5話 逆鱗
「たっくん‼ 一緒に帰ろう‼」
達也はその言葉に目を覚ます。
けれど声の主がカナリアだと知ると露骨に嫌そうな顔を浮かべた。
その達也の表情にカナリアはわかりやすく落ち込む。
「ちょ、 ちょっと‼ そんな顔しないでよ‼ たっくんには女の子を労る心はないの!?」
「達也にそんな事期待したって無駄よ。 何せ私からの告白の事についても今朝まで忘れていたような人なのだから。 まあそれでも私は構わないのだけれど」
何処か勝ち誇った様子の雪乃が二人の前に現れる。
カナリアは雪乃を見た瞬間表情が一変し、 先ほどまでは楽しそうに笑顔を浮かべていたのにも関わらず、 今は頬を膨らませ不満げな様子であった。
「私だってそれぐらいの事じゃ気にしません‼ それよりも貴方は一体何なんですか‼ 私とたっくんの仲を邪魔してそんなに楽しいんですか‼」
「邪魔するも何も元々達也は、 私の物よ」
「たっくんは物じゃありません‼」
「あげあしをとらないでくれるかしら? 学年三位のカナリアさん?」
ーこのままだと不味いな……
先程と同じことを起こすまいと険悪な雰囲気を作っている二人の元に翔がのらりくらりと入る。
「……斎藤君。 邪魔しないで」
「あら随分器が小さいんですね」
「……なんですって?」
「まあまあお二人さん。 ここは落ち着いて。 それとも二人は達也に迷惑をかけても構わないと思っているのか?」
その言葉の効果は絶大であった。
先程までは、 互いに食って掛かりそうな勢いであったにも関わらず、 今はなりを潜めていた。
翔は、 そんな二人に安堵しつつも本来ならば二人を止めなければならない立場であるはずの達也の事を恨めし気に見る。
達也も流石に罪悪感を抱いたのか目は逸らしはしているが翔に向かって、 ぽつりと謝罪の言葉を口にする。
「……それでたっくんは今日誰と一緒に帰るんですか?」
「もちろん私よね達也?」
二人の視線が再び達也に集まる。
正直達也は帰る相手などどうでもよかった。
なので適当に翔とでも言ってその会話を打ち切ろうとするが周りの視線がいつの間にか達也に集中しており、 その視線からは達也に半端な答えは許さないと言った無言の圧力が感じられた。
そんなクラスメイト達の余計なお節介に達也は、 溜まらず舌打ちをする。
「……雪乃」
-これで満足か?
達也は、 死んだような目で周りの人間の事を見る。
そんな達也とは対照的に雪乃は、 幸せそうな表情をしていた。
一方カナリアは地面に項垂れ、 まるでこの世の終わりともいわんばかりの様子であった。
「お前……それはいくら何でもカナリアさんが可愛そうじゃないか?」
意外なことに翔は、 達也の答えに不服そうな表情を示した。
達也は、 唯いつも一緒に帰っている相手を選んだだけなのにそこを非難されるとは、 流石に思わなかったのか口を不満げに尖らせる。
「……じゃあどうすればいいんだよ?」
「普通に皆で一緒に帰るという選択肢があるだろうが……」
「……確かに」
「だろう? それにカナリアさんはお前の事を思って日本にまでわざわざ来てくれたんだろう? そんな相手を蔑ろにするのはいくら何でも酷いだろう」
翔の正論ともいえる言葉に達也は、 何も言えなくなる。
けれど達也とてカナリアと一緒に帰りたくない理由があるのだ。
それを翔は、 知らない。 だからこそこのような事を言うのは達也も理解はしている。
だが頭で理解はできても達也は、 彼女が自身の地雷ともいえる言葉に触れる前に早くその場を後にしたかった。
「いえ……今日はたっくんに一杯迷惑もかけた事ですし、 今回は諦めることにします……」
「ええ、 そうしなさい」
「クッ……いちいち癪に障る言い方をしますね……」
カナリアは苦虫をすりつぶしたような顔をする。
雪乃は、 そんなカナリアの様子を見るのがとても楽しく高笑いしたい気分であったほどだ。
だが次の瞬間、 その表情は一片することとなる。
「そう言えば達也君。 その……椿ちゃんは、 今も元気ですか……?」
その言葉を聞いた瞬間達也の体は、 カナリアの顔目掛けて全力の一撃を放っていた。
達也の体からは、 隠し切れないほどの殺意が滲み出ており、 その殺意はクラス中の人間を一瞬のうちに恐怖で支配し、 体を硬直させた。
その中には、 学年二位の運動能力を持つカナリアも例外ではなかった。
カナリアの前にゆっくりと達也の拳が近づく。
ーああ、 自分はきっとこの拳を避けられないだろう……
ゆっくりとした意識の中カナリアはそう悟る。
けれどカナリアは次の瞬間自分に来るであろう痛みよりも達也のことが気になった。
何故彼は自分が彼の妹の名前をだした瞬間このような行動に出たのだろう。
そう疑問を覚えざるを得なかった。
その間にも達也の拳は、 刻一刻と彼女の元へ迫る。
そしてその拳は……
「……落ち着きなさい達也」
彼女の顔にめり込むことはなかった。
雪乃が達也の異常にいち早く察知して達也の拳を受け止めたのである。
学年の二位の運動神経を持つカナリアですら捉えられないほどの速さを持つ達也の拳を彼女とて当然見えていたわけではない。
ではなぜそんな彼女が達也の拳を受け止められたのか?
