空中要塞と波動砲

 ――おい、何だ……あれ?


 レオンが西の方角、ナジェール山脈の山頂を指差して困惑の言葉を漏らす。

 レヴァロンの西に連なるナジェール山脈は、僕らの住むフローレンス王国とルーベリック帝国の間を走る、自然の国境線だ。そびえ立つ山々は、王国を守る城壁に喩えられる。実際に、両国の軍隊がこの山を超えるのは容易ではなく、ナジェール山脈は両国間に安定した軍事的境界線の役割を果たしてきた。


 僕とエリシア姉さんもレオンの指先を追うように、西の空に目を遣った。そこにはいつも通りの背の高いナジェール山脈の山々があるはずだった。しかし、僕の目に映るのは違和感のある姿だった。その山の一つが、なんだかいつもより高く見えるのだ。


「何? あれ……?」

 エリシアも同じ場所に視線を止めて眉をひそめる。さっき恋人レオンの非礼を詫びた際の眉の印象とは違う、本当に怪訝そうにひそめられた眉だった。

 山のいただきが徐々にせり上がってきている。その頂きは緑の木々に覆われた見慣れたいつもの姿ではなかった。迫り上がるその上半分には宮殿のような建物が立ち、その下半分は岩肌を剥き出していた。下部の岩肌には、ところどころ金属や宝石で作られたような光沢のある構造物が顔を出している。

 それは上昇を続け、そして、今やその岩肌は、ナジェール山脈の山肌に群生する木々のに見えていた。宮殿を乗せた巨大な塊とナジェールの山の間には徐々に間隙が生まれている。今やその岩肌の下に青い空を見出すことすら出来る。

 その岩肌と宮殿は、山の一部だったのではない。それは空に浮かんでいたのだ。


「……城が……浮かんでいる!?」

 レオンが愕然として立ち上がる。僕も思わず切り株の上で息を飲んだ。

 エリシア姉さんは状況が分からないと言わんばかりに、すがるような目をレオンと僕へと交互に向ける。

 少しずつ大きくなってくるその異形に、僕らはただただ圧倒された。


「何なのあれ? なんでお城が浮かんでいるの? 地面ごと浮かんでいるの?」

 自分の見ているものが幻影ではないことを、お互いに確認しあうためだけにエリシア姉さんは僕らに囁く。彼女の言葉に微かな震えが混じる。

 エリシア姉さんは疑問符を浮かべながら、現実感の無いその巨体に目を細めた。僕もそれから視線を外すことが出来ない。レオンもだ。


 ――ゴゴゴゴッ、ゴゴゴゴッ


 それは確かに空飛ぶ要塞だった。


 ルーベリック帝国の方角から現れたそれは、ナジェール山脈という自然の城壁を易易やすやすと飛び越える。それが何なのか、何を意味するのか、僕にはさっぱり分からない。ただ、嫌な予感だけは抑えきれずに沸き上がってくるのだ。


 徐々に大きくなるその塊。その異形から発せられる振動音が、耳に届くようになり、不自然な風も強くなる。周囲では恐怖に駆られたロバたちが、口々に不安げな鳴き声を上げ始めた。


「――帝国の

 僕がポツリと漏らした言葉に、レオンとエリシア姉さんが振り返る。

 お互いに顔を合わせて、僕らはゴクリと唾を飲み込んだ。


 僕らは空に浮かぶ巨大な建造物を呆然と眺める。周囲の空気を振動させながら、その巨体はじわりじわりと前進する。大きな陰影を引きずりながら、その暗闇で山肌を、森を、草原を黒く塗り潰していく。


「帝国の空中要塞だと?」

 レオンは立ち、微かに震える。驚きに目が開かれているが、それは恐れているというよりも、非日常に興奮している表情だった。武者震いだろうか。


「カイトは何か知っているの? あれは本当にルーベリック帝国の物なの?」

 エリシアが草の絨毯から腰を上げて、僕の方を覗き込むが、僕は急いで首を左右に振った。


「知るわけないよ……。でも、ナジェール山脈の向こうから飛んできたんだし。……やっぱり、普通に考えたらルーベリック帝国の物なんじゃないかな?」

 僕は極力、落ち着いてエリシア姉さんの疑問に答える。


「帝国の……新兵器ってところかな」

 レオンが言葉はまるで舌舐めずりだ。レオンには、どこかいつも挑戦的で、戦いを好む一面がある。しかし、もし、本当にあの空に浮かぶ要塞が、帝国の意のままに動く新兵器なのであれば、それは……とんでもないことだ。


 あんな、見たことがない。


 学校で学んだ教科書にも載っていなかった。一体、あれだけ大きな構造物を空中に浮かべるのに、どれだけの魔力マナが必要なのだろうか。浮遊レヴィテートの魔法とて、地味ではあるが魔力マナの消費量が少ないわけではない。あれだけの巨体を浮遊レヴィテートの魔法で浮かべ続けているとするならば、一体何人の白魔術師が、どれだけの魔力マナを用い続けているのだろうか。僕にはまるで検討がつかなかった。

