66『雪が左から右に降っている』

まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・66   




『雪が左から右に降っている』



「お互いに、ここまで言うてしもうたんだ。もうワシから言うことはない。彦君とお二人には申し訳ないが、今日のところは諦めてください。大雪の中、済まんことでした」


 お祖父ちゃんが頭を下げた。


「貴崎先生、この高山彦九郎、乃木高の門はいつでも開けておきますからな」

「校門は八時半閉門と決まっておりますが……」

 バーコードのトンチンカンにみんなが笑った。

「ありがとうございました……」

 わたしは、そう言って、その場で見送るのがやっとだった。


 雪が左から右に降っている。


 と……いうわけではなく。ただ単に、わたしが右を下にして寝っ転がっていただけ。


 ゆっくりと起きあがる……当たり前だけど、雪は上から下に降っている。

 ちょっと感覚をずらせると、自分が空に昇っていくようにも感じる。

 昼過ぎに潤香の病室でも同じように感じた。

 ほんの、三時間ほど前のことなのに、今は、それを痛みをもって感じる。

 夕闇が近く、庭灯に照らし出され、いっそうそれが際だつ。

 まるで無数のガラス片が落ちてきて、チクチクと心に刺さるよう。

 物の見え方というのは、自分の身の置き所だけでなく、心の有りようでこんなに違う。


「お嬢さま」


 驚いて振り返ると、峰岸クンが立っていた。

「なあに?」

「あの、お申し付けの年賀状です」

「あ、そうだったわね。ありがとう……あのね」

「はい、お嬢さま」

「その……お嬢さまって呼び方、なんとかなんない?」

「じゃあ……先生っていう呼び方になれるようにしていただけますか」

「ハハ、それは無理な相談だな……あ、年賀状こんなに要らないわ」

「書き損じ用の予備です」

「わたしが書き損じするわけ……あるかもね。ありがとう」


 わたしが、たった三枚の年賀状を書いているうちに、峰岸クンは暖炉の火を強くしてくれていた。温もりが心地よく伝わってくる。



「ひとつ聞いてもいいですか」

 温もった分、距離の近い言葉で聞いてきた。

「なあに……?」

 わたしは、三枚目まどかへのを……と、思って笑ってしまった。

「思い出し笑いですか?」

「ううん。三枚目がまどかなんで、自分でおかしくなっちゃって」

「え……ああ、確かにあいつは三枚目だ」

 少しの間、二人で笑った。

「で、質問て……?」

「どうして、苗字が貴崎と木崎なんですか?」

「ああ、それはね戦争で区役所が焼けちゃってね。新しく戸籍を作ることになって、お祖父ちゃん、書類の苗字のところを平仮名で書いたの」

「どうして、そんなことを?」

「当然、係の人に聞かれるでしょ。で、係の人がどう対応するか試したの」

「ハハ、オチャメだったんですね」

「で、キサキさん、このキサキはどんな字なんですか。と、聞くわけ」

「ハハハ、それで?」

 暖炉の火が頃合いになってきた。

「で、普通のキサキだよって答えたら木崎と書かれてそのまんま。あとで本籍と照合して区役所が気づいたんだけど、間違えたのは役所の方だって、係争中。だから、どっちでも構わないの」

「でも時効があるんじゃないですか?」

「時効が近くなると、訴訟をし直すの。まあ、お祖父ちゃんが生きてるうちは両方ね」

「ハハ、そういうところは血統ですね」

「で、キミのことはどっち。峰岸クン? 佐田クン?」

「峰岸でけっこうです。その方が呼びやすいでしょ」

「じゃ、それでいくわ。その代わり、お嬢さまは止してちょうだい」

「ううん……ま、成り行き次第ってことで」

「ま、いいでしょ。じゃ、わたし自分の家に戻るわ」

「では、お車を……」

「自分の足があるから……」

 で、玄関まで行くと、峰岸クンの先代の西田和子が車のキーをチャリチャリさせながら待っていた。

「ご無沙汰いたしておりました。マリお嬢さま」


 かくして、祖父と孫二代の車に乗るハメとなってしまった。


 なぜ西田さんの車でなかったか。

 答は簡単、「我が家」では、わたしよりお祖父ちゃんが偉いから。

 でもってお祖父ちゃんは、腰痛持ちのお婆ちゃんのために巣鴨のとげ抜き地蔵さんに、西田さんの車で行ったわけ。

 なんでとげ抜き地蔵……なんにも知らないのね。

 あそこの洗い観音さまを洗うとね、痛いの痛いのとんでけ~ってことになるの。

 ほんとは本人が行かなきゃだめなんだけど。これも愛情表現というか、お祖父ちゃんの気性。わたしにはコンチキショーだけどね。


 和子のドライビングテクニックはいっそうの磨きがかかっていた。

 でも、これなら宇宙飛行士のテストだって合格だろうという車の中でも、わたしの決心は揺るがなかった。


 貴崎マリは、学生時代までさかのぼって、歩き始めるの。

 自分の道を自分の足で。

 どんな道かって?

 まどかなら「ナイショ」って書くんだろうけど、わたしはヒントを書いておくわね。


 それは、三通の年賀状。理事長、まどか、小田先輩(高橋誠司)に宛てたもの。

 これは、わたしの過去と現在と未来に対しての年賀状でもあったわけ。


 もう一件、潤香……これは年賀状なんかじゃ済まされない。

 事と次第によっては、わたしが一生かかっても関わっていかなければならないことだから……ね。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る