17『KETAYONA』

まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・17   


『KETAYONA』




 それからの片づけ作業は、どこか敗戦処理のようになってしまった。


 わたしも、どこか気が抜けていたのだろう。なんせ広いだけが取り柄の倉庫。戦後進駐軍が、この学校を接収したときも、この倉庫だけは除外したというシロモノ。ちょっと気を抜くとコウモリが巣くったり、野良猫が住み着いたり。いつもなら隅々までチェックするんだけど、この時ばかりは……。

「ヤマちゃん、オーケー?」

 ヤマちゃんも……。

「里沙、オーケー?」

 と、伝言ゲーム。

 ルーキーの里沙はチェックシートを見てオーケーサイン。

 そのチェックシートは去年のコピーで、この春にみつけた欠陥は書かれていなかった……。



 生徒達を解散させたあと、北畠先生に電話した。まだ病院にいるようなら交代しなければならない。なにより潤香の様態が気がかりだった。

――大丈夫ですよ、潤香の様態は安定しています。お医者さまも「危険な状態じゃない」っておっしゃって、わたしも、もう家に帰ってきたんです……ええ、お母さんも、そうおっしゃって家に戻っていらっしゃいます、お父さんも。念のため、お姉さんが付き添っていらっしゃいます……ええ、大丈夫ですよ。

 わたしは切り替えが早い。それなら一杯ひっかけて明日に備えよう。

 柚木さんも誘おうかと一瞬思ったけど、たまたま玄関ホールのガラスに映った自分の顔を見てやめた。

 こんなくたびれた顔のオネーサン(柚木さんとは四つっきゃ変わんない。けしてオバチャンではゴザイマセン)と飲んでも気を遣うだけだろうと、あえて声をかけなかった。


 お店は、六本木と乃木坂の間あたり。


 街の喧噪からは程よく離れている。いちおうイタメシ屋だけど、客のわがままなオーダーに気楽に応えているうちに国籍不明なお店になっちゃった。

 お決まりのゲソの塩焼きと、ハイボール。乙女には似つかわしくない組み合わせだけど、学生時代からの定番。これ、最初は虫除けだった。リキュールのソーダ割り(いまは、リッキーとか言う)にサラダとチーズのセットなんか乙女チックにやってると、すぐに虫が寄ってくる。で、この組み合わせ。


「アイカワラズダナ」

 二つ向こうの席に宇宙人みたいな声がした。


「ん……あ、小田先輩!」

 そう、今日の審査で乃木坂を落とした審査員の高橋誠司こと小田誠が、当たり前のような顔をして座っていた。手には、アニメの少年探偵が持っているような、蝶ネクタイ形変声機……?

「これ、アニメの実写版やったとき小道具さんにもらったんだ。市販品のオモチャなんで、本物みたいなわけには……いかないのよね」

 今度は女の子の声になってきた。

「ハハハ、もう、やめてくださいよ。キモチ悪い」

「でも、こうやって、女の子とは仲良くなれる」

 と、席を一つ寄せてきた。

「まだ、女の子ですか。わたし?」

「誉め言葉のつもりなんだぜ」

「わたし、もう二十七ですよ」

「まだまだ使い分けのできる歳だぜ」

「大人です。もう五年も教師やってんだから」

「ほう、そうなんだ……と、驚いたほうがいいんだろうけど、とっくに知ってた。ほら……」

 と、コンクールのパンフレットを出した。

「ああ、なーる……」

「ネットで、ときどき検索もしてたんだぜ。おれも一応高校演劇出身だからな」

「おまたせしました。『イチオウ・タパス』です」

 マスターがタパスもどき(スペインの小皿料理)をカウンターに置いた。

「おう、本物じゃないですか。マスター……ソースも本物のサルサ・ブランコだ」

「筋向かいがスパニッシュなんで、時々食材の交換なんかやってるもんで」

「サルのブランコ?」

「ハハハ……」

 わたしのトンチンカンに、オッサン二人が笑い出した。

「スペインのサン・セバスチャンて街の、特製ソースだよ」

 で、白ワインで乾杯することになった……ところで大疑問!?