 それでも、その空中要塞は、現に僕らの目の前を飛んでいるのだ。そして、それは徐々に山の頂上を離れ、草原へと、僕らの方へと向かってきている。


「新兵器って……? フローレンス王国と、ルーベリック帝国は不可侵条約を結んでいるはずでしょう? 神のご加護と恵みの下に。学校でもそう習ったわよ?」

「それはそうだけどさ、エリシア。でも、飛んできてるじゃないか。じゃあ、あれは何なんだよ……?」

 エリシア姉さんの戸惑いに、レオンはただ目の前の現実をぶつけた。


 しかし、エリシア姉さんの言うことも正しいのだ。

 僕らの国、フローレンス王国と、西隣りのルーベリック帝国はお互いに軍事行動を起こさないことを約束した『不可侵条約』を結んでいるのだ。そして、その神のご加護と恵みの下の不可侵条約の維持のために、城塞都市エルドラ以西の民、つまり、レヴァロンも含まれる村々の民は、継続的な負担を強いられてもきたのだ。

 その甲斐もあって、ルーベリック帝国とフローレンス王国の間の戦争は五十年以上に渡って回避されてきた。フローレンス王国はナジェール山脈を自然の盾に、そして、不可侵条約を外交の盾として西方の安定を得てきたのだ。

 その西方の安定を前提として、フローレンス王国は、北方のノルド領域に住む蛮族に対して軍事力による国土の防衛、または、国土の拡張を図ってきたのだ。それは学校で必ず教わる基本的な知識だった。


「不可侵条約が破られるはずはないよ。僕らは神のご加護と恵みのをおろそかにしたことはないんだから!」

 そうだ。そんなことがあるはずはない。もし、そんなことがあったらセーラの、僕の妹の犠牲が浮かばれない。


「じゃあ、あれは何だって言うんだよ?」

 レオンが指差す西方の空には巨大な異形が浮遊し続ける。


「……分からない」

 膝に突いた両肘の上で僕は自分の口を両手で押さえて考えるが、本当に分からないのだ。


 レオンはさっき丘を上ってきたロバの手綱を掴むと、軽やかに地面を蹴ってロバへと飛び乗った。そのロバは驚いたように鳴き声を上げる。そして、レオンはロバに跨がると、その手綱を強く引いた。

「俺は急いで村に戻る! 村の皆に知らせないと危ないかもしれないからなっ! 最悪、戦争が始まるんだろ? じゃあ、一番に犠牲になるのはレヴァロンじゃないか!」

「レオン!」

 エリシア姉さんがロバの上の恋人に向かって手を伸ばす。しかし、その手は空を掴んだ。


「先に行くぜ。お前たちは後から残りのロバを連れてきてくれっ!」

 レオンはエリシア姉さんに一瞥を投げると、自信ありげにニヤリと笑みを浮かべ、両手で手綱を引き、ロバの腹を足で蹴った。ロバが一つ鳴き声を上げる。そして、レオンを乗せたロバは僕達を残して草原を東へと駆け出した。

 

「エリシア姉さん?」

 僕は右手を伸ばしたままのエリシア姉さんに声を掛ける。姉は苦笑いを浮かべていた。

「なんで一人で行っちゃうんだろうね? 残った仕事を、彼女とその弟に全部丸投げっていうのも、どうなのかしら……?」

「……非常事態だしね。僕は構わないよ。それに、本当に帝国の兵隊が村を襲ってきたりしたら、僕に出来ることなんてほとんど無いし……」

 僕の白魔法は、戦闘では役に立たない。男のくせに剣術だってレオンの足元にも及ばない。僕はレオンみたいに皆の役に立てるような人間ではないのだ。彼はレヴァロンの神童で、僕はただの村の少年。しかも、男女おとこおんなの白魔法使い。

 せめてレオンの足を引っ張らないようにしながら、彼が放り出した仕事を肩代わりして、草原に残されたロバをエリシア姉さんと見守ることが、僕の役割なのだろう。


 空を見上げると、不気味な空中要塞は這うように少しずつ、少しずつこちら側へと近付いてきていた。その方角は、レヴァロンの村。そして、その遥か先には、城塞都市エルドラ、そして、王都ラクシュタイン。一直線の先に目を遣れば、その遥か先には、たった一本の天上へと繋がる無限の高さの白い塔――神の塔ソラリスそびえて見えた。


 ――ドゥゴゥン!


 その瞬間、閃光がほとばしった。

 

「何っ!? なんなの?」

「うわっ!」


 丘の下から激しい風が吹き上がり、草葉が舞い上がる。頬に砂塵を含んだ突風が叩きつけられて、僕は思わず両腕で顔を覆った。

 顔を覆う両腕の間、薄っすらと開いたまぶたからは閃光に燃やされる空が見えた。


 さっきまで青かった秋空を、光の波動が真っ二つに引き裂いていた。

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