それは偏に彼女が達也の事を今までずっと見続けてきた為だ。
彼女は達也の事を知り尽くしていた。
彼の好みや仕草はもちろんの事、 彼の思考のほとんどを雪乃はいつしか予測できるようになっていた。
もちろん予想の精度は、 絶対ではない。
その為雪乃の今回の行動は、 半場賭けのようなものであった。
雪乃はそんな賭けに打ち勝ち、 今達也の拳を受け止めていた。
「はぁ……はぁ……グッ‼」
「落ち着いて。 大丈夫。 大丈夫だから。 ね?」
雪乃は、 達也の事を諭すかのように声をかける。
その様子は、 まるで彼の本当の母親の様であった。
その甲斐あったのか達也は落ち着きをゆっくりと取り戻す。
そしてまるで糸の切れた人形のように地面に倒れ込みそうになるが、 それを雪乃は優しく抱きとめる。
「おやすみなさい。 今はゆっくり休んで……」
カナリアには今の状況が付いていけなかった。
カナリアは、 唯彼の妹の名を口にしただけである。
にもかかわらず達也は、 自分に凄まじい殺気を向けてきた。
その事について今すぐにでも本人に聞きただしたかったが肝心の本人が眠ってしまっている為、 それはできない。
けれど今のカナリアは雪乃に救われた立場にある。
その事にカナリアは、 感謝の言葉を述べようとするがそれは雪乃の言葉によって途中で遮られてしまう。
「勘違いしないでカナリア・ローズブランド。 私は貴方の為に達也の拳を止めたんじゃない。 私は達也の事を思って止めたの」
雪乃の声は、 とても冷たかった。
先程達也に向けていた声とは、 雲泥の差である。
そんな二人のやり取りをよそに翔はただ度肝を抜かれていた。
達也と雪乃の能力が化け物じみているのは昔から彼らを見ていた翔自身もよく理解していた。
けれど二人が今ままで自分に見せていた実力が本気ではなかったことをしり、 完全にビビってしまったのである。
ー二人と自分とでは格が違いすぎる……けど……
普通ならばあれほどの殺気を向けられれば誰しも離れていくだろう。
だが翔は違った。
彼は心底お人好しである。
そんな状況に陥ってしまった二人の事に自分だっけは意地でも離れないと決意を感じさせるような眼差しをしていた。
「早乙女さん。 達也は大丈夫なのか?」
雪乃は、 何処か覚悟を決めた目をしている翔の事を見て驚く。
そんな雪乃の事を翔は怪訝そうに見たため、 雪乃はすぐさま表情を戻す。
「え、 ええ……おそらく大丈夫……」
雪乃はそう言うが顔は明らかに不安そうであった。
正直翔の目から見ても先ほどの達也の様子は以上であった。
先程の達也の目は、 血走っておりまるで獣のような眼差しをしていたのだ。
そんな彼が突然気絶してしまったのである。
彼の彼女である雪乃は心配そうな面持ちで彼の事を見るのは、 何もおかしなことではなかった。
そんな雪乃の事を翔は、 当然一人にできるわけなかった。
「……早乙女さん。 今は達也を自宅まで送ろう。 無論そこにはコイツの友達である俺もつきそうよ」
この時雪乃の内心では、 翔の言葉に裏があるのではないかと疑っていた。
そんな雪乃事を翔は唯真直ぐに見つめていた。
そのまなざしに翔に裏はないだろうと雪乃は判断を下す。
「……そう。 達也はいい友達を持ったのね」
「当ったり前だ‼ それに俺は早乙女さんともとっくに友達になったつもりだけどな‼」
その翔の言葉に雪乃は少々たじろぐ。
彼女にとって信頼できる人間は今まで達也だけであった。
彼女も今までは達也以外の人間を信用する気はないと考えていたし、 今後もそのようなことはないだろうと思っていた。
けれど翔の今の言葉を聞いて彼となら普通の友達になれるかもしれないと彼女の心は動かされてしまったのである。
「……そうね。 貴方なら信頼できるかもしれないわね。 何せ達也が選んだ人間なのだから……」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、 何でもないわ。 それよりも斎藤君。 達也の荷物持ってきてくれないかしら?」
「おう」
「ありがとう。 それから……」
雪乃は、 カナリアの事を見る。
カナリアは雪乃の視線が自身に向いたことについビクッと驚いてしまう。
「カナリアさん」
雪乃の声音はとても優しいものであった。
カナリアは少なくとも今まで雪乃にそのような声音で声を掛けられたことはなく、 それがかえって不気味であった。
「……何?」
「貴方が達也と知り合ったのか詳しいことは知らないわ。 でもね今の達也は、 少なくとも貴方の知っている達也じゃないと思うわ。 だからもしあなたが昔の達也の事を好きだったのならば……」
雪乃の言葉を聞いたカナリアは、 自身の耳を強く塞ぎ地面に泣き崩れてしまう。
彼女の言う通り今の達也は、 カナリアが知っている昔の性格とは大きく変わっていた。
昔の達也はよく笑うとても優しい少年だったのだ。
そんな少年にカナリアは、 いつしか恋心を抱いていた。
けれど今の達也は、 当時の面影がまるで見受けられなかった。
最初は時の流れのせいだと彼女は、 思っていた。
そうやって自身を誤魔化し続けるのも雪乃の言葉を聞いた今となっては脆くも崩れ去る。
「達也に二度と近づかないで。 貴方がいると達也は傷つく」
雪乃の言葉の効果は絶大であった。
結局カナリアは、 雪乃に対して何も言い返すことができず、 二人に連れていかれる達也をただ呆然と見送るしかなかった。
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