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 妙乃はゆったりとした部屋着にくるまって、お気に入りのソファにごろりと横になって、万年筆のペン先を便箋に走らせています。

 さらさらと小川のように淀みなく、紅葉の彩血あやちが文字を連ねて行きます。

「最近、よく手紙を書いてるけど、いつも楽しそうね」

 自分でも気づかない内ににこやかな表情で万年筆を握る妙乃を見て、お母さんが何でもないようにそんなことを言いました。

 そこで、妙乃ははたと止まって、ほっぺの笑窪を摘まんで、むにむにと揉み解します。

 そして疑問の眼差しをお母さんに向けるのです。

「なーに、気付いてなかったの? ほんとに、だめな子ね。ま、楽しんで関わりたいと思う人ができたみたいで、お母さんは一安心よ」

 いつも朗らかで強くて大雑把なお母さんですが、言葉を話せない妙乃の幸せばかりは心配の種だったのです。でも、それも最近は少しだけ軽くなっているみたいです。

 妙乃も、お母さんに安心を与えられているのなら、それは喜ばしいことだと思い、このまま楽しんでいればいいかと軽く考えます。

 その気持ちを最後に書き加えて、テーブルに投げっぱなしにしていた封筒に、三つ折りにした手紙を納めました。

 その封筒を鞄にしまい、簡単に手で払ってスカートの皺を取り、黒髪をバレッタでまとめると、妙乃はお母さんに向けて、ひらひらと手を振ります。

「はい、行ってらっしゃい。また図書館ね?」

 行き先を訊かれて、妙乃ははっきり分かるように、こくん、と頷きました。

 ボーンサンダルで足を包んで、妙乃は意気揚々と玄関を飛び出しました。

 走るのは危ないから、道路は歩いて、でもはやる気持ちに急かされて、足運びはせかせかと。

 その道すがら。

 妙乃の足が緩やかになっていきました。

 ボーンサンダルに包まれた白い足が、駆け足から歩み足へ、そしてやがてゼンマイが切れていく人形のように、ぴたりと止まりました。

 妙乃に足を止めさせた景色が、彼女の愛鏡まなかがみに映っています。

 昨日まで降っていた秋雨の残滓である薄く透明感のある白い雲達が、黄昏の山々へと沈んでいく夕日に焼かれていました。

 夕日に直接焼かれた雲は真白にハレーションして、そこから距離を得るごとに緋色から橙へ、そして紅へ、端には臙脂が続いています。その雲の切れ目には、夕焼け本来の茜が垣間見えて、それはさながら、雲の炉の中を覗き窓から見ているかのようでした。

 妙乃は真ん丸に目を見開き、呼吸も忘れて、その雲と空を焼く夕日の炉に見入ります。

 それは、未言字引にも第一期で収録されていて、店主の作品にも、また他の人達の作品にも、度々出てきた未言で、妙乃がその光景を夢想して憧憬を抱いていた未言なのです。

 妙乃は、胸にうたぐむ思いに駆られて、黄昏の街を走り抜けていきました。

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