揺籃/あるいは若き旅立ち

高良 洲

第1話 センセイとの出会い

「………ッ‼︎」

ああ、やってしまった。とうとうやってしまった。周囲の視線が一気に集まるのを感じる。囁き声もいやに大きく聞こえる。全身が熱くなってきて、うまく考えが纏まらない。早く落とした紙をかき集めたいと思うのに、焦れば焦るほど指がうまく動いてくれずに床を掻く。


なぁに、あの絵?


いやだわ、あんなにはしたない絵をもっているなんて怪しい人なんじゃないの。


わたくしたちのこともいやらしい目でみているのだわ、フケツな人ね!


雑音が僕に突き刺さる。聞きたくないと思うのに、僕の耳は気の利かないことにシャットアウトなんてしてくれない。

とうとう顔もあげられなくなって、俯いて、なんとか残りの紙を掻き集めようと手を伸ばす。

ひときわよく響く声が空気を裂いたのはその時だった。


「キミ、なンだってそんなにコソコソしているんだい」

キミだよ、キミ。顔を上げたまえよ。


声を潜めた話し声よりも明確に僕のことを指している。そんなことはわかっている。どうせ散々に罵られるのだろう。それも簡単に想像がついたけれど、ついに僕は顔を上げてしまった。それだけその声には力があった。堂々とした、断られることなんて微塵も考えていないような力強い声。……僕とは正反対の意思に満ちた瑞々しい声だ。


顔を上げた先にいた人物は想像通りの人物だった。全身で自己という存在を余すことなく主張している。白のダブルスーツに、腰まで流れる長さの揃ったクリーム色の長髪。僕をまっすぐに見つめる黄金の瞳。大理石のように生白い肌の中で唇だけがてらてらと紅い。神経質そうに整った顔はビスクドールのようにも感じられるが、スーツに包まれた白鳥のような長身の手足は小枝のように細く、針金細工を想起させる。どこをとっても個性のかたまりのような人物だった。


「あの…すぐに片付けますから……」

そのような眩しさを持つ人にこれ以上無様な自分を見られたくない。その一心でなんとかそれだけを絞り出す。

けれど、彼がその口から放った言葉は全く予期しないものだった。


「何を言ってるンだろうね、キミは?よく描けているのにどうして隠す必要があるのかわからないな」


心底理由がわからない、といった風に首を傾げる。その動きに合わせて癖のない髪が揺れる。

すると彼を取り巻いていた女性たちの1人がコソリと彼の耳に何事か囁く。彼はそこでやっと得心いったようで、なるほど、と頷く。


「確かにこんな往来で立ち話をするのは迷惑になるね、ついてきたまえ」

それだけいうと彼はスタスタと歩いていってしまう。ついてこないなんて可能性はやっぱり考えてなんかいない様子で。

けれども僕は予想だにしない展開や、少しズレた彼の認識に気をとられてとっさの行動なんてできなかった。第一問題となった紙はまだ床に散らばったままだし。とはいえあの人にはついていきたい。だって初めて自分の趣味を馬鹿にしなかった人なのだ。

もう周囲の目なんてどうでもよかった。ただひたすらにカバンに紙を詰め込むと僕は段々遠ざかっていく彼の背を追った。


ほんとうに彼は僕が追いかけてくることを少しも疑わなかったようで、彼の住居(なのだろう)に着くまで一度も後ろなんて振り返らなかった。


「さて、ここなら誰の邪魔にもならないだろう。キミ先ほどの絵を見せたまえよ」


ドアを開けて中へ入るなりそう切り出される。それぐらいに彼の興味を引いたのだろうか。僕は期待半分、恐れ半分、(いや期待の方が強かったかもしれない。だって彼が僕の絵を拒絶しないことはもうわかっていたから)に先ほどの絵を差し出す。乱雑に詰め込んだせいで角があちこち折れてしまっているのに顔をしかめられてしまったが、すぐに目を輝かせてページを繰る作業に夢中になっていった。お付きの女性が彼の上着を預かろうと所在なさげにしていることにも気づかないぐらいの熱の入れようだった。

彼は案外に表情がよく変わる。最初の能面のような表情と白い肌からは考えられないほどにくるくると表情を載せてみせるし、頬を紅潮させる。僕はそんな子どものような所作にいいようのない好感を覚えた。


全てを読み終わった彼はニコニコとした表情で一頻り僕を褒めた。


「イヤ、すばらしいよキミは!ワタシも女性を仕事に扱っているが、こういった趣向はなかなかに新鮮だ!いい刺激になったよ」


あんまりにもストレートに褒めてくれるものだから僕の方がかえって照れてしまう。


「あの、なんであなたは僕の作品を褒めてくれるんです?今までは人に笑われるか気味悪がられるかしかなかったので、なれなくって」


僕の趣味はウツクシイ人を縛ること、だった。もちろん無理矢理することは好みではないし、縛らせてほしいなんて言えば奇異な目で見られることはわかりきっていたから、早々に絵の世界の中で欲求を満たす方向に切り替えた。もうこれは生まれつきの病と言ってもよくって、ウツクシイ人であれば男でも女でも構わないと思ったし、縛るからにはできるだけその人にふさわしく、ウツクシク縛りたいと思ってきたのだ。それを全て絵にぶつけていたのだから人の反応なんてわかりきっていた。


質問した後でバカなことをきいたな、と思う。舞い上がりすぎていたようだ。


「バカなことをきくな、キミは」

本人にも言われたし。


「キミの作品が笑われるのはキミ自身に恥じらいがあるからだよ。それを周りは面白がってからかうのさ、彼らは自分たちと異なるものを徹底的に排斥しようとするからね」

「だから、自信を持って立っていればいいのさ。その作品の良さはキミが1番よく知っているんだから。怖気付かずに、堂々とね」


彼は女性服のデザイナーとして名を成しているのだという。そんな彼にとってはごくごく当たり前の行動なのだろう。けれど、自分が良しとするからこれは良いもの、とそう信じこめる強さは僕の憧れだった。そうありたい、と強く思った。


「センセイ、と呼ばせてください」

「それ以外にナンと呼ぶつもりだったンだい?」


僕の咄嗟の一言も彼にとっては予想の範疇だったらしい。センセイと弟子、その関係は今の僕と彼を表すのにひどく馴染んでいた。


「奥の部屋が空いているからそこに住むといいよ、キミがその道で名を上げるまで存分に使い込むといいさ」

「いいんですか」

「人畜無害そうなキミが世に自分を知らしめるとき、どんな変化を遂げているのか今から楽しみだよ」


それが僕と彼との関係の始まりだったのだ。

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