49『メリークリスマス……』

まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・49   


『メリークリスマス……』




「わたし、八月に一度戻ってきたじゃない」

「うん、あとで聞いて淋しかったよ。分かってたら、クラブ休んだのに」


「あれは、わたしのタクラミだったの。だれにも内緒のね……旅費稼ぐのに、エッセーの懸賞募集まで応募したんだよ」

「さすが、はるかちゃん!」

「でも、わたしって、いつも二等賞以下の子だから」

「乃木坂でも準ミスだったもんね。じゃ二等賞?」

「フフ……三等賞の佳作。賞金二万円よ。これじゃ足んないから、お母さんがパートやってるお店のマスターにお金貸してもらってね。むろんお母さんには内緒でね」


 はるかちゃんは、二つ目のミカンを口にした。さっきより顔が酸っぱくなった。


「帰ったお家に黄色いハンカチは掛かってなかった……」

「じゃ……」

 わたしもミカンを頬ばった。申しわけないほど甘かった。

「機械と油の匂いが……うちは輪転機とインクの匂いだけど、しなかった。その代わりに……あの人がいた」

 はるかちゃん、遠くを見る目になった。その隙にミカンをすり替えてあげた。

「あの……その……」

「今は、うまくいってるよ……当たり前じゃない、そうでなかったらここに戻ってこられるわけないでしょ。今は秀美さんのこと東京のお母さんだと思ってる」

 はるかちゃんは涙目。でも、しっかり微笑んでる。

「ところで、まどかちゃん。あんた演劇部うまくいってないんだって?」

 すり替えたミカンは、やっぱ酸っぱかった。

「二十九人いた部員……四人に減っちゃって」

「乃木坂の演劇部が、たったの四人!?」

「潤香先輩は入院中。で、残りの三人はわたしと、二階で寝てるあの二人……」

「そうなんだ……やっと、おまじないが効いたみたい。甘くなってきた」


 はるかちゃんのミカンが甘くなったところで、ここに至った経緯を、かいつまんで話した。相手がはるかちゃんだったので心のブレーキが効かなくなって、涙があふれてきた。


「そう……まどかちゃんも大変だったのね」

「マリ先生は辞めちゃうし、倉庫も焼けて何にも無しだし……部室も、年度末までに五人以上にしなきゃ出てかなきゃなんないの」

「そうなんだ……でも、やってやれないことはないと思うよ」

「ほんと……?」

「うん。だって、うちのクラブね、たった五人で府大会までいったんだよ。それも五人たって、二人以外は兼業部員と見習い部員」

「ん……兼業部員?」

「うん。他のクラブや、バイトなんかと掛け持ちの子」

「じゃ、見習い部員てのは……?」

「わ・た・し」

「はるかちゃん、見習いだったの?」

「うん、わたしは夏頃から正規部員になりたかったんだけど、コーチが頑固でね。本選に落ちてやっと正規部員にしてもらったの」

「なんだか、わけ分かんない」

「でしょうね。語れば長いお話になるのよ……ね、これからはパソコンとかで話そうよ。カメラ付けたらテレビ会議みたく顔見ながら話せるし」

「うん。やろうやろう……でも……」

「ハハ、自信ないんだ。ま、無理もないよね。天下の乃木高演劇部が、実質三人の裸一貫だもんね」

「うん、だから今日はヤケクソのクリスマスパーティー」

「でも、まどかちゃんのやり方って、本質外してないと思うよ」

「ほんと?」

「うん。今日みんなで『幸せの黄色いハンカチ』観たのって大正解」

「あれって、さっきも言ったけど、テーブルクロス洗って干してたら、理事長先生に言われて……」

「意味わかんないから、うちのお父さんからDVD借りて……で、感動したもんだから。あの二人にも観せようって……でしょ?」

「うん、景気づけの意味もあるんだけどね」

「次のハルサイの公演まで、五ヶ月もあるんでしょ?」

「うん、上演作品決めんのは、まだ余裕なんだけどね。それまで何やったらいいのか……」

「今日みたくでいいんだよ。お芝居って、演るだけじゃないんだよ。観ることも大切なんだ……お芝居でなくてもいい、映画でもいいのよ。いい作品観て自分の肥やしにすることは、とても大事なことなんだよ。だって、そうでしょ。野球部やってて、野球観ないやつなんている? サッカーの試合観ないサッカー部ってないでしょ」

