出逢い、もしくはとある幻想の伝承

 夏休みに入って一週間が過ぎた八月の始め、子供達が読書感想文のための本を探して手に取り、けれども借りずに返却台に乗せられた大半の図書を、市立図書館の司書である隆文たかふみは、せっせと整理していた。

 ごつごつとした指をした手が、丁寧に本を取り、表紙に傷やページに折れ破れがないか確認してから、背表紙が見えやすいように向きを直す。

 背表紙のラベルに示された分類番号に従って図書は振り分けられ、ある程度が溜まったところで、隆文はワゴンにその図書達を乗せた。

 端の書架から順に周り、本を棚に戻す途中で、順番が入れ替わっているものがあればついでに戻していくことから分かる通り、この男はかなり真面目な性格をしている。

 田舎の図書館で、来館者はぽつぽつとしかおらず、その誰もが自分で本を探して勝手に手に取って席まで持って行っている。

 司書の隆文は、整理作業中に一度も呼ばれることなく、滞りなく一巡を終えた。またカウンターの裏に回り、本の仕分け作業に戻ろうとする。

 ちょうどその時、入り口の自動ドアが開き、一人の女性と共に、蜩とツクツクボウシの合唱、それと外気の熱が入ってきた。

 隆文は音に導かれてそちらを向き、外の景色を歪める陽炎を見止めて、心の中でだけ溜め息をついた。

「いらっしゃいませ」

 来館者に挨拶をしつつ、ワゴンを押す。乗せる本を戻したそれはもう軽いものだ。

 新しい来館者は、真っ直ぐに図書カウンターに向かってきた。

 日傘を肘にかけて、顎から汗を滴らせつつも、気付いていないのか、拭う素振りも見せず、姿勢正しく、水色のワンピースの裾を足で揺らして歩いてくる。

 線は細く、華奢な体つきで、背も低い。色白で、日傘をしていても、肌がほんのりと赤く上気してしまっている。

 隆文も、声を聞いたことはないが見かけたことは何度もある常連だ。午後の昼盛りに来るのだから、その見た目に反して学生というほど幼くはないらしい。

 彼女がその細い指で、図書カウンターの脇にある検索機のタッチパネルを押しているのを、視界の端に見ながら、自分の出る幕はなさそうだと隆文は予定通りにワゴンごとカウンターの裏に戻る。

 隆文が改めて、返却図書の検査に戻ってから、四冊目をワゴンに乗せたところで。

 とんとんっ。

 カウンターが指に叩かれて、呼ばれた。

 隆文が顔を上げてそちらを向くと、先程の女性の細い人差し指が、キーボードを叩く時のような動作をした格好のまま、カウンターに触れていた。

 隆文は、ワゴンを少し避けて通り道を作り、彼女の側に寄る。

「どうかしましたか?」

 隆文が生来の人当たりのいい声で訊くと、彼女はこくんと肯いた。

 そして、万年筆を一本取り出して、検索図書をメモするための裏紙に文字を記す。

 深海の青の闇が、彼女の代弁となった。

『探している言葉があるんです』

 隆文は、同時に二つの疑問に、はてと思った。

 どうして彼女は、口で言わないのか。

 本ではなく、言葉を探すとはどういうことか。

 少しの戸惑いに、記された文字から彼女の顔に視線を移してしまう。きょときょとと不思議そうに瞬きをする瞳端ひとみはのくっきりとした亜麻色の瞳に見詰められて、どきりと心臓が跳ねた。

 それから、彼女は小さな顔に少し角度をつけて、疑問の気持ちを表現する。

 それがまたリスのように可愛らしくて、隆文は咄嗟に言葉を繋いだ。

「どんな言葉を探しているんですか?」

 自分で発音してみて、なおさら、奇妙な気分になった。

 彼女はそれに気づかなかったようで、またさらさらと万年筆をメモに走らせた。

『眠毬という言葉なんです』

 眠毬、という文字を見て、「ねむまり」という読みが隆文の頭に自然と再生された。

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