25 それは聖杯だった

それは聖杯だった 1

 夏は服の乾きが早い。あれだけ頭の上からずぶ濡れだったのに、髪も含めてすっかり乾燥していた。靴だけがまだ重たかった。


 昼下がり。僕はマリーを連れ、通い慣れたマンションの一室の前にいた。

 ドアを開けたエマさんに、今日は友達を連れてきました、と彼女を紹介した。


「初めまして。マリーといいます」彼女が折りめ正しくあいさつする。

「あなたがクコの話していたお友達ね。さあさ、あがって」にこやかにエマさんはうながした。


「クコはいつもの紅茶ね」ダイニングに通され、エマさんがキッチン台の前に立った。「マリー、あなたは紅茶派? それともコーヒー派?」


 私も紅茶を、と彼女が答える。僕がテーブルに着かなかったため彼女も立ちつくした。

 僕は深呼吸をして、エマさんの背中に問いかけた。


?」


 エマさんが、ごくゆっくりとこちらを振り返った。

 穏やかな笑顔で目をしばたたく。「どうしてそんなことを聞くの?」


 僕は眼前の小柄な年輩者を見すえた。彼女はもの怖じせず笑みを絶やさない。


「あなたは強すぎたんです」ぼくはゆっくりとかぶりを振る。


「家でコンピューター相手にチェスを指すとき、余興で、人間ではありえないほどレーティングを上げて対局することがあります。生身の人間の思考力ではとても勝ち目のないレベル。そのときの感覚にエマさんの指し筋は似ていました。まったく無駄のない、チェックメイトまで最短手数の完璧なチェス」


 指摘しながら、彼女が盤上を支配するさまを思い出していた。


「前から違和感はあったんです。今日遭遇したある事件を通して確信しました。あなたは

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る