空から降る少女
強い光の奔流は太い直線を
それは一度、東の林の中に打ち付けられ、木々を薙ぎ倒し、大きな火の手を上げた後に、その先端を徐々に東へと移していった。レヴァロンの方向、そして、その更に向こう側へと。その想像を絶する光の奔流が、空を切り裂いた。
西の空を見上げる。間違いない。
巨大な光を撃ち放っているのは、その空中要塞だった。
前方に放つ
――ドゥゴゴゴゴゥォーーン!
何の音かさえも分からない爆音が鳴り響く。
僕とエリシア姉さんの周りを包む空気が激しく振動を始める。エリシア姉さんの腰の下で草の絨毯は吹き飛ばされて、根本から切られた草の茎と、茶褐色の土の表面が露出する。
僕は顔を覆っていた両腕をようやく
見上げると、空中要塞は何事も無かったような顔で、変わらず空に浮かんでいる。そして、僕らの頭上、さらに東へと、ゆっくりと進路を取り続けていた。
東の林からは火の手が上がっている。そして、その向こう側、レヴァロンの方角からも煙がモクモクと立ち昇っているのが見える。
(村が燃えているのだろうか?)
さっきの光の奔流がレヴァロンを直撃したのかもしれない。もしそうなら、村は大変なことになっているに違いない。
僕は切り株から立ち上がり、周囲を見渡す。動物的な直感で危機を感じたのか、ロバたちは南へ西へと散り散りに走り去っていた。唯一、エリシア姉さんの乗っていたロバだけが、主人に忠実であろうとしたのか、僕らの隣に辛抱強く佇んでいた。
「今の……何なの? エリシア姉さん?」
僕が呟くと、エリシア姉さんはフルフルと左右に首を揺らす。分からないのだ。
それはそうだ。エリシア姉さんが僕より年上だといっても、たった一つ年上なだけ。僕と姉はこの村でこれまでの人生のほとんどを一緒に暮らしてきた。だから、エリシア姉さんがこんな光の奔流を見たこと有るはずがないし、知るはずもない。
今のは黒魔法なのだろうか? しかし、そもそも帝国には魔法使い自体の数が少ないと聞く。それなのに今の魔法には街の一つや二つを吹き飛ばす破壊力があった。フローレンス王国でさえ、そんな黒魔法を操れるのは、王族や王都ラクシュタインで王に仕える最高位の王宮魔道士くらいなのではないだろうか。
「物凄く大きな光の放出だったけど……。やっぱり、あれ……黒魔法よね?」
エリシアが僕の顔を怯えた瞳で覗き込む。僕はコクリと頷いた。分からないけれど、黒魔法以外には考えられない。衝突したものを吹き飛ばしたり燃やしたりする巨大な光を放つ方法。僕は魔法以外にそれを実現する術を知らない。
「でも、今みたいな光の奔流を生み出す黒魔法なんて知っている?