「なんで、わたしが、ここに居ることがわかったんですか?」

「だって、アドレスの交換やったじゃないか」

「は?」

「おれのスマホは最新型でね、相手の電源が入っていればGPSで、居場所が分かるって優れもの」

「うそ!?」

「ほら、現在位置」

 差し出されたスマホには、まごうかたなきイタメシ屋「KETAYONA」のこの席あたりに緑のドットが点滅していた。

「わ、消してくださいよ。これじゃおちおちトイレにも行けないじゃないですか!」

「大丈夫だよ、通話にしてなきゃ音が聞こえるわけじゃないし」

「わたしのほうで消去しちゃうから!」

「待てよ。これはただのGPS。点滅してんのはオレのドットだよ」

「またまた……」

「ほんとだってば、ここは、学校の警備員さんに聞いたんだよ」

「なんで警備員さんが?」

「キミがそれだけ注目されてるってことだよ……良く言えばね」

「普通にいえば?」

「自信が強すぎて、周りが見えない……ほらほら、そうやって、すぐにとんがる」

 先輩の手が伸びてきて、わたしの頬を指で挟んだ。「プ」と音がして自分でも笑ってしまった。

「乃木坂を落としたのは、オレなんだよ」

「先輩に気づいたとき、ヤバイなあとは思いましたけど。まあ、わたし本番観てませんし」

「乃木坂は、貴崎マリそのものだったよ」

「やっぱし」

「パワフルで、展開が速くて、役者も高校生ながら華があった。とくにアンダースタディーやった、まどかって子は可能性に満ちた子だ。学生時代のキミに似ている……いや、キミが似せさせたんだ」

 わたしは、ワインに伸ばしかけた手をハイボールに持ち替え、オッサンのように飲み干し、氷を口に含んで、ゴリっとかみ砕いた。

「キミの芝居は、一見華やかでパワフルだけどドラマがない。役者が一人称で、台詞を歌い上げてしまっている。パフォーマンスとしては評価できるけど、芝居としては評価できない」

「それだけですか……」

「登場人物が類型的だ。他の審査員なら等身大の高校生とか言って誉めるんだろうけど。オレには、そう見えなかった。主人公の自衛隊への使命感みたいな入隊希望。彼女の彼への気持ちの変化。彼女の不治の病。みんな最後のカタルシスのための作り物だ。あの芝居、最初にラストシーン思いついたんだろ。マリッペのことだからバイクかっ飛ばしてるときか、なんか食ってる時にひらめいたんだろ?」

 わたしは、もう一個、氷をかみ砕いた……ちょっと歯が痛かった。でもポーカーフェイス。

「そのカタルシスもなあ……」

「なんですか!?」

 思わず声が尖った。

「彼女の最後『あとは……あとは、最後は自分で決めてね……研一君』で、彼氏が彼女を抱きしめて『真由……!!』と、慟哭。もったいぶった台詞の羅列。劇的だけどもドラマが無い。人間が関係しあってないんだよなあ……コロスたちの『イカス』の繰り返しのシャウト……コロスにイカスなんて笑えるけどね。そいで大河ドラマの最終回のラストみたいな曲とコーラス。ステレオタイプの典型」

「わたし、大学で習った『共振する演劇』を実践したつもりなんですけど!」

「あれは平田先生だからできた荒技さ。オレが反発してたの知ってるだろ」

「天才は量産できるもんじゃない……でしょ。あのタンカしばらく学部で流行りましたよ。主に単位落とした学生の間にですけど」

「それと、自衛隊への目線に偏りがある。『暴力装置』って言葉は思想的すぎるよ。ま、反体制的ってのは拍手しやすいけどな。ちょっと前世紀の遺物だな」

 半分溶けた氷が、コトリと音を立て、グラスの中ででんぐりかえった。

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