんな、前のポジションを取ろうと目の色を変えて迫ってくる。うなり声、地鳴りのような足音、「ハシラナイデクダサーイ」という係員の無力な叫び。
そんな騒然とした音を背に、私は足早にステージを降りた。
「さあ、イヨイヨ始まりましたあ!大投票会!アリーナから生中継でお送りしまあす!!!」
司会のアナウンサーの金切り声と共に、遂に本番が始まった。ここから次々名前が出ていき、最後に残った一人がセントラル・クイーンの称号を手にする。そしてステージの前に出てティアラをもらえるのは20人だけ。それ以下はスポットライトの影すらまともにあたらず、一番最後に20人のはるか後方で歌を歌うふりして終わり。たったそれだけ。
どどどん!
胃の奥に響くような低音のメロディにのせて、ステージ上の特大スクリーンに名前が流れてきた。
199 烏丸 綾美
198 九官 佐代子
197 滝 姫夏
196 工藤 ミツル
あ、私だ。 喜怒哀楽を感じる暇もなく、順位はスクロールされていってしまった。
あーあ、ハーゲンダッツのおごりかあ。いくらだったかな。発表の最中、そんなしょうもないことが頭を駆け巡っていた。
途中、10位位の誰かが号泣して、1位になった島神小雀さんが半べそでスピーチをやった。ツグミは去年と同じ129位だった。
ぐすん、ぐすん、ひぐっ、ひぐっ。
みんなが熱狂、みんなが感動。小雀さんも泣く。瑠璃や翡翠も泣く。ツグミですら泣きそう。私がおかしい?みんな催眠術にかかったみたい。
「さあっ 新女王の島神小雀ちゃんが初めてのセンターを務めます!オセウス全員で、『ダイヤモンド・カッター』です!ぅどうぞ!」
あれよあれよの間に、全員での歌が始まった。
誰も彼も泣いたり感極まったりでゆらゆら、ゆらゆら。お客さんのうなり声がごうごう。
「ピヨピヨーピヨピヨーピッピッピーピー」
「チュンチュンチュン、チュンチュン」
「ほーほー」
「かぁかぁかぁーかぁかぁかぁー!」
きっと客席やテレビには、録音のきれいな歌声が届いていることだろう。でも、ステージの上の私には、みんなの声はやかましい鳥の声そっくりなのだ!
「キョーキョキョキョ」
「ピーピピピピピ」
歌の最中、フォーメーションを変えるときに何度も踏まれ、押された。さながら、巣の中の雛鳥だ。私たちは成人もしていないのにスポットライトのしたでバタバタして搾取される雛鳥だ。私は思わずその場で立ち止まった。
バタバタ バタバタ うわぁ。
籠の中の哀鳥 FN @fujinoshow
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。