壊し屋ジャネット
暗闇幸(こう)
Ⅰ
肌を刺すほどの冷たい風が吹き抜ける深夜の街中で、一人の男が息を切らせながら、建物と建物の間の小道を縫うように走っている。しきりに背後を確認しながら、まるで怪物に襲われているかのような形相で、男は恐怖に駆られ走り続ける。男はまだ街灯が設置されている小道を選んでいたが、やがて人も通らないような路地裏へ逃げ始めた。恐らく彼は路地裏から路地裏へと逃げる事で、彼を追いかける何者かが自分を見失ってくれるのではないかと期待したのだろう。その考えこそ、男を追いかける何者かの思う壺だと知らずに。
男が丁度次の小道を選んで曲がろうとした時だった。バンという爆発音とともに男の近くにあった壁に小さな穴が空いた。何者かが発砲してきたのだ。
「ひっ!」
相手が撃ってきたという恐怖から男は悲鳴をあげてもっと複雑な道を選択して逃げようとする。しかし、その選択が命取りであった。
細い道は不法投棄されたゴミやいっぱいになったゴミ箱で歩きにくくなっている。そのような道を走るのだから、なおさら移動しにくいのは当然である。だから、男は道端に設置してあるゴミ箱にぶつかってよろめいてしまった。
バン!
再び発砲音が響き、男は右足に違和感を覚える。銃弾が彼の右足に命中したのだ。皮膚がえぐられ中身が丸見えになった状態の自身の右足を見て、男は何事もなかったかのように走り始める。
さらにまた発砲音がし、今度は男の左肩に命中する。それでも男は撃たれたという事実を無視するように壁の向こう側へと曲がっていった。
やがて小道を抜けると多少広い道に出た。左右に道が分かれており、右手には大きな壁が立ち塞がるため、左の道を選択する。しかし、男の足が止まった。なぜなら既に、彼を追いかけていた何者かが目の前へ迫っていたからだ。その何者かは、さながら死神のように建物の陰から一歩二歩踏み出し姿を現わす。
男は恐怖し尻餅をついた。そのまま後ずさりするが、すぐに大きな壁に背中がぶつかる。ここはどこかのゴミ捨て場だろう。虫の息の街灯がチカチカと照らす場所には真っ黒なゴミ袋が数個置かれている。
数秒間、何者かと男の間には静寂が降りる。そして黒いコートに身を包んだ何者かは、目深に被った黒いフードを片手で脱いだ。
明らかになった相手の素顔を見た男は我が目を疑った。
「女……?」
思わず男は呟いた。
街灯にさらされた女の顔はとても美しかった。月の光を浴びた狼の毛皮を彷彿とさせる銀色のショートヘア。狙った獲物を決して逃さぬ爬虫類のような黄金の瞳。雪よりも白いのではないかと思えるほどの肌。そしてこれまでの氷のような印象から唯一人間らしさを感じる薄紅色の唇。この女の美しさは、まるでそれぞれ専門の職人が合作した芸術作品のようでもある。しかし女はただ美しいだけであり、その表情から人間性は一切感じられない。本当に死神が現れたのではないかと男が錯覚してしまうほどだ。
女はおもむろに内ポケットからタバコの箱を取り出すと、一本咥えてライターで火をつけた。一回胸を膨らませてから深く息を吐くと、すっかり怯えきっている男を見て口を開いた。
「あなた、レオでしょ?」
「え?」
突然名前を確認された男は女の意図がわからず聞き返した。レオの返事が気に入らなかったのか、女は舌打ちして再び質問した。
「居住地セカンドで営業している風俗店で、女性客を相手にしているセックスボーイ。名前はレオ。店でも上位に入る人気で最近はとある女性客と親しくなっている。……あなたの事でしょ?」
「なんで……そんな事知ってるんだよ」
何がなんだかわからない男は女の様子を伺いながら返答した。確かに女の言うことは真実である。だが何故、彼女がそれを知っているのか皆目見当もつかない。それよりも面識のない女が自分の事を詳しく知っているという事実に、より恐怖を感じていた。
「さてね」