「うん、そう言われれば……」

「演劇部って、自分じゃ演るくせに、人のはあんまり観ないんだよね」

 コンクールでよその学校のは見てたけど、あれはただ睥睨(へいげい=見下す)してただけだもんね。

「芝居は、高いし。ハズレも多いから今日みたく映画のDVDでいいのよ。それと、人の本を読むこと。そうやってると、観る目が肥えるし。演技や演出の勉強にもなるのよ。それに、なによりいいものを演りたいって、高いテンションを持つことができる!……って、うちのコーチの受け売りだけどね」

「じゃあ、今日『幸せの黄色いハンカチ』観たのは……」

「うん、自然にそれをやってたのよ。まどかちゃん、無意識に分かってたんだよ!」

「はるかちゃん……!」


 二人同時にお盆に手を出して気がついた。


 ミカンがきれいになくなっていること。ふたりとも口の周りがミカンの汁だらけになっていること……二人で大笑いになっちゃった。

 はるかちゃんがポケテイッシュを出して口を拭った。

「はい、まどかちゃんも」

 差し出されたポケティッシュにはNOZOMIプロのロゴが入っている。

「あ、これってNOZOMIプロじゃない」

「あ……あ、東京駅でキャンペーンやってたから」

 その時、はるかちゃんの携帯の着メロが鳴った。

 画面を見て一瞬ためらって、はるかちゃんは受話器のボタンを押した。

「はい、はるかです……」

 少し改まった言い方に、思わず聞き耳ずきん。

「え……あれ、流れるんですか……それは……はい、母がそう言うのなら……わたしは……はい、失礼します」

 切れた携帯を、はるかちゃんはしばらく見つめていた。

「どうかした……?」

「え、ああ……まどかちゃん」

「うん……?」

「相談にのってくれるかなあ……」


 この時、はるかちゃんは、彼女の一生に関わるかもしれない大事な話しをしてくれた。ポケティッシュは、東京駅でのキャンペーンなんかじゃなかった。

 わたしは、ただびっくり。まともな返事ができなかった。

 ただ、ミカンの柑橘系の香りとともに、わたしの一生の中で忘れられない思い出になった。


 はるかちゃんが三軒となりの「実家」に帰ると、入れ違いに兄貴が帰ってきた。


「だめじゃないよ、雪払わなくっちゃ」

「あ、ああ……」

 兄貴は、意外と素直に外に出て、ダッフルコートを揺すった。いつもなら一言二言アンニュイな皮肉が返ってくるのに。

「兄ちゃん……」

 兄貴は、なにも答えず明かりの消えた茶の間に上がって、そのまま二階の自分の部屋に行く気配。

 兄貴らしくもない、乱暴に脱ぎ捨てた靴。

 それに、なにより、今見たばかりの頬の赤い手形……。

 兄貴は、どうやらクリスマスデートでフライングしたようだ。


 再建が始まったばかりのわたしたちの演劇部。フライングするわけにはいかない。


 一歩ずつ、少しずつ、しっかりと歩き出すしかないのよね……。

 兄貴が閉め忘れた玄関を閉めにいく……表は、東京では珍しい大雪が降り続けていた。


「メリークリスマス……」


 静かに、そう呟いた……忠クンの顔が浮かんで、ポッっと頬が赤らむ。

 それを聞きとがめたように、遠くで犬が吠えた。

 わけもなくウロタエて、わたしは身震い一つして玄関の戸を閉めました……。

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