彼女は顎に親指をつけて、学校の教科書にも載っている通常系列の黒魔法名を列挙する。僕よりも一年長く生きる彼女でも、今みたいな巨大な光の奔流は見たことがないのだろう。でも、僕には少しだけ思い当たる黒魔法の名前があった。
「――
「……なにそれ? 黒魔法?」
首を傾げるエリシア姉さんに僕はコクリと頷いた。
それは、決して多くのフローレンス王国民に発現する黒魔法ではない。王侯貴族などに稀に発現する特殊系列の魔法ではなくて、通常系列の黒魔法ではあるものの、かなりの希少種だ。だから、エリシア姉さんも見たことが無かったのかもしれない。
でも、僕は昔、何度かその発動を見たことがあった。僕が見た
「――
エリシア姉さんは、唇でその音列をなぞる。その魔法名を自らの記憶に刻み込むように。そして、彼女はブルッと一つ体を震わせた。反射的に両手で両腕を抱え込み、身震いする体を抑えつける少女。恐怖が遅ればせながらやってきたのだ。
空中要塞は頭上に迫っている。
僕は東を望む。地上が焼け野原になり、東のレヴァロンの方角から火の手が上がっている。それは空中要塞の咆哮によって変わってしまった世界の、紛れもない現実だった。立ち竦む僕らの視界にその光景が飛び込んでくる。
「……私、村に戻るわ」
大切なことを決意したように、自分に言い聞かせるように、エリシア姉さんは眉を寄せて一つ頷いた。村が燃えているならば、負傷者も居るだろう。それならば、エリシア姉さんの
僕は「わかった」と頷いた。
ロバの世話は僕一人でも大丈夫だ。でも、僕に負傷者を癒やすことは出来ない。
「きっと、さっきの
僕の言葉に、エリシア姉さんは頷いた。そして「ごめんね! よろしく」と呟くと、僕の後ろを回ってロバの背中へと登った。
僕は別に構わない。何の役にも立たないような白魔法しか使えない出来損ないの
役割を果たすよ。
「きっと村では姉さんの
ロバに騎乗した少女がコクリと頷く。僕がロバのお尻を叩くと、そいつはいつも通りの鳴き声を上げながらレヴァロンへの道を歩き始めた。彼女を乗せて。やがて、そのロバは小走りに駆け出した。
ナジェール山脈の麓、丘の上で僕は一人っきりになった。そうこうしている内に、帝国の空中要塞は僕の頭上にまで迫っている。草原の上に大きな影が広がり、その影は僕の姿も飲み込んでいく。空は空中要塞に覆われた。
とても手の届かない高度。下面には岩肌や金属、宝石のような輝きを持った石が剥き出しで光る、空に浮かぶ岩の塊。それは、やはり異様な光景だった。
――ゴゴゴゴッ、ゴゴゴゴッ
丘の下から吹いていた自然の風が、空中要塞が引き摺る空気によって巻き起こされる乱気流に変わる。僕は打ち付ける風を防ぐように、両腕で顔を覆った。見上げれば空を覆うのは太陽の光ではなく、日の光を遮るように浮かぶ空中要塞の大きな腹。僕の頭の上を空中要塞が通過する。それは、世界の終わり、もしくは、時間の分岐点。
やおら、見上げた岩肌の表面に、小さな白い点が浮かぶのが見えた。そして、それは徐々に大きくなってる。一瞬、岩肌に何かが付着しているのかと思ったが、そうではなかった。空中要塞から、何か白い物体が落ちてきているのだ。
(――何だろう?)
落下する白い物体が高度を下げるにつれ、僕にもその形が視認できるようになってくる。はじめは空中要塞から欠けて落下を始めた部品か何かかと思ったけれど、それが誤解だということに僕は直ぐに気付いた。
(女の子!?)
それは、体を覆った白い外套を風で激しくはためかせながら落下してくる少女だった。空中要塞も初めてだけど、空から少女が降ってくるのも生まれて初めてだ。
でも、そんなことを悠長に考えている場合ではない。もの凄い勢いで落下してくる少女を視界に捉えると、僕は吸い込まれるように、足を一歩、一歩と前に踏み出した。
僕の瞳は落下する彼女に吸い寄せられて、僕の意識はその運命の重力に引き込まれていく。そしてまた、もう一歩、僕は足を踏み出した。
(……助けなきゃ!)
空から少女が降ってくる。
空中要塞の下、乱気流が吹き荒れる中で、僕は土を蹴って猛然と駆け出した。無我夢中で。
その落下点に向かって。足はもつれそうになりながら、地面の草花を踏みつける。
少女はまっすぐに地面へと落下する。落下地点はもう少し先、僕は前のめりになりながらも地面を蹴り続けた。間に合え、間に合え、届け、届けと。そして、きっと僕が彼女を受け止める。
右手のひらを前に開き、僕は自分が使える唯一の白魔法の詠唱に入った。
「――神よあまねく物体を浮かび上がらせる不可視の障壁を与え給え……『
手のひらから
(届け! 届いてくれ!)
放出された
でも、今は少女を助けられる可能性をこの白魔法がくれるのならば、僕がこの白魔法のせいで味わってきた苦しみだって少しは報われる気がするんだ。
僕は精一杯、手を伸ばした。
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