言い終わると女はピストルの銃口を真っ直ぐ男に向けるが表情に変化はない。タバコを咥えたまま冷たい視線を向けるだけだ。たとえ死神でもこれから殺す相手を前にして笑みの一つでも浮かべるだろうが、この女にはそれすらないのだ。まるで何をされても表情一つ変えることができない人形のように。
「待ってくれ! どうして俺を殺そうとするんだ!?」
女がレオの言葉を聞いて鼻で笑った。
「知る必要はない」
「あんたは、俺を恨んでいるのか? だから俺を殺そうとするのか?」
「あなたに恨みは微塵もない。まあ、誰かがあなたに死んで欲しいって思ってるんじゃない?」
要領を得ない回答に男が疑問を抱く。
「誰かって……誰だよ」
「さあね」
女は空いている方の手で口に加えていたタバコを持った。
「クライアントの情報をバラすわけがないでしょ」
クライアント。つまり、この女は誰かに依頼されて男を殺そうとしてるのだ。
「なあ頼む。誰に依頼されたか知らないが、見逃してくれ! 俺には愛している人がいるんだ!」
「……は?」
ここで初めて女の表情に変化が見られた。感情の変化があると言うことは、上手いこと話題を変えていけば生き延びることができるかも知れないと男は考え、必死にこの後の会話をひねり出そうとする。
「俺には恋人がいる。ラゼって言うんだ。綺麗な人で俺の大切な人なんだ。明日だって一緒に街へデートしに行くんだぜ。なあ、わかるだろ? お前にだって、愛している人がいるだろ?」
「……」
無言のままの女を見てなんとか機嫌を取ろうと男が矢継ぎ早に言葉を続ける。
「ラゼは……初めて出会ったのは店なんだ。確かに俺は風俗店で女性客相手にセックスをして稼いでいるけど、ラゼは特別な感じがした。ただのお客様という感覚じゃなかったんだ。なんというか、一目惚れだった。それで──」
「下らない」
「え?」
女が指先に力を加えるのと火薬が爆ぜる音がしたのはほど同時だった。銃口から発射された弾丸は男の額から入り、後頭部を貫通して見事な風穴を空けた。しかし男の額から飛び出すはずの鮮血はなく、代わりに飛び散ったのは白いプラスチックの塊と、鈍く光る鉄製の歯車だ。
「恋人? 一目惚れ? そんな感情が、アンドロイドにあると思ってるの?」
「あ……デ、コロサ……ないデ──」
額を撃ち抜かれた男は口をワナワナと震えさせながらもジャネットへ向かって這ってくる。その姿を冷めた目で見ながら女は続けて二発の弾丸を、先ほどと同じ箇所──額へ向けて撃ち込む。弾は二発とも男の顔面の左半分にヒットし、彼の顔半分を破壊した。さらに飛び散るプラスチックと鉄の間から、半壊し内部が丸見えになった男の顔が見える。そして男はようやく倒れた。
女は銃を下げると倒れた男に近づき顔を覗き込む。
まだ活動できるなら、指揮命令を司る制御部が動作しアンドロイドの体を動かそうとするだろう。だがアンドロイドがピクリとも動かないところを見ると、女の撃った弾はアンドロイドの制御部を破壊したようだ。基本的に制御部は頭部に設置するようにアンドロイド製造法は定められている。つまりアンドロイドは腕を潰されようが足を引きちぎられようが、胴体を破壊されようが体の中身をばら撒かれようが、頭の中にある制御部が無事なら活動を続けることができるのだ。
よく見れば、プラスチック製のフレームはまるで人骨のようで、鉄でできた部品は筋肉のように見えただろう。だがそのように錯覚してしまう要因は相手が人間と同じ外見をしているという一点だけだ。たとえこの男がどれほど人間と同じように振る舞い、言葉を発し、感情をあらわにしようとも、所詮は人工的に作られた偽物にすぎないのだ。だから女の表情に変化はなかった。彼女は人間を殺したわけではなく、人間そっくりに作られた人形を破壊しただけだから。
念のため女はアンドロイドの頭をつま先で軽く蹴り、動かないことを確認すると右耳を覆うように手を置いた。彼女の右手首には腕輪がついている。これは小型の携帯端末で、通話は勿論のこと、多種多様な機能が備え付けられている。このブレスレットで通話をする際は、通話中であることを他人に示すため、片方の耳を塞ぐようにするのが常識である。
通話はすぐに繋がった。
「もしもしフラヴィ? 私だけど」
「ジャネットか。ターゲットを殺ったのか?」
「うん、アンドロイド・レオの破壊を確認した」
「了解だ。依頼人には私から連絡しておこう。お前はまっすぐ帰ってきてくれ」
「うん、わかった」
手短に通話を終えるとジャネットはアンドロイドの死体に背を向け、ピストルをホルスターへしまったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
アンドロイド・レオを破壊したジャネットが向かった先は、彼女の勤め先であり家でもあるフラヴィ・アンドロイド相談事務所だ。アンドロイド相談事務所と名売っているが、その実態は先ほどジャネットが証明したとおり、アンドロイドの破壊が主な仕事だ。とあるアンドロイドを破壊してほしいという内容の依頼をジャネットの雇い主であるフラヴィが受け付け、社員であるジャネットがアンドロイドを破壊する。人を殺して生活するのが殺し屋なら、アンドロイドを破壊して生活するジャネット達は壊し屋ということになるだろう。
事務所に帰ってきたジャネットが指紋認証と虹彩認証を複合させたセキュリティドアを開けて中に入る。扉の先はすぐに部屋と連結してあり、そこが事務室である。
事務室に入ったジャネットを部屋の奥で気怠そうに座る一人の女性が出迎える。
「ただいまフラヴィ」
「おかえりジャネット。ご苦労様」
社長椅子にふんぞり返るように座っているこの女性こそ、ジャネットの雇い主であるフラヴィだ。
大人の雰囲気を放つドレッドワインカラーのポニーテールに、空色のつり上がった瞳。胸元まではだけたシャツの間にある深い谷間は見る者の視線を吸い込ませるだろう。腰まで伸びたポニーテールを左右に揺らしながらフラヴィは天井を仰いでいる。
「依頼主には知らせたの?」
深夜二時を指す壁掛け時計を親指で指し示しながらジャネットが尋ねる。フラヴィはジャネットの姿を見た。
「勿論だ。と言っても今頃は夢の中だろうさ。まあ金は貰ってあるし今日の仕事は終わりだ」
そう、と返事をしてジャネットが質問する。
「そういえば依頼人とレオってどういう関係なんだっけ?」
「ん? 話してなかったか?」
「聞いてなかったかも。簡単そうな仕事だったから、レオの情報だけしか頭に入れてないし」
その情報にレオに恋人がいるという内容は含まれていなかったらしい。
ジャネットは黒コートを適当に放り投げるとソファーに倒れるように寝っ転がった。
「依頼人には娘がいて、その娘はレオと恋仲だったんだ」
「確か名前はラゼって言うんだっけ?」
「その通りだ。ラゼは親の金を使って風俗に入り浸り、その店でレオと特別な関係になったそうだ。やがてプライベートでも頻繁に会うようになる二人の関係を危惧した父親が、ウチに依頼をしてきたってわけだ」
フラヴィの説明を聞いたジャネットはしばらく天井を見つめた後、寝返りを打ってフラヴィの方へ体をひねった。
「ねえ、人間がアンドロイドに恋をするなんてあり得る話なの?」
「ない……と断言したいところだが、実際は増えてきている。アンドロイドは人間に対して従順な人形だからな。人間を相手にするよりよっぽど楽なんだよ。どんな時でも自分を受け入れて甘やかしてくれるなら、そのうち恋が芽生えてゆくゆくは生涯のパートナーにしようと考えるんだろうさ」
「フラヴィも似たような経験があるの?」
「ハッ! まさか!」
ジャネットの問いかけにフラヴィは鼻で笑った。そして少し考える仕草をすると、不意に机の引き出しを漁り始めた。何をしているのかとジャネットが見つめていると、フラヴィはハサミを取り出してジャネットへ見せた。
「なあジャネット。お前はこれとセックスできるか?」
「……は?」
唐突に何を言い出したのかと首を傾げるジャネットの反応を見てフラヴィはウンウンと頷いた。
「そうだ。誰もがそういう反応をするだろう。ハサミとセックスするなんて不可能だし、気色悪いだけだ。いいかジャネット。アンドロイドは道具だ。少しばかり賢くて、言葉を喋ることができるが、その本質はこのハサミと大差ない。人間のために使われて、古くなったら捨てられる運命さ。そこを区別できない奴が多いから、今回みたいな依頼が舞い込んで来るんだ」
アンドロイドが普及して六七年の月日が経過した第三世代二年目現在(西暦では二一三七年だが、ヴォレヴィルでは西暦という呼び方をしない)。人々のアンドロイドに対する意識は大きく変化したと言える。初めは人間のサポート係として生産されていた彼らだったが、その有用性が証明されると、次第にアンドロイドが担う範囲は広くなっていった。それこそ細々とした事務作業──何かを検索する、メモを書く、電話に出る、お茶を出す等──から本格的に何らかの業務を行わせたりなど。今では人の代わりにアンドロイドが仕事を行い、人の仕事はアンドロイドの設計や保守といったアンドロイドの製造の根幹に関わる部分が大半になったのだ。
そうして出来上がった今の社会においてアンドロイドの立ち位置は非常に重要な問題になっている。特に、アンドロイドは人間であると主張するアンドロイド保護団体が設立されるのは時間の問題だっただろう。対照的に、フラヴィのようにアンドロイドは道具だと主張する人々もまだまだ多い。両者は相入れない価値観を認め合うことができず常に対立している。ちなみにジャネットの考え方は、後者のアンドロイドを道具だと考える方である。そもそもアンドロイドを破壊する仕事をしているのだ。当然と言えるだろう。
眠気が来たのかジャネットは大きなあくびをするとソファから立ち上がった。
「シャワー浴びて寝る」
「ああ、おやすみジャネット」
フラヴィ・アンドロイド相談事務所はもともとシェアハウス用の家を改築してできている。一階部分を事務室にし、部屋の奥にある螺旋階段から二階に上がると、それぞれ個室があるという具合だ。そのためバスルームやトイレは一階にある。
ジャネットはバスルームへ入るとテキパキと服を洗濯機の中へ入れてシャワーを浴び始めた。蛇口をひねって熱いシャワーを頭から浴びながら、ジャネットは先ほど破壊したアンドロイド・レオの事を思い出す。
レオははっきりと恋人がいると言ったがジャネットはその言葉を否定した。それは当然だ。先程フラヴィは人間がアンドロイドに恋をする可能性はあると言っていたが、ジャネットはアンドロイドが人間に恋をする可能性はないと思っているからだ。
事実、そうなのだろう。アンドロイドは外見だけでなく行動も人間そっくりにプログラムされている。しかし彼らの行動はすべてプログラムされたもの、つまり人工的に作り出された人間のモノマネに過ぎないのだ。
アンドロイドが音楽を聴いて心地よいと感じるだろうか? あるいは食べ物を食べて美味しいと感じるだろうか? もしくは働き詰めて疲れたと感じるだろうか?
否、感じるはずがない。なぜなら、そこには人間と決定的に異なる物があるからだ。
それは心だ。
なにか見て、聞いて、感情に変化を起こすためには心が必要だ。心がなければ行動に温かみはなく、ただ論理的に活動するだけの、まさしく機械になってしまう。アンドロイドに心があると錯覚してしまうのは、人間がそうであると一方的に認識してしまうのが原因だ。
シャワーを浴び終えたジャネットが体をタオルで拭くと髪を乾かし、全裸のまま自室へと移動する。途中、「服くらい着ろよ」というフラヴィの言葉を無視した。
自室へ入ったジャネットはそのまま倒れこむようにベッドに横になった。そして瞼を閉じながらアンドロイド・レオを撃った時の事を思い出す。
彼の機械仕掛けの瞳が、ジャネットを見つめる気がしてならない。まるで、なぜ俺を殺したんだと問いかけてくるようだ。だから彼女はいつもの言葉を胸の中でつぶやく。
──私は、アンドロイドを破壊したんだ。
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